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父の戒名ー然したるこだわり。
今春に父が85歳で他界しました。生前、地方の公務員としてマジメに働いて来た方ですし、周囲の家に並んで軒号を頂くつもりでした。只、内心考えていたのは、自分の力で私を押し上げる院号にするという野心でもあります。私の家は、高祖父が「戸長」という公職に着いていた関係で様々な軋轢が生じた時期があります。(故人は、強引に名誉と金銭を得たのです)
葬儀での導師の数5人やお食事会の開催など、いろいろと条件を付けられ、また現実問題として費用や用意が果たせませんでした。信士号になったのは、母や弟は「後から居士に替えられる」と住職さまに聞いていたようです。でも、49日で本位牌をつくり墓誌の用意をしたことで、替えるという安易な方法は選択肢から消えました。
では、住職さまの意味のある戒名を有り難く受け入れようということになります。これには、墓誌を置くという行為は、大きな意味を果たしました。毎日お寺に拝みに行きまして、墓前で考えました。雑念は生じていないか?他家への邪心は起きていないか?どうしても、私の家だけ軽く見られている。という弱音の声が頭に現れます。なにくそ、負けるものか。常に自分に言い聞かせて、父が生前私たち子どもと、それに家族のためにしてくれたことを思い出します。
わしは、弱い存在だった。世間に対する強さも見せられなかった。わしの名誉など、程々でいい。こんな父の声が聞こえてきます。私にたいする戒めである父の戒名に、まだ今から頑張る。家のため、自分の為に力を注ぐ。そう言い聞かせています。