マルケータ・ラザロヴァー/フランチシェク・ヴラーチル監督
チェコの映画監督フランチシェク・ヴラーチル(1924〜1999)の「マルケータ・ラザロヴァ」(1967年)を見る。
映画はヴラジスラフ・ヴァンチュラ(1891〜1942)による1931年に発表された同名の小説を原作とする。小説家ヴァンチュラは共産主義に傾倒していたが、クレメント・ゴットワルト(戦後チェコスロバキア大統領を務めた独裁者として知られる)の体制に反対し1929年に党を脱退。その後反ヒトラー運動に参加し1942年にゲシュタポに処刑されている。ヴァンチュラの作品はミラン・クンデラに高く評価されているという。
「マルケータ・ラザロヴァー」 は、1994年にチェコのジャーナリストによって「史上最高のチェコ映画」との評価を得る。チェコは1993年に共産主義国家チェコスロバキアから分離・独立した国家であるから、このヴラーチルの映画は(もちろんヴァンチュラの小説も含め)、新体制を歩み始めたばかりのチェコ国民にとって、民族的な、あるいは国家的なアイデンティティとして重要視されているということになるだろう(元々はチェコ語版とスロバキア語版があるようだ)。
舞台は13世紀半ばのボヘミア王国。「ロハーチェック」と「オボジシュテェ」という二つの敵対する部族の話で、タイトルの「マルケータ・ラザロヴァー」は「オボジシュテェ」の領主ラザルの娘で、修道女になることを約束された少女だ。物語は一見複雑そうだが、小説的な構成であることを理解できれば比較的易しくはできてはいる。ただしプロットは主人公のマルケータを中心としたいうよりは、「男たち」の野卑た争いがテーマの映画だと言った方がしっくりくるだろうか。
冒頭で、ほぼ盗賊団ともいえる「ロハーチェック」の首長、コズリークの息子のミコラーシュと弟のアダムが伯爵一行を襲撃し、伯爵の息子のクリスティアンを拉致するという話を挿入し、部族間の争いにその背景としての王国(の代理としての伯爵)を接続して、物語を多層化する軸線を構成する。物語の大きな展開に対し、マルケータとミコラーシュとの関係に、コズリークの娘(ミコラーシュとアダムの妹)アレクサンドラとクリスティアンとの関係、2軸の「女」をもって、この家父長的な物語をずらし続けるということになる。
映画の生々しい描写は13世紀の歴史画であるよりは、現代的な世界の構図とも重ねるべく人間社会の混沌を描いた映画だとはいえるだろう。クリヤーで完成された画面構成はもちろん賞賛に値する。映画が公開された1960年代後半の状況からしてエンターテイメント性を備えた優れた映画ではあろう。だが、原作者のヴラジスラフ・ヴァンチュラが忍び寄る戦争の足音を聞き、また戦中を生き延び、戦後の共産主義体制下を生き抜いたフランチシェク・ヴラーチル監督が、そこに何を見て、何を考えたかについて、戦争が日常に継続する私たちの現在に於いて考えるべき課題は少なからず認められるだろう。
映画の後半で、洪水が引いた後の戦闘で男たちを失った後の地に、大量に打ち上げられた魚を手にする、女と子どもだけの美しい世界が映し出される。マルケータは彼女の「純潔」に翻弄されるままに自分の居場所を彷徨い、利するところのない戦いで瀕死の重症を負ったミコラーシュと再会するのだが…。与えられた全ての秩序が無効化された後の世界で、ひとりマルケータが旅立つ先は、さて。
監督:フランチシェク・ヴラーチル
出演:マグダ・ヴァーシャーリオヴァー | ヨゼフ・ケムル | フランチシェク・ヴェレツキー