(ネタバレ注意)劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン2回目観るか悩んでいる方に
(こちらはすでに一度劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを観た方限定です。ネタバレを大いに含みますので、まだ観ていない方は絶対に読まないことをおすすめいたします。)
まだ、劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン見ていないという方は、こちらをお読みください。
結論からいいます。一度観て、感動した方。2回目の鑑賞をお勧めします。
「立場を変えてみてみよう」
もうご存知でしょうが、この映画はストレートな恋愛ドラマではなく多様な立場から共感できるようなっています。
女性、男性、少女、少年、母親、父親、兄弟、仕事人…。すべての視点を網羅しています。いままでも京アニさんの映画を観てきましたが、これまでの京アニさんの作品の中でもこれだけ広いひとたちに語りかけようとした映画は始めてなのでは?と思うほどです。
石立監督がスタッフトークで、
「愛してる」って難しい言葉じゃないですか。狭くもとらえられるし、広くもとらえられる。ヴァイオレットが、きっと人生をかけて知って伝えた、彼女の中にある「愛してる」という言葉の意味は、すごく大きくて、広い意味になっていると思ったので、男女の「愛してる」に限定して感じて欲しくなかったんです。それは作中のキャラクターたちに対してだけでなく、ヴァイオレットの人生をこうしてともに追いかけ、観てくださった方に対しての「愛してる」という意味も含めた、広義なものであってほしい。だから、ギルベルトへの手紙の所で「愛してる」を音にしてしまうと、男女の「愛してる」に引っ張られてしまう。それは避けたいと思い、音にしませんでした。
と言われていましたが、実際、映画内の人物関係を整理してみると、下の図のように、見る人が若者でも、年寄でも、女性でも、男性でも、登場人物に共感できるようになっています。
また、映画の最後に出てくる「愛してる」は、TV版と違って平仮名で「あいしてる」と表記されていました。TV版で「愛してる」がテロップ表示された際はすべて漢字の「愛」を使っていましたので、映画ではあえて平仮名で表記することで、男女の間での「愛してる」だけではないことを強調したのではないでしょうか。
その結果、例えば一回目に鑑賞時には若い男女の視点で恋愛を中心に観たのであれば、今度は友人としての視点で、その次は家族の、更にその次は社会人として…と視点を変えてみると、同じ映画なのに何度も何度も違った感動を味わえるのです。
具体例として社会人として視点で言えば、
「あー、そうだよな。仕事は責任感大事だよな」
「大きな仕事を任されるよう努力しないとね」
「時代の変化でいまある仕事がなくなるかもしれないよね」
「変化に備えて準備していかないとね」
「約束した以上は最後まで自分でやりきりたいけれど、仲間を信頼して、いざとなったらチームワークでお互いカバーするよね」
「顧客第一。新しい技術を嫌ったり、今までのやり方にとらわれすぎたりせず、柔軟な思考と対応で仕事はやりとげないとね」
などなど、まるで「働くひとへの応援映画」のようにわたしたちの心に刺さるシーンが山盛りになっています。
また、この感動を効果的に(ただ控えめに)伝えるために、京アニさんは、映画内のさまざまなシーンでの演技、構図、ライティング、音、小物、背景などで細かく丁寧に表現してくれています。これを探すという楽しみ方もあります。
最初はヴァイオレットなど登場人物の表情や仕草に集中して観ると思うんです(そう作られていますし)。二回目はその奥の人の動きに、背景に、音楽に、小物に…と目を配っていくと、これってもしかして…?と思えてくるという楽しみ方ができるのです。
「演出から見てみようその1:赤いリボン」
例えば、赤いリボンはヴァイオレットの象徴であり、ヴァイオレットの仕事への責任感、プライドの象徴なのでは?と見ることもできると思うのです。
ヴァイオレットがTV版第二話でドールとなった際に制服とともにプレゼンとされたのがこの赤いリボンです。それ以来、ヴァイオレットは(墓参りの際に落としてしまった時を除いて)常時このリボンを付けています。また、ヴァイオレットの後ろ姿や後頭部がさまざまなカットで起用されるこのドラマではありますが、ヴァイオレットが仕事を通じて知った感情を表現する際には赤いリボンのカットがアップにされています。
そして、エカルテ島の学校(ギルベルトが働いていた場所でありデイジーが訪れた場所でもある)にデイジーが訪れたときに手前の柵に赤いリボンが結ばれていました(短いカットなので気付きにくいかもですが2回出てきます)し、移設された郵便局の木の枝にも赤いリボンが結ばれていました(ここは大写しになるのでわかりますよね)。また、郵便局員がデイジーにヴァイオレットの名前を思い出して伝えようとする際に見ていた方角は赤いリボンが結ばれた枝の方角でした。
「演出から見てみようその2:ギルベルトの帽子」
ギルベルトはエカルテ島で帽子をかぶっています。これは、偽名を使って身バレを防せぐための道具としてみるだけでなく、「ブーゲンビリア家の呪い」を象徴しているように見ることできると思うのです。
この帽子、現物は船にあるので同じ帽子ではありませんが、弟(ギルベルト)が幼い頃に兄(ディートフリート)からかぶせてもらった帽子に偶然とは言えないほどよく似ています。
この帽子をかぶせてもらうシーンでは父に逆らった兄をギルベルトがかばって「自分が軍隊に行く(ブーゲンビリア家を継ぐ」ことを宣言します。また、宣言前に、ブーゲンビリア家を象徴すると父が宣言した花越しにこの兄の帽子をかぶったギルベルトのカットが挿入されていますので、わたしは、ここでギルベルトに「ブーゲンビリア家」の呪いがかけられたことを示唆しているように思えました。
また、エカルテ島でも同じような帽子を被り続けているのは、その呪いからエカルテ島に逃げたあとも開放されていないことを示唆していて、ギルベルトがライデンに戻らなかったのは、ヴァイオレットを傷つけたトラウマだけでなく、このブーゲンビリア家の呪いから開放されたかったからでは?
だから、ヴァイオレットから手紙で「愛してるを知って、愛してるを伝えたくなった」「わたしは少佐を愛ししています」と言われたのに加えて、兄から「ブーゲンビリアの家は私が継ぐ」と言われてやっと家の呪いからも開放されたから、ギルベルトはヴァイオレットに向かって走り出せたのでは?
焦る気持ちを表すだけでなく、呪いからの開放を示唆するためにも、ギルベルトがヴァイオレットに向けて走り出すときに帽子が脱げるシーンを描いたのでは?
また、その後、(来場者プレゼントに描かれた)ヴァイオレットと二人で歩くシーンでは帽子をかぶっていないのでは?
などなどと、想像が膨らんでいきます。
「演出から見てみようその3:ヴァイオレットがギルベルトを抱擁しなかった理由」
映画のクライマックスシーンであるギルベルトがヴァイオレットに「愛してる」を告げて抱きしめるシーン。片腕ながらヴァイオレットを抱きしめるのに対して、ヴァイオレットは両手を下に下げたままです。あれだけ「愛して」「会いたくて」しかたなかった再会としてお互いに愛を確かめるシーンなのになぜお互いに抱きしめ合わない?とここも色々と想像が膨らみます。
わたしは、あれはヴァイオレットの体が動かなかったからではなく、あれこそがヴァイオレットがやりたかったことだったと思えました。なぜならば、あの抱きしめられ方(ギルベルトには抱きしめられて、自分は手を下げたまま)こそが、映画の中でもリフレインされているヴァイオレットがギルベルトにはじめて抱きしめられたときと同じだからです。
ヴァイオレットは「少しは愛しているも分かるようになった」とともに「あの」抱きしめられ方をしたかったのではないでしょうか。なぜならば、ギルベルトに初めて出会い、抱きしめられたあのときに、ヴァイオレットは(その時はその感情のことを知らなかったから気付けなかったけれど)ギルベルトを「あい」しはじめたのだと、あのときから全ては始まっていたのだと示唆しているように思えるのです。
「超マニアック視点:レンズ交換式カメラ動画」
そもそも京都アニメーションさんは背景美術があれだけしっかり設定して書き込んでいるのに(しているからこそとも言えますが)背景を盛大にボカして遠近感などを出してきます。(今回の映画では後ろボケだけでなく、前ボケも多用していることで、遠近感を表現しつつ立ち位置などをわかりやすくなっていました)
レンズ交換式カメラに詳しいものとして見ると、今回のこの映画はカメラの視点からみてもリアリティーを強く感じるものでした。
例えば、ヴァイオレットの世界は電球がないため室内が暗いはずです。その暗い室内を動画で撮影するならば明るいレンズが必須となります。結果、被写界深度は浅くなるので後ろボケだけでなく、前ボケも大きくなるのは自然なのです。(TV版ではF2くらいまででしたが、映画では瞳にだけ焦点があたっているシーンなどではレンズがF1くらいの明るいレンズを使っているように感じました。)
今回の映画の画角、ボケ、タイムラプス、超スロー表現なども多様されていて、京都アニメーションさんの中には、レンズ交換式カメラ動画がとても好きで詳しい方がいると強く感じました。(リズのときもそうでしたが)
このおかげで、職業がら(?)、「あー、このカットは何ミリノンレンズでどのくらいしぼって撮ってるだろうなぁ」などいった視点でも楽しんでみることができました。
以上、映画版の絵コンテを読んでいないので、作り手の方々の意図とは全く違うかもしれませんが、ドルビー版も含めて7回映画を見たわたしの解釈(楽しみ方)でした。
「え?違うのでは?」でも、「もしかしてそうかも?」でも良いので、少しでも多くの方が「よしもう一度劇場で観て確認しよう」と思っていただけたら光栄です。
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