しるしの創業"ブランド体験の最適化"に出会うまで
はじめまして、しるし株式会社 代表取締役の長井秀興です。
2021年3月にしるしを設立し、”ブランド体験を最適化する”というミッションを掲げました。
自己紹介も兼ねて、僕がしるしを立ち上げるまでのお話をしていきたいと思います。
少年野球で直面した、人生初の山場。意思決定。成功体験。
僕の強みのTOP2は、「競争性」と「達成欲」です。
『目標を掲げ、その達成に必要なことを考え実行し、そのための努力は惜しまない』
こういう考え方の人間だと、自分を理解しています。
この考え方に出会い、強みが形成されたのは、遡ること20年弱、小学生時代。
小4から中3までは野球に没頭する野球少年で、ポジションはピッチャー、キャッチャー、ファースト。
小6で野球肘という肘の軟骨や骨が割れる怪我(通称、”ねずみ”)をし、手術をしました。
執刀医に「もう右では投げられない」と告げられ、絶望に打ちひしがれたのを今でも鮮明に覚えています。
手術の際は全身麻酔でしたが、麻酔を打たれてベッドで手術室に運ばれて、
オペ室のドアが開いた途端、起き上がって「野球がしたい!!」と叫んだそうです。
麻酔中だったので僕は全く記憶がありませんが(笑)
それほど野球が好きで、没頭していたんでしょう。
手術後、右腕のリハビリに励み、通常生活はできるようになりましたが、投げられない。
どうしたら大好きな野球ができるか。。。?
プロ野球のチームドクターだった先生の
「怪我をキッカケに左投げにしてプロ野球選手になった人がいるんだよね」
という一言をキッカケに、無邪気だった僕は、左投げにする決意をしました。
今まではコーチや監督、先輩に言われるがままにやっていたが、左投げへの転向は、見本になる人も、教えてくれる人もいませんでした。
自分で理想的なフォームをイメージし、鏡の前で練習して修正する。実践してまた修正する。
幼いながらも自分でやることを決め、問いをもち、試行錯誤しながら正解を探す、という経験をしました。
左投げに転向して半年ほどで、塁間くらいはまともにキャッチボールできるようになり、ファーストで試合に出させてもらえるようになりました。
小6の地方大会の3位決定戦、勝利まであと1アウト。
ファーストファールフライがふわっと上がる。
真夏の強烈な日差しにボールがかぶり、行方が見えない。
あ、っと思い、ダイビングすると、歓声が聞こえ、盛り上がる。
ふとグラブを見ると、ボールが収まっており、試合終了。
勝利で銅メダル!
これが僕にとっての初めての、山場、意思決定、成功体験でした。
(表彰式後の集合写真。上段右から3番目が長井。)
その後、
高校1年はラグビー部、高校2年〜大学4年まで水泳部。大学では理工学部体育会水泳部。
少し長くなってしまうのでまたの機会にここら辺の話もします(笑)
リーダーとしての教訓と理想的な組織づくり
僕がリーダーに興味を持ったキッカケは大学2年生、水泳部の主将になった時でした。
人生を通じて、チームのトップとして成果に責任を負う、初めての経験でした。
いちメンバーだった時は、部活の雰囲気に身を任せているだけでした。
自分のタイムのことばかり気にしていて、チームにおける自分の役割など、考えたことががなかった。。。
リーダーになった途端、チームの目標、どう達成するか?、練習場所の確保、練習日程、集合時間、メニュー、OBOGとの関係、などなど、、、、
考えることがあまりにも多いし、圧倒的に目線が違う。
同じ組織にいるはずなのに、メンバーの時は視野角2°くらいだったのが、リーダーになると360°に強制される感覚でした。
リーダーという立場は、成長につながるし、難しさが故の面白さだと強烈に実感しました。
主将になったタイミングで、本などとは無縁の人生を送っていた僕に、
「あなた主将になるんだからこのくらい読んで勉強しなさい」と母親から言われて渡されたのが「もしドラ」でした。
仕方なく読んだこの一冊が目から鱗!
「一冊の本から学べることがこんなにもあるのか!!」と感動。
興味が湧いたらとことん突き詰める性格なので、急に火がつき、大学〜大学院時代は年間300冊の本を読み漁りました。
特に、組織の「マネジメント」に興味を持ち、ビジネス書を片っ端から読みました。
(ちなみに、主将を次の代に引き継ぐときに、この読書で培った主将としての考え方を小論文としてまとめたくらいです)
しかし、僕の代の2大大会の成績は
・医学部対抗戦:優勝
・引退試合である泳光戦:準優勝
主将としても個人としても結果を残せずに、”負け”で終わったんです。
「組織マネジメント」に論理を学ぶことに引っ張られ、
最も大切な「成果」にこだわることができなかった...
「優れたリーダーは成果に導くことができる」
この日以来、心に刻んでいる教訓です。
そしてこの教訓は、今の組織づくりにも大いに影響しています。
ここでいう「優れたリーダー」とは、自分の弱みを認め、反対に仲間の強みを引き出し、チームを一つの大きな成功へと導ける人のこと。
つまり、お互いの強みで補完関係になれることが大事です。(詳しくは後ほど)
足りない部分を補完できる人と背中を合わせて、目標に向かっていく。
双方が尊重し、信頼し合い、背中を合わせ、1つの目標に向かうことが、会社の強み(事業も組織も)につながると思っています。
今のしるしのメンバーは、まさに一人一人が異なる強みやスキルを持っており、それが掛け合わさってクライアントに大きな価値を提供できています。
普段あまり言わないけど(笑)みんな、仲間になってくれてありがとう。
結果を残せなかった悔しさと同時に、
リーダーとして責任を負うことにやりがいを感じたのも、
主将の経験があったからこそでした。
小さなミスも許されず、良いことをしても当たり前と思われてしまう。
しかし、勝利に導けるも導けないも、リーダー次第。
こんなにも難しい役割が世の中に存在していたなんて...!
この時に、今後の人生は、リーダーとして生きる、人を導く人になる、と決意しました。
P&Gマーケティング部で学んだ”ワクワクできない仕事”、ベンチャーで学んだ”ワクワクする仕事”
就活の時は、企業のリーダー=社長ということで、「社長になりたい!」と思っていました。面接でも言い続けてました。
したがって、自分の選ぶべきキャリアとして、
①プロフェッショナルサラリーマン(イメージしていたのは当時ローソンCEOの新浪 剛史氏)
②起業家
の2択で考えていました。
その時の僕の考えでは、
プロフェッショナルサラリーマンなら「P&Gマーケティング部」か「マッキンゼー」。
起業家なら、起業する。
起業家という選択肢は当時は全く想像がつかなかったので、
プロフェッショナルサラリーマンの道としてP&Gのマーケティング部に進みました。(マッキンゼーはあっさり落ちました)
P&Gに入ってからは、怒涛の日々を過ごしました。
マーケティング部では、他部署を率いるブランドの事業責任者としての役割が求められまず。初日から、
「ファブリーズはあなたのブランドです。責任を持ってビジネスを伸ばしてください」
という期待値がありました。
でも僕は「リーダーとして働くこと」を求めていたので、しんどさはあったものの楽しかったです。
(上:ファブリーズのPRで出演した静岡テレビのアナウンサーと。下:ファブリーズMENのキャンペーンで日経に出稿。)
一年が経とうとしていたある日、2つの問いを持ちました。
「今年のファブリーズの業績に、自分の意思決定や実行はどの程度影響を与えただろうか?」
「P&Gでの自分の3年後の姿は魅力的だろうか?」
答えは、
「ほぼ影響なし」
「3年上の先輩を見ると想像できてしまうのでワクワクしない」
そう思った瞬間、
「自分の意思決定次第で、自分の想像を超える世界を思い描けない人生など面白くない!」
と考え、すぐに退職届を出しました。
自分の意思決定により、成功でき失敗できる環境。
自分次第で想像もできない世界が待ち受けていること。
それが自分にとっての生きがいだと感じました。
そのため、自分の意思決定の結果が見えやすい環境=ベンチャー企業への転職を決めました。
転職先では、経営に最も近いところで、
新規事業責任者 / 事業撤退、収益事業の責任者、PMI責任者(企業買収後の統合)、採用、と、
いくつもの自分では想像できないような機会や経験を短期間の間にさせてもらいました。
自分の意思決定で成功も失敗もする、というまさに自分が追い求めていた環境でした。
当時の上司と社長には本当に感謝しています。
(送迎会にて。濃密な2年間だった。)
それと同時に、そろそろ自分でやるぞ!という気持ちが芽生え、
転職して2年、独立する決断をしました。
無力であることが証明された1年半
独立して、しるしを立ち上げるまで1年半、
チャレンジというチャレンジをするものの、全てうまくいかず...
自分の使命は何か、世の中にどういう価値を提供していきたいかを模索し、
とにかく色々な挑戦をしました。
うまくいかない時間が続くと、内省する時間が増え、
両親から授かったこの生を、
世の中の課題を解くために使いたい、と思うようになりました。
欲望は原動力となるが、我欲を満たすためのみに使おうとすると、なかなかうまくいかない。
しかし我欲を満たさないことに、強いエネルギーは発揮できない。
世の中の課題を解いて、自分ではない誰かの欲を満たすことができれば、我欲は満たされる。
この自分の欲の構造を認識してからは、考え方に迷いがなくなり、様々なことが好転し始めました。
意志をもった人が充実した人生を手にするキッカケ
小学校、野球をやってた時、左投げのキッカケを与えてくれたドクター。
中学校、模試でいい成績をとった時、「国立目指せば?」とキッカケを与えてくれた先生。
高校、授業で隣に座ったキッカケで水泳部に誘ってくれ、親友になった小林(通称とも)。
大学、水泳部の主将を任せられた時、「もしドラ」の本を渡してくれた母親。
大学院、休学して行った世界一周旅行の道中、ヨーロッパアルプス最高峰モンブラン登頂を勧めてくれた冒険家安東さん。
(その他、本当に書き切れないほどいい出会いに恵まれていることに感謝しています)
特に、モンブラン登頂の経験は、
「やりたいと本気で思えばできないことはほとんどない。」
という自信を手にしたと同時に、
「目標を掲げれば応援してくれる人が現れ、実現に近づく」
という大切なことを学びました。
そう思って、人に関わるようにしています。
(モンブラン山頂にて。奥側がイタリア、手前がフランス。あの達成感と景色は一生忘れられない。下山後の1kgの牛肉塊を超える逸品には未だに出会っていない)
下田との出会い、「しるし」創業
共同創業の下田とは、共通の友人を介して知り合いました。
とあるキッカケで下田とプロジェクトを共にした時に、
下田に対して
「信頼できる」
「大切にしている価値観が一致している」
「自分と強みが補完関係になる」
と直感的に感じ、
「下田となら何かを成し遂げられる」
と、確信しました。
”何か”というのが、共通の課題意識であったブランド毀損に関して。
僕はP&G時代から、ドラッグストアやスーパーマーケットなど、顧客が購買する場所を見に行き、なぜ買うのか?を考えるのが好きでした。
消費財の売上の大半は小売店舗で購買されています。
なので、消費財のマーケターは、小売店舗の購買体験をメインチャネルとしてマーケティングプランを設計しています。
ここでECマーケットプレイスに目を向けてみると、特に購買体験が設計されているわけではなく、さらには、転売屋や模倣品、価格崩壊などによって市場が荒らされていました。
さらにいうと、ECマーケットプレイスはメディアとしての機能を兼ねており、これではブランドエクイティ(ブランドが持つ資産価値)が形成されず、顧客に価値を届けられない。
ブランド毀損を防ぎ、顧客にブランドの価値を届けられるようにすることは、社会的な価値につながると確信していました。
下田も、別の切り口から同様のことを考えており、しるしを共同創業しました。
『メーカーが真心込めて作ったブランド体験を、必要とする消費者に提供し、ブランドによって人生が豊かになる社会を作る。』
そんな想いで、日々取り組んでいます。
次の記事では、しるしのミッションや事業について、もう少し詳しくお話ししていきたいと思います!
しるし株式会社
代表取締役 長井秀興
▼さらにしるしを知りたい方はこちら
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