Part 2
自分の書を貫いていくことに決心したところで、大学に通う必要性がなくなっていくようになりました。大学2年目、ついに【無理】と思う時期がやってきました。なぜ【無理】と思ったのか。
僕の進学した大学は四年制の大学でしたので一年で単位を取れるだけとって二年で遊び三年四年で就活して就職という流れがあります。それに気づいたのは二年生の時でした。周りの多くの学生が遊ぶことに必死になっていました、今しか遊べないと。その環境が僕には不適切でなおかつこのままだと自分がやりたいことができないと思い【無理】と思うところまでに行きました。
大学にとられる時間は朝9時〜遅くて20時。その後、夜中でもバイトをしてお金を稼ぎ自己投資していた。
自己投資はアメリカ留学の資金を作るのと、自分がこの人は本物と思った人のWorkshopやライブに行く費用に使っていた。
大学の講義は90分1日3〜5コマ。6限に自分が選択している講義や必修があると終わるのが20時過ぎになる。スケジュール管理がとても難しい大学でした。大学側がアルバイトなど学業に関係のないことをさせないためと言っていましたが、この方針は今でも大反対です。
僕はアルバイトを通して学んだことがたくさんあります。これらのことは大学では決して学ぶことができません。
ついに大学を辞める決心ができ両親に告げたところ、両親ともに大反対。それまで大学に通いながら活動をしてCanonのダンスコンテスト優勝など自分なりのダンスと向き合い誠意を見せてきたけどいいよの言葉はなかった。特に父、今まで教育に一つも口出してこなかった父。ダンスにかかるお金も全部自分で稼いだのも両親にお金でマウントを取られないため。それなのにここで食い止めるか。と憤りを感じたが何度も話し合いをし、まず休学してそのうちに何か一つのオーディションに受かれば退学許可する。とのところまでって話を進められた。早速大学の事務所へ行き休学したい旨を伝え手続きを終えたところで想定外の事実が判明した。当時僕の中では1年休学して留学などの例を耳にしていたので1年の休学期間だと勝手に思っていた。ところが僕の大学は休学期間が半年の6ヶ月しかなかったのだ。
日本のダンスシーンは縦社会構成なのでオーディションの開催事態が珍しかった。なので、オーディションに受かるかの心配ではなく、オーディションがこの半年間に開催されるかの心配があった。
そんな不安を吹き飛ばすかのような朗報が........
Part 3へつづく......