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今朝のひでお 2022/1/10 次男にその気持ちはわかるまい

成人式である。そういえば成人はもうすぐ18歳になるというが、20歳と18歳が混在する来年の成人式はどうやってやるのか、僕はどうでもいいが、役所関係者は、悩ましいところだろう。面倒だから19歳も一緒にやって、一気に「期づれ」を解消してしまおうとか考えるのだろうか?戦後の混乱期、旧制度を新制度にシフトする際に、在庫一掃みたいな「雑な(笑)卒業」があったと何かで読んだが、その方が、事務コストは格段に下がるだろう。一方で何かも失いそうな感じだが。知らんけど。

さて、次男の中学受験の物語文であるが、なぜか6年になると「離婚ネタ」と「戦争ネタ」という定番の暗いネタが多くなってくるのだが、本当にこれって意味があるのかな?と思いつつ、最近わかったことがある。そもそも、物語文自体も多くは、フィクション(一部の自叙伝風を除く)であり作り話だ。しかも、ご丁寧なことに本当ならわからない「心の声」まで書いてある。こんなことは実生活ではない。相手が何を考え、思っているかを想像しながら、行動するはずである。それを作り話に思いも書いているというある種「特殊な」文章を読んで、問題作成者が意図する解答を選んだり書くという作業である。しかも、その解答はセンター試験レベルならもちろん、通常の試験でも誰が見ても、その答えはおかしくないというものでなくはならないが、一方で、受験生に差をつけなくてはいけないという実は受験生も大変なのだが、作成者も大変なのである(恐らく)。

つまり、文章を読んで回答するのは当然なのであるが、実は大事なのは、「ここで問題作成者は受験生に何を書かせ、選択肢を選ばせたかったのか?」という、問題のその先の作成者を考えて、解けばいいのである。

今回の息子の持ってきた物語文も定番の戦争物である。戦時中、経緯は不明だが、爺さんと孫娘が二人で生きており、食料がなくなってきたので、爺さんが隠し持っていた石鹸を持って、農家に物々交換に行くのである。そうしたら思った以上に石鹸に価値があり、想定以上の食料を手に入れられたのだ。帰りの車中で、痩せこけた二人の子連れの母親が、ほぼ無価値な古い着物を見せ必死な表情で「これでどの位の食糧が得られますかね?」と尋ねたところ、爺さんは「いい着物だね」と言って、孫娘が交換でせっかく手に入れた食料の一部と自分の石鹸をその無価値なボロい着物と交換してしまう。「運がいい時は人に運を与えないといけないんだよ」と孫に言い訳をするが、孫はこんな時期にそんなことができる祖父にどこか嬉しそうであり、そんな自分を非難しない孫娘に普段は口の悪い爺さんも微笑むのであった。という感じの話である。

戦争中は食料難であったことは次男も知っているが、その切迫感が全然わかってない。(僕もあくまでイメージでしかわからないが、祖母などからなんとなく聞いたことがあったし、ガラスのウサギなどを見せられていたのか、まだ小学生でもイメージはあった)。だから、次男は、爺さんがボロ着物と交換したことを「なんか、勿体無いねー」と思ってしまうのだ。さらには、明らかにボロい着物という記述があるのに「いい着物だね」と言った爺さんの訳も、「爺さんは見る目がない」と文字通りとってしまうのである。これでは点数にならない。

書いてある通りのことを読んで回答するだけでは試験にならないし、差がつかないのである。「Aと言っているが、本当はBと思っている」ということを、ここでは「いい着物だとが言っているが、本当はボロいしこんな着物ではとても物々交換できないと思っている」、これがわかるかわからないかで、このストーリーは全然違ってくる。そうしないと単に偏屈な爺さんが孫娘がせっかくゲットした食料を愚かにも無価値なものと交換したという馬鹿な爺さんの話になってしまう。そんなはずはない。そんな文章を入試問題にはしないでしょうという、こういう冷静な判断が必要なのである。

食糧難がわからないと、虎の子である食料を「実質あげてしまう」ことの価値がいまいち分かりにくい。まー余っているんだから一部シェアしてあげればいいじゃない程度になってしまう。それでは爺さんがわざわさ「ついている時は、他の人にあげなさい」というシーンが弱くなってしまう。

もっと笑えたのは、主人公の孫娘が、生まれて初めての物々交換が終わった後、ぼーっとしてしまったというシーンがあり、なぜぼーっとなったのかという問いがある。1つ目は「石鹸が思った以上の価値があったことに驚いた」のであり、2つ目は、「初めてのネゴの緊張から解放された」のである。次男も1つ目は分かった筈であるが、2つ目は分からず、挙句の果てには、「僕は緊張しないけどね!」と喝破したのであった。これには笑えた。次男には、「お前がどう思ったかの問題じゃない」と言っているのだが。。。

国語を得意になるには読書だという人がいるが僕は、読書好きは、悪いことではないが、読書好き=国語の成績が良いということではないと思っている。言い換えると、読書嫌い=国語の成績が悪いということでもないと思っている。そもそも入試や模試の問題は、作家が書いたものの一部なのである。一部の特殊なケースを除けば、短文をなるべく早く読みとき、解答に相応しい部分を見つける「作業」なのである。余計なことを感がず、この作業を粛々とやれば、点数が上がるはずである。

ちなみにこの題材は「踏んでもいい女(斉木香津)」である。

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