父の背中を超える。これだけが現実だった。
父は、今春他界いたしました。小学時代、父にこさえてもらった「手作りの竹馬」が、とても新鮮で嬉しかったです。私には、父がなぜ母の婿養子ではないのか?という、一見変わった素朴な疑問が幼い頃よりございました。祖父は、父を「兄、兄と呼び、たいへん頼りにしていました」それに、「わしより、お金を作るのも上手い」そう気持ちよく知り合いに話していたことを思い出しています。
私の家も約30年間に及ぶ債務2000万円世帯から、やっと保険金で解放されました。ここまで追いやられても、絶えず父は「苦しい時こそ、辛抱だ。決して油断するな」そう言っていました。母は、少し躁状態が強いことがあり、重大な危機に直面すると「布団を被って、反対に隠れて寝込みます」要するに頼りにならないんです。生まれつきの気性か?アホなところは愛嬌ではもう済みません。家が、家族がバラバラです・・
子供の頃から、他所の家が羨ましかったです。当たり前の普通が当然の世間に一方的にいじけていたのが私のホンネでしたね。友達が普通に許されることを、「なぜ僕だけ、駄目だと言われるのか?」納得のいかぬえこひいきに、「どうせ、親の力か?そんなものに絶対に負けぬ強大な勢力を作る」そう決心していました。「亡き父に、私は葬儀の焼香を投げ捨てるような」ことは致しませんでした。
どんな理不尽なことも、ちゃんと見ている冷静な人がいる。そうどんな苦境に陥っても周囲から言われ続けました。「母が情けないと言うな。そのところを補い支えるのがお前の仕事だぞ」そう覚悟を決めています。
勝ち続ける=常勝です。なぜ、上に就かねばならないのか?私流に表現すれば、諦めたら負けるからです。只それだけの勇気でしたね。