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私の履歴書に勝手にコメントする(一条ゆかり⑦)

このnoteはひでおが、日経新聞の私の履歴書に勝手にコメントを書いていくものである。筆者のご親戚や
お知り合いの方には申し訳ないこともあるが、それはご容赦を!

東京の編集者とやりとりしていたのは昨日出ていたが、僕が想像せぬ形で東京へ道は開ける。そうか岡山の修学旅行先は東京なのか。住んでいたから修学旅行が東京なんて全く想像しなかった。しかも商業高校だから就職を理由に自由行動か。人生の目的がしっかりしている人は、同じ修学旅行というイベントでも、原宿とかウロウロしないで、こうやって活用するのか!と朝から目が覚めた。

しかも講談社の編集者は素晴らしい。同世代の里中さんをちゃんと紹介している。そこで卒業後のアシスタントの道をつけている。だけではなく、他社への投稿までアドバイスしている。紹介と提案、作品の中身にはもちろんアドバイスもしているのだろう。こうやって編集者は、「じっくりと」作家の卵を育成しているのか。

そもそも日本の主要出版社は、大概非上場企業だ。集英社、小学館、講談社。(KADOKAWAは上場企業)。この非上場というマーケットに晒されていない、環境が日本の作品群、ここでいうと漫画を孵化させるには、非常に良い環境なのではないかと思う。つまり、この当時(1960年、70年代)はともかく、もう少し後の時代は、マーケットへの説明が必要で、利益目標などを立てると、こうやって、文通したり、他社を紹介したりなどできないで、とにかく作品作れ!売れる作品作れ!とじっくりと作家の卵を育てる時間がなくなるのだろう。逆に非上場ならしかもオーナー企業ならそのあたりは別のロジックがあったのではないだろうか?働いたことないから正確にはわからないが。

しかも人の縁というのは思わぬ形でくる。元々別冊マーガレットに出そうとした「雪のセレナーデ」は、偶然立ち読みした集英社「りぼん」で見た「第一回りぼん新人漫画賞募集」の告知を目にして、出し先を変え、それが準入選する。これでそのまま別冊マーガレットに賞でない普通の持ち込み的な送付をしていたら、埋もれていたかもしれない。このちょっとした違いが人生を大きく変えている気がする。運とはそんなものだろう。

最後に高校生のはずがホテルのラウンジで「レミーマルタン」をオーダーしているシーンがあるのだが、まー未成年なのに!とか今の常識で目くじら立てるのは、野暮なので皆さんやめましょう。それより有閑倶楽部にずっとある「高級志向」のベースが一条さんご自身にあるのだなと、やはり、元お金持ちの素養がこういうところに出るのかと思うであります。僕は高校時代にそんな名前は絶対に出せなかった。それが僕と一条さんのその後の人生の違いでもある。

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