破壊
自分の人生を変えたければ何かしらの破壊が必要不可欠である。何故なら1日24時間は変えることのできない現実だからである。悩みの9割が人間関係であるならばそこを重点的に意識しなければならない。かと言って都合よく絶縁できるかといってもそうではない。であれば距離を置く、できないのであれば最悪受け入れる等の選択をせざるをえない。今関わっている人間の言葉や思考がそのまま自分に跳ね返ってくる。それだけ近い距離にいる他人に振り回されるのが人間であり弱い所でもあって強い所でもある。それを理解している成功者と言われている奴ら程環境に多大なコストをかける。受験戦争や甲子園常連校が良い例で、未成年の能力何てモノは余程の天才を除くて大した差は無い。つまり環境によって作り出されているに過ぎない。がしかしそれらに関しては親ガチャでほぼ決まってしまう。今は情報の民主化で様々な受け取り方法が無料ではあるが、人生のどん底、落ちるとこまで落ちなければそこまでの方法を探そうという所には中々辿り着が無いし、親や周りの環境が正しいと信じて疑わ無いのが現実である。今後個人でビジネスをやりたいのであればそれらの過去の常識とやらを破壊しなければならない場面に遭遇することが少なくない。まず第一に破壊しなければならないことは他責思考になってくる。従業員マインドを破壊すると言い換えることもできる。マインドに関しては巷でコピペが吐いて捨てる程増産されており何を言うかではなく誰が言ったか問題が過熱している。何故売れないのか、何故自分を選んでもらえないのか、何故ライバルを選ぶのかは全て自分の問題であり自分で解決しなければならない。他責にしている限り売れないし売れたとしても次に来る問題を他責にしてしまう。また他責にしている奴のサービスなんてモノは買いたいとは客には思ってもらえない。他責思考から抜け出せないのであれば歯車が無難であり客からしてもその方が有難い。過去の技術革新何かを見ても何かしらの破壊から新たなサービスが生み出されている。目新しいところで言えばネトフリ。元々は延滞料金を払うのがクソめんどくさいし、そんなことに金を支払うくらいなら別のことに使いたい…つまりは現在の常識を破壊することによって新たなサービスが生み出された象徴である。常に常識を疑い続けなければならない。胡散臭い常識とやらに流されている様ではメディアによる洗脳に踊らされていることを意味する。大自然による災害は破壊と創造の繰り返しである。そこから新たなサービスや未完成の生き物である人間の絆というモノを蘇らせる。何不自由無い暮らしが何をしたらいいのか分からないという悩みを生み出したり、自ら命を落としにいくという現象が加速している点についても、ある意味異常である。動物の世界に於いて自ら命を落とすという行為は人間だけであり、人類最大の発明である言葉が、殺人兵器となりえることも理解しておかなければならない。如何に人間が完璧では無い未完成であるかの象徴でもある。しかし、完璧では無い生物が完璧に近づこうとする姿に心を打たれるのもまた人間である。自分自身の中での葛藤やジレンマが生じた場合、それはある意味チャンスでもある。似た様な悩みに苦しんでいる奴等は多く、それを乗り越えることが出来れば、現時点に於いてもがき苦しんでいる人に手を差し伸べることもできる。調べ尽くせば大体の事は先人達が既に解決策を模索し続けている。無ければ第1号者になれば良いだけであり、それだけで一目置かれる存在へとなり得る。ただ単に視野が狭いだけの理由が殆どであり、そうであるならば視野が狭い状態の自分自身を破壊しなければならない。それには毎日同じ生活の繰り返しからの脱却が必要不可欠である。昨日自分とは違う何か別の行動や全く別の価値観を持っている人や住んでいる世界やジャンルがが違う人と接することによって過去の自分を破壊するきっかけ作りになってくる。いきなり大きなことをやる必要はない。って言うか出来る訳がない。何故なら本当出来る奴等はこんな文章に辿り着かない。行動のド素人や破壊のド素人供が模索し続けた結果辿り着くからである。何事も小さく始める赤ちゃんと同じである。ハイハイから始める。毎日同じルートで帰宅しているのであれば別のルートで帰宅する。毎日コンビニで買い物をしているのであれば1度も買ったことが無い1番安いアイスやドリンクを試して見る。その感想をSNSやブログにアップして見る。いつの間にかコンビニマスターになっているかもしれない。そんな些細な出来事からでしか多くの人間は変わることができない。何故ならクソどうでも良い情報に踊らされ別にやりたくも無い仕事や無駄なことに脳が刺激され忙しいという錯覚に陥り謎の疲弊感に覆われ昨日と違うことをすることが煩わしく面倒で仕方が無い奴等で埋