欅坂46
あれは大学2年の時
自動車教習所の待合スペース
初めてみた衝撃は今も忘れない
「とんでもないのが現れた」
それがMVを見た第一印象だ。
彼女らのパフォーマンスは形容し難い。
キラキラというには影がある。
ロックというにはか細い気がする。
クレイジーが近いかと思ったけど、それにしては葛藤がある。
結局のところ「欅坂である」
それ以外の言葉が見つからなかった。
稚拙な言葉であえていうとするならば「破壊と再生」。
秋元康は二次創作を自分に対して何度も行う形で、ムーブメントを起こしてきた。
おニャン子クラブに対してのAKBがあり、AKBに対して乃木坂があり、乃木坂に対して欅坂があり、けやき坂(日向坂)があり、、、というふうに。
その中で僕が一番好きなのは(個別の推しが各グループに存在することは容認される前提で)欅坂46だ。
欅坂46の魅力は特に「刹那性」が色濃く僕にとって感じられるからではないかと自分では考えている。
ここでいう「刹那性」とは、同じパフォーマンスは2度と見られないかもしれないという感覚だったり、明日にはいなかったことになるかのではないかと錯覚させる危うさ(これも僕の錯覚なのかもしれないが。)の総称を自分なりに言い表したものだ。
この言葉は欅坂のパフォーマンスや楽曲を見聞きしたときに、特に後々自分の中に残るものに対して感じた感覚(それは他のグループには感じたことのない)をいいあらわそうとしたものであり、かのグループの魅力の原点そのものであると思っている。
特に僕にそう感じさせるのは、センターの平手友梨奈の影響が大きいだろう。
彼女の魅力はテレビバラエティではあっちゃんよりも生駒ちゃんよりもこさかなよりも発揮されているとは感じない。
けどパフォーマンスが凄い。
画面越しでも射抜かれる目力とか、平井堅とFNSかなんかでコラボしたときのパフォーマンスとか。
マジ半端ねぇから。
ただ、彼女の魅力はそれだけでは成立し得ないと僕は思う。
それは真夏の全国ツアーでの欠席、紅白歌合戦での失神、バラエティ番組の長期の欠席(後に映画の撮影と分かるのだが、僕的にはマジでなんかあったんじゃないかと心配した。)といった「もうこれ見逃したら2度見れないんじゃないか感」。
観客は思う。
「このパフォーマンスを見逃せば次見る機会は2度と来ないかもしれない。」
そして、集中する。
彼女の、彼女らの一挙一動に。
そこから僕は想像する。
ステージ裏での苦悩を。葛藤を。
そして感じとる。
その上での団結を。覚悟を。
彼女らがステージ上で出した答えが目の前でただ圧倒的に存在している。
僕は初めて自覚的になる。
たった2時間のライブの、あるいは5分の音とダンスの中に凝縮されたものを。
そしてそれを感じ、熱狂する。
言葉が表せる以上のことを、言葉よりもはるかに短く、多く伝えるものがある。
その事実に僕を自覚的にさせてくれる。
いつしかその目は他のメンバーにも見られるようになった。
そして、これから入ってくるメンバーにはどう形を変えて受け継がれるのか、受け継がれないのか。
今後もその「刹那」にであう為にまた長い暗闇をそれでも彷徨う。
(了)
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