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バーチャルな家族


友達以上家族未満


花園ファミリア
少し変わった家族の話。

大学卒業してから生粋のフラフラ人だったぼくは居候させてもらっていた。
自分自身と向き合うことができずに、誰かの力をかりていたのかもしれない。

家族のきっかけ

元をたどれば街で空き家を探していた友達一行が
花屋のオーナーのフミエさんと出会ったことがきっかけで始まったらしい。

先代のお父様が他界した後、物置のように手付かずとなっていた2~3階をどうしたものかと考えていたところに、ちょうど若者が訪ねてきた。

すぐに引っ越してきて、元々他人であったはずの彼らの不思議な共同生活が始まった。

花園2019
1階が花屋。この先の階段を上がると、2階から共同住宅が始まる。

3年ほど経ってデザイナーのバッタさん、スポーツトレーナーのコウキさん、教師のシンヤさんが主な発起人となって
この場所を新たな世代に受け継ぐために動き出す。

ぼくがこの場所に初めて出会うまでに数えきれない物語があったのだろう。

偶然の再開から

大学を留年し、途方に暮れていた8月だった。
街の神社にある鉄棒で懸垂をしていたら、
向こうから見覚えのあるメガネの坊主頭がニコニコとスイカバーを食べながら歩いてくるのが見える。

バッタさんだった。

2年ほど前に街中で出会い、
ちょうど今お花屋さんの2階に仲間と住んでいて
そこを改修しているから今度遊びにきてよ!
みたいな感じで壁のテキスタイルを剥がしに行ったことがあった。


気づけば居候に

みんなの秘密基地みたいでワクワクして、すぐに作業に参加することになり

一度訪れたことはあったけど、その時とは違う雰囲気があった。

2Fのオフィスに入るとちょうど屋根を解体してるところで、

ODDSCHOOLのシンヤさんとはその時初めて出会った。

握手をして出会ってすぐなのに仲間として受け入れてもらえたような感覚が妙に嬉しかったのを覚えている。


シンヤさんは既存の学校が成立している"行政的な社会"とは別のレイヤーのに、新しい”概念としての学校”を作ろうとしてる人。

その時からSNSのdiscordを使って教え子たちと一緒にオンライン上にソフトウェアとしての学校空間を作ってた。

その初めのハードウェア=校舎がこの花屋だったのだ。

シンヤさんの教え子から始まり、共愛学園、前橋工科大学、続々と若い力が集まってきた。

「何やら面白い場所があるらしい」

と人づてに営業後の花屋の階段を上がるパスをgetして初めてここに来る子たち

公共空間でも、プライベート空間でもない。

このあたたかいアジールに不思議な感覚を抱いていたのだろう。

ぼくはというと
全体的なコンセプトを聞かされ
手を動かしている内に気がつけば住人になっていた。

いや、転がり込むように引っ越してきた避難民だった。

大学の卒業設計直後
実感を伴わない学校教育の建築設計を信じれなくて、
自分が手を動かしたものがリアルに影響を与えている実感がうれしかったのかもしれない。


オープンのときの一コマ。シンヤさん招致で北海道と福岡からゲスト。



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