家族が亡くなって悲しくないどころか離れたかった
祖母(以下故人)を偲んだお祈りと、その献杯ということで母方の親戚との会食に2、3日親戚の住む地方に行ったはなしをします。
そこまで重くないよん♪
執筆時に聴いていた曲です。
お祈り
故人や宗教などプライベートな話題がほとんどなのであまり話せることはありませんがね。
「お祈り」って何をどう、どんな気持ちですればいいのかが分からなかった。
誰かが亡くなった時にお祈りなんてした事なかったし、泣くほど悲しくもなかったんです。報せを母から聞いた時からずっとそう思っていた。
むしろ車酔いで吐きそうな思いをして祈りの場に連れてこられて、勘弁してほしい思いが強かった。(思っても言っちゃダメだよ)
一応形だけでも手を合わせて、目を瞑って、頭を下げる。
本心でなくてもいいから「亡くなってその、悲しかった」とか「もっと一緒に過ごせると思っていた」とか思えればよかっただろうか。
それがきっと正しい心の役目。
でも故人は気が強く、私と話が合わない人だった。私の趣味や学校の話なんて聞いても分かるはずがない、興味なさそうに聞いていたのを覚えている。
誕生日やクリスマスは毎回「お金さえあげれば今の子は満足するんだろう」と暗に言うかのように5000円を渡してきた。
私が大学受験で「高望みをして立教を志望校にしているんだ」と話したら、故人自身は大学に行っていないのに「立教なんて金出しゃ誰でも行ける」と過激に宣っていたのを今でも憶えている。(私の高校は58~60ほどの半端な所です)
どこか他人のような存在だった。そして、ヤンチャな他人は特に怖い。
何を考えているか腹の底は分かったもんじゃない。
小学生の頃からネットが友達なので特段、家族団欒に対する特別な思いはなかった。
リアルでの付き合いより、ネットからみた景色から夢や活路を見出したタイプの人間でした。
加えて、そもそもさして親孝行な息子だった自覚もなく、むしろ迷惑ばかりかけてきたバカ子であるという負い目ばかり感じていたので、亡くなって話す機会が減ったと思うと少しホッとする。
私は自分でそうは言うものの、目の前で生きて動いて喋ってハグしてあげるだけで、親御さんは嬉しく思うのでしょうね。
特段故人と不仲ではなかったけど、こう書くと薄情に見られるでしょうか。
「大切な人が亡くなっても心から悲しめない人は人として信頼できない」とかって。
不謹慎なもの言いなんて誰だって好きではないのは分かります。でも「話題にしてはいけない悪のタブー」なんて思わずに、1noterの本音として読んでみてはいかがですか?
「面白くない」と思うようにはさせませんから😉
特に、部活や勉強や恋愛など方々で活躍するいわゆる「リア充」寄りの人などはこの文章には心の底から共感しなさそうですね
それだけです。
空気感
親戚の一人の送迎の車がマジで酔いすぎて、歩いて、イオンの救護室で休んで、その後酔いにくい電車に乗ることにしたので店には大分遅れて着きました。
なんか知らない人いっぱいいて「別の客の部屋上がっちゃった!?」と思ったんですが、
「お?あぁ、Seina君!こんにちは〜どう?最近元気?」みたいな感じにこられた。一応「こんちは〜」って返したよ。
(こういう挨拶ではマジで体調のこと答えなきゃいけないのかなと思っているくらいのコミュ障が私です)
後になって分かったのですが、あの手の挨拶は生存確認くらいの意味合いなんだそうです…(怪談風)
そして私の分の料理はまだ来ておらず暇だったので、辺りをじっと見回してみました。
金髪の人、姪っ子、酒飲みで喋り声の大きなおじさん、おばさんなど、知らない人が5、6人くらいは居た。冒頭でも書いたけど母方の親戚だけでこの数だよ!
人多いぃぃぃぃ
こっち見ないで怖いぃぃぃぃ親戚とか知らんからマスク外したくないぃぃぃブスバレるぁぁぁぁぁ
しかも酒やタバコ吸ってる人!いい大人が昼間っからなんでやってるの??(理不尽)ヤクザみたいで怖いんだけど…
あまり話しかけてこないでください話せることありませんので怖いので😅
窓からの眺めは少し霧がかっていたけど、岩場に微かな赤潮が見えました。
料理が来た!よし!会食の暇つぶしに料理食べよう!
鯛茶漬け?やったーーーーーー!!!!!
そして黙々と食べつつしっかり鯛チャンの美味しさも味わいました。イカのゲソ天も食べたけど歯応えあって美味しかったですね!
苦手な漬物とかもあったけど、親戚が集う場で「ママこれ食べてくれない?」とか言えないので一応全部食べました。
そして食べ終わって話す事がないので、一人でゲームをしていました。
親戚の子も弟もゲームしてたし、大人の話はよく分からないので。そしたら、親戚のおしゃべりなおじさんが「若いのは皆下向いちゃって〜(ふんわり苦言)」みたいなこと言い出すんですよ。
いや、悪いか?!! こっちだって間を保たせるの必死なのに遠回しに行ってこないで???と思いました。
その後はなぜかお年玉をもらいました。喜びたいところだけど、元カノの思い出の品とはバイバイしたいあの心理と似たものを覚えましたね!
そして駐車場に戻ってやっと帰れるかと思ったら、親戚の家に連れてかれました。
モノトーンで天井の高いオシャレな家でしたが、なんかローンで建て替えたそうです。確かに「こんな家に(一人で)住んでみたいなぁ」と思えるような、澄んだ海といい森といい立地ともに良い家でした。
ただ、「この家と周辺の森全部ウチらが好き勝手していい土地だから」みたいな風に言いながらローンしちゃう所が、なんか世捨て人に似たものを感じたんですよね〜
何かを悟って山で自給自足しようと思い至って、一代で財を成した誰もが知る敏腕起業家の肩書を捨てたみたいな。少し寂しいものを感じました。親戚の子も学校行きにくそうだし。
そしてコーヒーと源氏パイを頂きました。私と親戚の物静かなおじさんはベランダの外の空気を吸いながら一服したわけですが、おじさんは急に
みたいな事を言い出したんですよ。
彼も会食の場ではあまり喋ってなかったですし、まぁ性格は似てるんでしょうけど、いや距離の詰め方!
地方の内向的と都会の内向的とじゃ雲泥の差だから、気は合わんと思うよ…
とまぁ、そんなこんなで自慢気なのは頭から消え去り何しに来たのか分からないまま、ホテルに帰ったわけです。
帰り際に、おしゃべりなおじさんに「君らも東京の都会のシステムに疲れちゃったら遠慮なくおいで!たまにはリフレッシュしようよ」的なことを言われたのですが、気持ちだけ受け取りました。
リフレッシュする時は代々木公園か葛西臨海公園あたりでも行こうかと思います。
忘れたい事が多すぎて帰りの車では音楽ばっか聴いていました。
まとめ
やっぱ思うのは、ママからの事後報告だったのもあるけど、私って親の親が死んでもあまり悲しまないタイプなんだなということ。普通の人が悲しみの海に溺れて時間を消費してしまう所を、私はすぐに気持ちを切り替えられるのでそこは強みだよね。
それと、親戚とか近しい人との付き合いより、自分のことを知らない人と広く繋がる方が楽しいってこと。
高校でも自己紹介や名刺なんてなかったけど、割と仲良くやれてるので、そういうビジネスライクと親友の中間くらいの距離感を保てると、私のメンタル的にはすごくいい。
でもまぁ、今後親戚付き合いをすることは全くないと言っていいかも。
大分書き始めてから日が経ったので記憶が途切れ途切れですが、読んでくれて有難うございます。
それでは。