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リッチランド/アイリーン・ルスティック監督

アイリーン・ルスティック監督の「リッチランド」を見る。ハンフォード・サイトに核燃料生産拠点が建設された戦争末期の1943年、「マンハッタン計画」に従事する労働者とその家族が近隣の町リッチランドに移り住んだ。4年半に及ぶ現地での取材で、ルスティック監督は地元住民のさまざまな意見に対して慎重に耳を傾け、アメリカという国の「かたち」を静かに見据えてきた。

ドイツに先駆けて原子爆弾を開発すべく、秘密裏に進められた「マンハッタン計画」には3ヶ所の拠点があった。ロバート・オッペンハイマー(1904〜1967)が立ち上げた研究拠点がニューメキシコ州ロスアラモス設置された他、ウラン精製濃縮工場がテネシー州オークリッジに、そしてプルトニウムの精製はワシントン州ハンフォードで行われた。そして、オークリッジのウランが「リトルボーイ」に格納され広島へ、ハンフォード・サイトのプルトニウムが「ファットマン」に搭載され長崎に投下されたという結末が我々の知るところである。

閉ざされ隠され、政府と軍によって管理されて周囲から切り離されていたリッチランドは、1957年に土地と建物が住民に払い下げられたのだが、その後の米ソ間の軍拡競争によって町の「繁栄」は続くことになった。ハンフォードでの核燃料の生産を終え、施設の解体、除染、大量に残された核廃棄物の処理が行われるには、「冷戦」の集結まで待たねばならない。それが現在まで続くリッチランドという町の「歴史」なのだ。

映画の冒頭、マーチングバンドのパレードから地元高校のフットボールの試合とチアリーダーの応援とが順に写し出される。典型的なアメリカ郊外の風景に見える。チーム名は「リッチランド・ボマーズ」。トレードマークの「キノコ雲」と「B29爆撃機」はなかなかの衝撃だ。

リッチランド高校の外壁に設置された巨大な校章プレートは、リッチランドの頭文字のRと「キノコ雲」を組み合わせたもので、これは近年日本でも話題になったと思う。我々からすれば悪趣味極まりない光景である。「キノコ雲」と「B29爆撃機」がアイデンティティとなった町。彼らから発せられる言葉は「Accomplish」、そして「Proud of the Cloud」。

「原爆投下が戦争の早期集結に繋がった」という言説は、もはや歴史的事実とは言えないはずだが、未だ「彼ら」の共通認識ではある。愛国と軍産複合体の国アメリカ。「彼ら」は外部の活動家を警戒し「身構えて」おり、決め台詞をメディアに残せるかを気にしてはいる。「彼ら」が言葉を解き放した後の、その勝ち誇った表情は印象的だ。

しかし、より若い世代であるリッチランド高校の学生の中には、町の繁栄を築いた親世代とはまた別の見方もある。芝生に座り仲間と語り合い、自分たちの「過去の歴史」と向き合おうとする彼らはまた、その限界をも語る。外壁を飾る巨大な「キノコ雲」、その「アイデンティティ」は未だ過半数の人に支持される対象なのだ。

広島被爆者3世の日本人アーティストも登場する。流暢な英語で出自等を語っていたのだが、悪手だと思ったのは、対話の場の聴衆が白人ばかりであることと原爆投下と人種差別の関係を結びつけてしまったことだ。この土地にも被爆の被害者は存在する。ニューヨークのアート現場ならともかく、一般の市民にその論法は辛い。細いフレームに吊るされた、彼女の祖母の服を剥ぎ合わせて作ったという「リトルボーイ」を模した作品は、ハンフォードの乾いた風に舞うばかりであった。

そもそも(という言葉に違和感があるかもしれないが)この土地の所有者は誰か、という問題もある。この土地の居住者であったネイティブアメリカン/ワナパム族の長老は、軍が提示する「立ち退きの代償」を拒否し、「土地の所有者」は自分ではなく、未来の子どもたち孫たちであると解いたという。返還される約束であった彼らの土地は汚染されてしまった。

失われた時をとりもどそうと、汚染された広大な砂漠に土地に固有の植物の苗を植える人たちもいる。フレデリック・バックの「木を植えた男」というアニメーションを、少し思い出している。映画を見終わって思うのは(おそらくルスティック監督も同じ気持ちだろうが)、未だ争いが絶えない世界で、我々ができることは何かということに尽きると思う。優れたドキュメンタリー映画だ。

NPO福島ダイアログ理事長で作家の安東量子さんの書いた、国際会議に参加するために訪れたリッチランドとハンフォード・サイトを巡るエッセイ「スティーブ&ボニー」(晶文社)はお勧めです。


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