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ADHDグレー当事者が社会を生き抜くためにした事。まずは障害を受け入れ、理解する事から始める。

こんにちは。あるいはこんばんは。
今回の記事はADHDのグレーゾーン当事者が語る、「ADHDグレー当事者が社会を生き抜くためにした事」の連載、第一弾です。

連載といっても、続くかどうかは未定ですが(笑)
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よろしくお願いします。

さて、今回のテーマでは、自身の経験からADHDの障害を受け入れる事、そして理解していくまでにどのような過程を辿ったのかを語れれば嬉しいです。

この記事が、当事者やADHDを理解したいと思ってくださる方に、少しでも有益なものになれば嬉しいです。

では、早速始めていきましょう。


1.ADHDを理解する事からの拒否、そのまま就職へ

「ADHD?自分に当てはまるかも」
あれは、大学4年生の頃。ADHDという発達障害がある事をインターネットで知りました。
ここで、簡単にADHDについて引用して説明します。

ADHDは、「Attention-Deficit / Hyperactivity Disorder」という英語の略語で、日本語では「注意欠如・多動症」と呼ばれています。ADHDはかんたんに言うと、「不注意」や「多動・衝動性」を特徴にもつ、発達障害のひとつです。

ADHD(注意欠如・多動症)とは?具体的な症状や特徴、診断の流れなど網羅的にご紹介


ADHDの特徴を自分と照らし合わせた時、あまりにも当てはまる箇所が多く、自分は普通ではなく、ADHDなのかもと疑問に思うようになりました。

・じっとしていられなくて授業に集中できない
・飽き性で、すぐに物事にはまってはやめてしまう
・ルーティンワークが出来ず、自分の興味のある事しかやれない
・細かい作業が出来ず、不器用

今まで多くの人から注意や叱責を受けてきました。
教師や親、友達や先輩から何年もです。

時には罵倒もされてきました。
「こいつは社会で生きていけない」「こいつはクズだよ」
そんな事も言われたりしました。

しかし、当時は発達障害と聞くと、「認めたくない」という気持ちが自分の中で先行していました。今でこそ、普通に受け入れられていますが、当時は自分が障害で普通の人とは違うなど、受け入れたくなかったのです。

振り返ると自己肯定感が非常に低く、無気力感でいっぱいで自分が他者とは違う存在である事など受け入れたくなかったのでしょう。

しかし、そんな中、自分の障害と向き合わざるおえないタイミングが来る事となりました。それは、就職して間もない頃です。

2.上司からの叱責、そしてADHDの診断へ

2022年4月、私は新卒でエンジニアの会社に入りました。
そこでは、1か月間研修があったのですが、他の人が真剣に講義を受けている中、全然講義に集中する事が出来ませんでした。
また、「CCNA」というネットワークの試験があり、その試験に合格するために対策を行っていたのですが、他の人があっさり合格しているにも関わらず何度やっても合格点の基準に達す事が出来ませんでした。
トイレに行って、吐きそうになりながらやっていた事を今でも思い出します。
さらに、資料のミスも不注意でやってしまい、上司に叱られました。

「普通は間違えないですよね?」

そんな事を言われ、凹む自分。研修も集中できず、上司からは叱られ、次第に心は病んでいきました。

結局、すぐに限界がきて、適応障害の診断をもらい、会社を休職。帰りの電車では、もういっそ死んだ方が楽なのではないかとさえ、考えていました。
その後、2か月たって退職。病院からはADHDのグレーゾーンであると診断。
グレーゾーンであるため、障害者雇用も望めない。
この先どうやって生きていけばいいのか分からず、絶望感でいっぱいでした。

3.自分に対する憤り

その時、強く感じたのはADHDに対する無理解への憤りもありましたが、それ以上に感じたのは実力がない自分への激しい憤りでした。
新卒で社会の事も何も分からず、実力がないとこんなにもみじめな思いをしなければならないのかと。
本当に悔しかった。あの頃の悔しさは本当に今でも自分の原点です。

まず始めたのは、自分のADHDの特性を含め、自分を徹底的に理解する事からでした。

親からはADHDを受け入れたら、頑張らなくなっちゃうんじゃないの?と
言われましたが、むしろその当時は逆だと考えました。

自分の特性を理解しなければ、先には進めない。直感で、そう思ったのです。

そこからは戦略を立てて、自分の人生を考えなければ本気で詰む。
覚悟を決めて、障害と向き合い、それまで受けてきた叱責や罵倒と向き合って人生を生きていくんだと、そう腹をくくりました。

すぐに転職しては、また同じ事を繰り返すだけだと感じた自分は就労移行支援に通い、1年間訓練をする事に決めました。

就労移行支援について詳しくは下記のノートに当時、記載しています。

就労移行支援は優しいスタッフに恵まれ、本当に行って良かったと今でも心の底から感じます。

上司の叱責が半年間ぐらいトラウマになり、苦しみ続けましたが、それでも負けじと自己理解・障害理解を積み重ねました。

次回は自己理解・障害理解を徹底的に行い、どう社会に適応できるかを研究した体験談を話せればなと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
少しでもあなたに刺さるものがあれば、幸いです。












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