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意固地になっていた40代。ー人生の転機」

30代の日本各地の猿猴と、差しさわりのない女性との交際を経て「少し腰を据えて、マジメに暮らすことを考えていました」でも、大阪京都名古屋、この辺りは怖い。お昼はいいが深夜は、ビビりまくる。たぶん、誰も声をかけたり殴ってこないと思っていたが、やはり人の流れの隙間に複数の影を見つけると・・足が退けてくる。えぃ、進むぞ。これで生きてきた。

田舎に居るほうが、知り合いが多いから安全なのは分かっていた。でも、誰も知らない都会の喧騒のなかで「少しお酒を、いい食事を、彼女と・・」そんな不謹慎な気持ちに流されて、期待を裏切らない人生の駒を探していく。たとえば、関西のほうが東京人より話がし易い。とにかく、馴染んでくれる。

もともと、僕が地元で浮いた存在だったのは「仕事ができないこと、周辺の地区に頼りになる仲間がいないことだった。」いい歳して、あの阿呆は遊び惚けていた。そう噂される。怪訝に思う人は「なんか遭ったら、電話して来い」と言う。もちろん、喜んで付き合うのだがおカネばかりがどんどん必要になってくる。

不甲斐ないのは、実力のなさ。そこのところで、「どうしたものか?遊びに出るのを止めた」じつは、これが人生のターンニング地点だった。少しずつ、基礎から勉強を始めた。実用的な国家資格は、20代から勉強したが「ようやく5年単位で学習経験が積めた」この頃から、生意気に世間を、世界を語るようになった。どうしても、忘れていたことは当の女性関係だったが。

長く、自分が欲しいものは結婚して家庭を持つことだと思い詰めて来たが、その根本を失った時間がある。今に思うと、だから今があるんだけど、少し楽だった期間だ。誰しも忘れていた異性の姿がある。好きだから結婚して、お互いのためだから別れる。苦しいことが先頭に立ったことを辛いと決めつけていた。

単純に「再会とか、新しい発見なんて言わない。もう少し、背伸びが出来たら、早くに幸せな二人を過ごせた。ようやくの安息に、子ども心に親をなじって泣いた当時を振り返る。幸せがおまえに味方する頃には、お父さんと私は居ないよ。そうコソコソと笑う母を思い出す・・」

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