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偉人達の教育観(No.1 福沢諭吉)

こんにちは。
教育学研究者の卵をしています。

ある日、iPadのiBookを、何気なく見ていると、「教育の目的」という題名が目に入ってきました。
はじめは、教育法の本かな?と思って著者をみると、福沢諭吉と書いてありました。あの「学問ノススメ」で有名なお方です。
そんな学問について、考えに考えぬいてきた人が考える教育の目的とはなんなのだろうか?と興味をもつとともに、お恥ずかしながら、先人たちの教育観というものを知らずに過ごしてきた自分にとって良い機会だと感じ、この本を読んでみることにしました。

すると、まず1行目に
「教育の目的は、人生を発達して極度に導くにあり。」
と書かれてありました。
私は、この文を一読して、意味を理解することができませんでした。
しかし、「さすがだな」と感じたのは、結論を1番初めにもってきているところです。
やはり、賢い人は結論を先に述べることが自然とできるのでしょうか、、、見習いたいです(;^ω^)

では、この1行目の文は、どういう意味なのでしょうか?

この「極度」というのは、「ものごとの限界」という意味です。
つまり、「教育の目的は、人生を発達して極度に導くにあり。」は
「教育の目的は、人を成長させて、最高の状態に導くことだ」と言い換えることができそうです。

そして、彼は、この1文に続けて、こう語ります。
「そのこれを導くは何のためにするやと尋ぬれば、人類をして至大の幸福を得せしめんがためなり。」
この文を考えてみましょう。

先ほど言い換えた「最高の状態」に導く理由は、「人が最高の幸せを得られるようにするためだ」と読み取ることができます。

さらに続けて、「その至大の幸福とは何ぞや。ここに文字の義を細かに論ぜずして民間普通の語を用うれば、天下泰平・家内安全、すなわちこれなり。」
と語り、最高の幸せとは「世の中が平和であること」だと主張しています。

福沢諭吉は、教育の目的をわずか130字で、ぎゅっとまとめています。

彼は、この考えを述べたあとに、具体的な例を挙げて、より分かりやすい説明をしてくれます。

たとえば、殺人をすることはもちろん「世の中が平和であること」という視点からみると、明らかに間違った行動です。
しかし、少しだけ状況を変えると見方が変わります。殺された人が、殺人をした人に、ずっといじめをしていたとしましょう。その殺人をした人の世界では、殺された人が殺人をした人の平和を破壊する人であったともいえます。
そう考えると、殺人をした人の平和を守るためにやったのだから、そういう意味で「世の中が平和である」ためにやった行動で、認められてもいいとなってしまいます。

福沢諭吉は、このような主張に対して、「自分が利益を得て、他人が損をする」ことは「平和」につながらないと語ります。

先ほどの例だと、殺人をした人にとって、自分の世界を守るという、自分の得になることだけを考え、殺された人を傷つけています。

殺人だけに限らず、自国の利益だけ考えて、ほかの国を損させることや
自分の会社の利益だけを考えて毎日働き、自分の家族は、ないがしろにすることなども、結局は「自分」のためだけに行動しています。

それでは、だめだと福沢諭吉は語ります。

彼は、「他人のことを考えられること」が、「世の中が平和であること」につながると考えています。

彼の考えを大胆にまとめると
「他人のことを考えられる人間」を育てることを目指すのが「教育の目的」だといえるのではないかと思います。

では、どうやってそのような人間を育てるのか?
それは、この本の中に書かれていませんでしたが、こうした考え方を知っているだけでも、なにか自分の教育に対する心もちが変わったように感じます。

今後も、様々な偉人の教育観について、まとめてみようと思いました。


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