「ソビエト時代のタルコフスキー」より『アンドレイ・ルブリョフ』
021-02-21鑑賞
承前。「ソビエト時代のタルコフスキー」の5作目は『アンドレイ・ルブリョフ』(1967年)。これは以前にも一度映画館で見ている。『僕の村は戦場だった』(1961年)に続くタルコフスキーの2作目だが、企画段階からの作品はこの映画から。スケールの大きさにまずは驚かされる。クレジットでは今回公開している版は183分との表記だが、正規版はでは186分らしい(3分はどこへ…ということもある)。そもそもは205分の作品(彼の死後にアメリカで公開されている)に検閲が入った末のことだそうだ。カンヌで先に賞を取り、ソビエト国内では1971年に公開。
アンドレイ・ルブリョフは、15世紀ロシアで最も重要なイコン画家(画僧)だそうだが、基本的に「信仰」がこの映画の主題だと思われる。物語は綿密に章立てされていて、これもまたウィキペディアでは(呆れるほど)詳細に書かれているわけだが、どうも個々の作品でのウィキペディア内での扱いに差があるようだ。要するに『鏡』やこの『アンドレイ・ルブリョフ』は、玄人受けする、あるいは批評映えがするということか。
実際のところ、『アンドレイ・ルブリョフ』という映画で、この中世の画家の存在がどこまで史実に基づいているのかは分からないのだけれど、ルブリョフ個人の描写とロシアの歴史とが重なる所に特にボリュームがあり、なんとなくだが、ロマン主義者のタルコフスキーと、抑圧された彼のナショナリズムとの関係がここに読み取れようか。現代の私たちは画僧であるルブリョフに「芸術家」としての人生を見てしまいがちだが、今回再見して、やはりこれは彼の「信仰」(自分はそれを持たないが)についての物語だと確信する。
ルブリョフにはキリストにつかえる者としていくつもの試練が与えられるのだが、その中でも後半に出てくる「佯狂の女」とされる人物がキーになっていて(それはまたルブリョフの思い上がりであることが後に露呈する)、 鋳物師の息子のエピソードに佯狂の女が再来する最終章がクライマックスであり、またルブリョフの「信仰」を貫いた上での「悟り」でもある見事な演出となっている。冒頭の「世界」の俯瞰から始まる183分の「長さ」の理由はここにある。
監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:アナトリー・ソロニーツィン | イワン・ラピコフ | ニコライ・グリンコ