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【書籍】『致知』2024年10月号(特集「この道より我を生かす道なし この道を歩く」)読後感

致知2024年10月号(特集「この道より我を生かす道なし この道を歩く」)における自身の読後感を紹介します。なお、すべてを網羅するものでなく、今後の読み返し状況によって、追記・変更する可能性があります。


巻頭:後藤俊彦さん「歴史に学ぶ―わが国の真の姿を取り戻し、先人のご恩に報いる道」p4

 後藤氏が、日本の歴史や文化、そして現代社会が直面する課題について深く掘り下げて述べています。彼の言葉は、過去の教訓を現代に生かすための大切な示唆を与えてくれます。

1. 歴史的な災害とその教訓
 日本の歴史には、天災や災害が繰り返し発生し、それが社会全体に大きな影響を与えてきた事例が数多く存在します。例えば、天明年間(1782年頃)には、東北地方を中心に冷害が続き、大飢饉が発生しました。この災害により、数十万人もの人々が餓死し、日本全体で深刻な人口減少を招きました。この冷害の原因の一つには、浅間山や岩木山の噴火による火山灰が太陽光を遮り、気温が下がったことが挙げられます。自然の猛威にさらされた過去の日本人は、その状況を神の戒めとして受け止め、自らの行動を省みる機会としました。そして、罪や穢れを祓い清めることや、正しい道に従って生きることの大切さを学び、人々の倫理観や道徳心を育んできました。

 また、「時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめ給へ」という和歌が示すように、古代の日本人は自然という超越的存在に対して畏敬の念を抱き、その力に対する祈りを捧げるしか術がなかったのです。このような自然に対する畏怖と敬意は、現代に生きる私たちにも必要な姿勢であり、過去の経験から学ぶべき重要な教訓だといえるでしょう。

2.戦争の悲劇と平和への願い
 8月15日は、日本にとって終戦記念日として特別な日です。この日は、第二次世界大戦の終結を記念し、多くの民間人や兵士が戦争で命を落としたことを思い起こし、彼らの魂を慰めるための時間でもあります。特に、日本ではこの日が夏の「お盆」の時期とも重なり、戦争で亡くなった人々への慰霊と鎮魂の月として特別な意味を持っています。戦後、日本は戦争の悲惨な経験をもとに、平和国家としての理想を掲げ、不戦の誓いを立ててきました。そして、その誓いのもとに、社会や経済の復興に力を注ぎました。戦後の日本の歩みは、まさに平和と繁栄を目指したものであり、戦争を二度と繰り返さないという強い決意に支えられてきました。

 しかし、現代においても世界各地で戦争や紛争が絶えることはなく、平和の祭典とされるオリンピックの最中でさえ、ロシアとウクライナ、イスラエルとハマスの間で熾烈な戦闘が繰り広げられています。現在進行しているこれらの戦争では、国際法で義務付けられた民間人の保護が無視され、人道的な配慮が欠けている状況が続いています。このような状況を見ると、人類の歴史において戦争が不可避な政治問題の解決手段として捉えられている限り、地上から戦争がなくなることはないのかもしれません。

3.日本の歴史と国際社会での立場
 
第二次世界大戦後、日本は連合国軍の占領下に置かれ、東京裁判を経て、侵略国家としての汚名を着せられました。特に、戦争の責任が日本の誤った民族主義と封建的体質にあるとする印象を与えるために行われた東京裁判は、戦争の全ての責任を日本に押し付ける「復讐裁判」とも言われています。この裁判以降、日本は国際社会において不利な立場に立たされ、戦後の歩みを進めてきました。

 しかし、日本の敗戦がなければ、当時植民地支配下にあったアジアの国々の独立とその後の自由と繁栄はなかったかもしれません。日本の軍事行動がアジアの解放を促した一面もあることは事実であり、この歴史的事実を正しく認識することも重要です。また、戦後の占領政策では、神話や古典教育が禁止され、日本の精神的な基盤が弱体化されました。神話と古典に根ざす日本の伝統が失われることで、日本人のアイデンティティが薄れてしまったのです。

4.日本の独自の文化と歴史への誇り
 日本には、欧米とは異なる独自の文化と歴史があります。例えば、日本の天皇は古来より、権力を持つ存在ではなく、国の平和と安寧を祈る存在として位置づけられてきました。また、江戸時代の封建領主である上杉鷹山は、領主としての責任を果たし、領民のために仁政を行うことを信念としていました。
 これらの事例は、日本におけるリーダーシップのあり方が、欧米のそれとは異なることを示しています。欧米では自由と民主主義が近代国家の普遍的条件とされていますが、日本においては、これらの価値観もまた、日本の風土や伝統に根ざしたものでなければ、本当の力とはなり得ないと考えられています。

5.現代の挑戦と歴史から学ぶ必要性
 現代社会は、再び大きな変革期を迎えています。専制主義国家が台頭し、民主主義国家の陣営を脅かしている現状があります。国際政治が急激に変化する中で、日本もまた、自国の歴史を振り返り、そこから学ぶ必要があります。特に、先の戦争で犠牲となった多くの人々の願いを受け継ぎ、新しい日本の建設に向けて取り組むことが求められています。昭和天皇が戦争終結時に詠まれた御製「身はいかになるとも戦とどめけり自由も民主主義もわが国の風土や伝統に根ざしたものでなければ真の力とはなり得ない」という言葉が示すように、日本の歴史や文化を守り抜く覚悟と努力が、今まさに求められているのです。

 後藤氏は、日本の歴史や文化を重んじることが、現代の課題に対処する上で非常に重要であると強調しています。歴史を正しく理解し、それを未来への指針とすることで、私たちはより良い社会を築いていくことができるというメッセージを伝えています。

リード:藤尾秀昭さん 特集「この道より我を生かす道なし この道を歩く」p8

 この文章は、武者小路実篤の「この道より我を生かす道なし、この道を歩く」という言葉を軸に、さまざまな偉人たちが自らの道をひたすらに歩み続けた姿勢と、その教えについて深く考察しています。

  1. 武者小路実篤の言葉の背景と意味
     武者小路実篤は、日本の大正から昭和時代にかけて活躍した作家であり、その人生において「この道より我を生かす道なし、この道を歩く」という言葉をしばしば色紙などに書き残しました。彼がこの言葉を初めて書いたのは35歳のときであり、その後90歳で亡くなるまで、繰り返しこの言葉を書き続けています。この言葉には、彼の作家としての生き方に対する揺るぎない決意と、自らの道を貫くという強い意志が込められています。
     彼にとって、作家としての人生以外には自分を生かす道はなく、他の選択肢は一切考えなかったのです。このような姿勢は、他の分野で活躍した人々にも共通しており、各々が自らの選んだ道を一心不乱に深めていくことが、人生の本質であると強調されています。

  2. 『致知』の編集方針と成長の要因
     本誌『致知』は、昭和53年の創刊以来、46年間にわたって発刊され続けています。その中で、「良き師、良き友との出会いがなければ、真の成長はない」という考えを大切にし、その理念に基づいて編集方針を進めてきました。これは、高僧・青山俊董氏の教えに基づいており、彼は「同じ波長の電波を持ち合わせていなければ、良き師、良き友との出会いはない」と述べています。仕事や人生に真剣に向き合い、自らの道を探求し続ける人々と共に歩むことで、本誌は多くの読者にとっての「心の糧」となり続けてきたのです。
     『致知』の編集方針は、そうした同じ波長を持つ人々との共鳴を大切にし、その結果として、道の大家と呼ばれる人々とのご縁をいただき、多くの貴重な知見や教えを誌面で紹介することができたとされています。

  3. 本誌に多大な影響を与えた四人の恩師
     『致知』が人間学誌として成長する過程で、決して忘れてはならない四人の恩師がいます。彼らは、安岡正篤、森信三、平澤興、坂村真民という人物で、それぞれが深い学問と実践を通じて人間学を追求し、その道を極めた偉人たちです。
     藤尾氏は、安岡正篤師とは直接の出会いはなかったものの、彼の教えは本誌の思想に深く影響を与えています。特に、安岡師が高弟の伊與田覺氏に語った「君は僕の形骸を学んではいけない。僕は孔子の求めたものを求めて学んだ。君は僕の求めたものを求めて学べ」という言葉は、人間学を学ぶ者の指針として非常に重要であり、常に心に留めておくべき教えとされています。

  4. 各師の具体的な教えとその意義

    • 安岡正篤の教え
       安岡師は、人間の浅はかさと無力さが「宿命」を招くとし、逆に、磨かれた人間は「運命」を切り拓くことができると説いています。彼の考えでは、与えられた運命の先に、自分自身の運命を築いていくことこそが、真の人物となるための条件であり、それが人間学の本質であるとされています。また、最高の教育を受けたとしても、その後の自己鍛錬がなければ立派な人間にはなれないとも述べています。これらの教えは、自己成長と人間的成熟の重要性を強調しています。

    • 森信三の教え
       森信三師は、人間の進歩と退歩について「人間は進歩か退歩かのいずれかであって、その中間はない」と述べています。現状維持をしているつもりであっても、それは実際には退歩している証拠であり、常に前進を目指す姿勢が重要であると強調しています。また、「休息は睡眠以外には不要という人間になること。すべてはそこから始まる」という言葉からは、徹底した自己鍛錬と努力の重要性が伝わってきます。彼の教えは、常に進歩を求める姿勢と、自己の限界を超えて努力することの大切さを教えています。

    • 平澤興の教え
       平澤興師は「生きるとは燃えることなり」と述べ、人間として燃えることを忘れてしまう生き方は気の毒なものであるとしています。教育とは単に知識を教えることではなく、心に火をつけることであり、教師自身が燃えていなければ生徒の心に火をつけることはできないとも述べています。彼の教えは、人生に対する情熱と、他者に影響を与えるためにはまず自らが情熱を持つことの重要性を強調しています。また、何歳になっても成長を続ける姿勢が重要であると説いており、常に自己成長を追求することが人間としての生き方であると教えています。

    • 坂村真民の教え
       坂村真民師は「一に求道、二に求道、三に求道、四に求道、死ぬまで求道」と、求道に対する徹底した姿勢を持ち続けました。彼の詩には、「いつも嵐が吹いている。それが詩人というものだ」という言葉があり、詩人としての生き様と精神的な強さを表現しています。彼は何事も本腰にならなければ良い仕事はできず、新しい力も生まれないと強調しており、真剣に取り組むことの重要性を説いています。彼の教えは、全力で生きることと、常に自己の道を追求し続けることの大切さを強調しています。

  5. 最後に
     『論語』からの引用「士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し仁以て己が任と為す。また重からずや。死して後已む、また遠からずや」という言葉が引用され、道を歩む者の心構えについて述べられています。この言葉は、志を持つ者は広い度量と強い意志を持ち、人々の心に眠っている徳を目覚めさせることを任務とすることが非常に重要であると説いています。
     また、それを死ぬまで続けることの大切さも強調されています。このような教えは、人生において何かを成し遂げようとする者にとって、非常に深い意味を持ちます。自らの道を信じ、それを全力で貫くことこそが、真の人間的成長を遂げるための鍵であると、この文章は締めくくっています。

 今回のリード文は、多くの偉人たちの教えを通じて、人間としての成長と道を歩むことの重要性について深く考察しています。人それぞれが異なる道を歩んでいても、その中で見出される共通の真理や教訓は、我々にとって非常に価値のあるものと感じます。

一筋の道を歩み見えてきたもの 青山俊董さん(愛知専門尼僧堂堂頭)、山川宗玄さん(臨済宗妙心寺派管長)p10

 臨済宗妙心寺派の管長を務める山川宗玄師と、曹洞宗の尼僧として長年修行と教えを広めてこられた青山俊董師との対談が取り上げられています。対談は、二人がそれぞれ歩んできた長い仏門の修行の道を振り返りながら、禅や仏教に対する深い理解と、それをどのように現代の生活や仕事に応用できるかについて、非常に示唆に富んだ話が展開されています。

 まず、山川宗玄師は、五歳という幼少の頃から仏門に入った青山俊董師を非常に尊敬し、その生き方を「授かりの人生」と称えます。青山師は、仏道に導かれるようにして出家し、その道を歩み続ける中で多くの困難や修行を通じて、自身の信念を深めてきた人物です。彼女は、日本国内でも特に厳しい修行の場とされる道場で雲水(修行僧)たちを指導してきた経験を持ち、また、自身も修行を重ねながら成長してきました。対談では、その道のりを振り返り、特に人を育てるということが、単に教えるだけではなく、共に成長する過程であることを強調しています。青山師は、自分が雲水を導いてきた中で、実は彼らによって自分も育てられてきたと感じていると述べています。この言葉には、指導者であっても、学ぶ姿勢を常に持ち続けることの重要性が込められています。

 山川宗玄師もまた、修行の道を歩んできた経験を通じて、精神的・肉体的な限界を超える体験をしています。特に印象的なのは、彼が正眼僧堂での修行中に体験した苦悩とそれを乗り越える瞬間の話です。修行生活は過酷であり、彼は何度も自分が限界に達してしまうのではないかと恐れを抱く中で、ふとした瞬間に「生きているのではなく、生かされている」という感覚に到達します。この悟りの瞬間を通じて、修行が単なる自己鍛錬や苦行ではなく、心身を超えた深い悟りに導くための重要なプロセスであることを実感したのです。彼の言葉は、修行に限らず、私たちが困難に直面した時に、それを超えていく力を持っていることを教えてくれます。

 さらに、青山俊董師は、雲水たちに教えを伝える中で、自らが感じている人間的な感情や弱さを正直に語ります。彼女は、人を育てることの難しさと、それと同時に得られる学びの豊かさについて話しています。特に印象的なのは、彼女が「渡すよりも渡されるばかりの人生であった」と述べた点です。これは、彼女が指導者として多くの人々に教えを渡してきたと思われがちな立場にありながら、実はその過程で自分自身が多くの教えや学びを受け取ってきたという謙虚な姿勢を示しています。この言葉からは、リーダーシップとは単に教える立場にいることではなく、共に歩む者たちからも学び、自らを成長させるものであるという深い洞察が感じられます。

 山川宗玄師もまた、自身が修行を通じて感じた限界と、その限界を超えた先にある悟りについて語ります。彼は正眼僧堂での過酷な修行生活の中で、体が限界に達しそうな状態になり、ついには倒れることで修行を終えられるのではないかと考えるようになります。
 しかし、倒れないままに修行を続ける中で、ある夜、ふと「一時間半も寝られるのか」という前向きな思考に変わり、その瞬間に心の中で何かが崩れ落ち、涙が止まらなくなったと語ります。
 この体験を通じて、彼は「生かされている」という感覚に目覚め、それが修行に対する新たな意欲へと繋がったと言います。この話は、限界に達した時にこそ、真の成長や悟りが訪れることを示しており、私たちが困難に直面した時にそれを乗り越える力を持っていることを教えてくれます。

 対談を通して、二人はそれぞれの修行の道を振り返りつつ、仏教や禅の教えがどのように現代に生かされるべきかを考えています。彼らは、仏教の教えが単に宗教的なものにとどまらず、現代の私たちの生活や仕事にも深い意味を持つことを強調しています。山川宗玄師は、「自未得度先度他」(自分がまだ救われていなくても、まず他人を救う)という言葉を引き合いに出し、現代においても宗教者としての役割は、人々と共に生き、共に成長していくことにあると説きます。彼は、すべての人が互いに支え合い、共に歩むことで、社会全体がより良くなっていくと信じています。

 青山俊董師もまた、「万法に証せらるる」という道元の教えを引用し、私たちがこの世に生かされていることへの感謝と自覚の重要性を説きます。彼女は、自分たちが天地の中で生かされている命であることを意識し、その上で他者と共に生きることの大切さを強調しています。このように、仏教や禅の教えが現代社会にどのように適応されるべきかを考えることが、彼らの修行の道の一部であることがわかります。

 最後に、二人は自らの修行の道がまだ終わりを迎えていないことを強調し、その道を限りなく歩み続ける決意を述べています。
 山川宗玄師は、一雲水としての初心に戻り、目の前の仕事や役割にひたすら打ち込むことで、管長という立場を務めていると言います。
 青山俊董師もまた、仏道の入り口に立ったばかりだと感じており、仏教の教えを次の世代に伝えるために、自らの修行を深め続ける決意を新たにしています。

青山 私はたった一度の命を何に懸けるかという思いでこの道を歩ませていただきました。それでも、やっと仏道の入り口に立ったという、全くお恥ずかしいくらいの思いでおります。 澤木老師が「深まるほどに足りない自分に気づく」とおっしゃいましたが、道元様のあれだけの教えのほんの一部しか分かっていないことを思います時に、まさに「道無窮、道窮まりな「し」との思いを強くしています。
道無窮の思いで一歩でも半歩でも自分を深めさせていただきたい、人々に本当の意味での幸せは何かをお伝えしたい。そして、二千五百年存続していただいた教えを弱めず、歪めず次の世代に伝えていきたい。そういう誓願を抱きながら、これからも命ある限り歩いていきたいと思っております。

『致知』2024年10月号 p19より引用

 この対談を通じて、二人が語る仏教や禅の教えは、単に宗教的なものであるだけでなく、私たちの生き方や仕事に通じる普遍的な教えであり、現代においてもその価値が失われることはないことが示されています。彼らの言葉からは、私たちが人生の中で何を大切にし、どのように生きるべきかについて深く考えるための示唆が多く得られます。

<人事の視点から考えること>

 この対談を人事の視点から考えると、特に、リーダーシップや人材育成に関する要素が、現代の組織運営や人事管理においても非常に重要であることが分かります。

1. リーダーの成長と自己研鑽
 青山俊董師と山川宗玄師が語る「自らが育てられている」という視点は、リーダーシップにおける自己研鑽の重要性を示しています。リーダーは部下やチームを育てる存在ですが、それと同時に、自身も彼らとの関係を通じて成長するという謙虚さが大切です。これは現代の人事においても、特にリーダーシップ開発や継続的な教育の重要性と一致しています。リーダーが一方的に指導するだけでなく、部下からのフィードバックや日常の業務を通じて自己成長を図ることが求められます。

2. 部下育成における寛容と厳しさのバランス
 
青山師の「渡すよりも渡されるばかりの人生」という言葉からは、部下や後輩を育てることの難しさと豊かさが感じられます。人事の視点からも、部下育成には寛容さと厳しさのバランスが重要です。現代の人材育成では、単に業務のスキルを教えるだけではなく、自己成長を促し、失敗から学ぶ機会を提供することが必要です。
 特に、山川師が言う「倒れたいと思いながらも倒れない」という体験は、チャレンジングな状況に置かれた従業員が限界を超えるためのサポートの必要性を示唆しています。過度に保護的な環境ではなく、適度なプレッシャーと自己成長の機会を提供することが組織にとって効果的です。

3. 自己認識とチームの調和
 
山川師が修行中に「生きているのではなく、生かされている」という感覚に至ったエピソードは、自己認識の重要性を強調しています。人事においても、個々の社員が自己の役割や貢献を自覚し、組織全体の一部として調和を取ることが重要です。社員が自分の仕事に意義を見出し、チームの一員としての役割を深く理解することで、チームワークが強化され、全体としてのパフォーマンスが向上します。この自己認識は、リーダーシップの育成だけでなく、全社員のエンゲージメント向上にも寄与するものです。

4. キャリア形成と選択の自由
 
青山師と山川師の対談には、「授かりの人生」と「選ぶ人生」という対比が見られます。この考えは、現代のキャリア形成にも当てはまります。多くの社員がキャリアの道を自ら選ぶことができる時代になりましたが、それでも多くの人が環境や状況に応じてキャリアを歩んでいくことになります。人事担当者としては、社員が自分のキャリアを意識し、自発的に成長するための環境を整えることが重要です。同時に、環境や運命に左右される部分があることも理解し、その中で最大限のパフォーマンスを発揮できるよう支援することが求められます。

5. 現代に求められるリーダー像
 
対談の中で、青山師と山川師が共に語る「三宝に依る」という仏教的な考え方は、現代のリーダーにも通じるものがあります。リーダーは単に業績を上げるだけでなく、チームや組織のためにどれだけ貢献できるかを考える必要があります。リーダーが自分の利益だけを追求するのではなく、組織全体や次世代に貢献するという視点を持つことで、長期的な組織の成長が期待できるでしょう。このようなリーダーシップの育成は、組織文化の形成や、社員のモチベーション向上にも大きく影響を与えます。

6. 仕事に対する姿勢と自己成長
 
青山師が引用した「万法に証せらるる」という道元の教えは、日常の仕事に対する姿勢にも深く関連しています。人事の視点からは、社員がただ業務をこなすだけでなく、自分がその業務を通して何を学び、どのように成長していくかを意識させることが重要です。青山師が言うように、「すべての一瞬が修行であり、学びの機会である」という考え方を組織全体に浸透させることで、社員の成長意欲を引き出し、組織全体のパフォーマンスを向上させることができます。

7. 世代を超えた知恵の継承
 
青山師と山川師が強調している「次世代に教えを伝える」という姿勢は、人材開発においても重要なテーマです。組織においても、次世代のリーダーや人材に知識や経験を効果的に伝えることは、組織の持続的な成長に欠かせません。経験豊富なリーダーが、自らの知恵や洞察を次世代に伝えることで、組織全体の知識基盤が強化され、持続可能な発展が可能になります。このため、人事部門は、メンター制度や社内教育プログラムを通じて、知識や経験の継承を促進する仕組みを作ることが求められます。

 この対談は、仏教や禅の教えに基づくリーダーシップや人材育成に関する深い洞察を与えてくれます。リーダーや人事担当者にとって、部下を育てるだけでなく、彼らとの相互作用を通じて自身も成長すること、そして長期的な視野で次世代に教えを伝えることの重要性が強調されています。人事の観点から、この対談の示唆を活かすことで、組織全体の発展に貢献できるのではないでしょうか。


人を喜ばせたい、その一心が我が経営人生を導いてきた 櫻田 厚さん(元モスフードサービス会長)p20

 櫻田厚氏が、自身の経営人生や創業者である叔父、櫻田慧氏から学んだ教え、さらには彼を支え導いた母親の言葉について、非常に詳細かつ感慨深く語っています。櫻田氏は、2023年に会長職を退任し、半世紀にわたって携わってきたモスフードサービスの経営から完全に引退しました。引退後もセミナーや講演会を通じて、経営の本質や自らの経験を次世代に伝える活動を続けています。

 櫻田氏の人生における大きな転機のひとつは、1997年に叔父であり創業者である櫻田慧氏が急逝したことです。この出来事は、モスフードサービス全体に大きな衝撃を与え、フランチャイズ加盟店のオーナーや関係者に不安と動揺をもたらしました。当時の櫻田氏は、叔父の跡を継ぐ形で社長に就任し、経営の舵取りを任されることとなりましたが、この経験から「創業者が突然亡くなると、会社全体に予期せぬ変化が生じる」ことを痛感しました。
 櫻田氏はその後、社長職にある間にしっかりと後継者を選び、引退の準備を進めることが大切であると考えました。彼自身が47歳で社長に就任して以来、後継者の選定に着手し、特に50歳を過ぎてからは、役員一人ひとりと時間をかけて話し合い、彼らの能力や志向性を慎重に見極める努力を重ねました。さらに、役員だけでなく、社員やフランチャイズ加盟店のオーナー、さらには取引先など、多方面からその人材に関する評価を集め、総合的に判断を行ってきました。

 最終的に、現在の社長である中村栄輔氏を後継者として選定した理由についても、櫻田氏は詳しく語っています。中村氏は櫻田氏とは異なる視点を持ち、周囲と協力しながら新しい経営手法を取り入れることができる人物であることを評価しており、また、彼が若くして社長職を引き継ぐことで、今後20年以上にわたって経営を担えるという点も重要な要素となりました。櫻田氏は、モスフードサービスの経営は「自分の会社」ではなく、「未来の会社」であるという考えに基づいており、後継者を選ぶ際にも「自分に従う人」を選ぶのではなく、「会社の発展に貢献できる人材」を選ぶことを第一に考えたと述べています。さらに、退任後は相談役や顧問に就くこともなく、完全に経営から退いた理由としては、会社に自分の影響が残ることを避け、次世代の経営陣が独自に運営できるようにするためだと語っています。

 櫻田氏は、引退後もモスフードサービスの理念や経営哲学を広める活動を続けており、特に「櫻田塾」といった形でモスの文化を次世代に伝えることに情熱を注いでいます。彼の講演やセミナーは、モスフードサービスの加盟店オーナーや若手経営者、さらには商工会議所からも依頼を受けており、これまでに蓄積した経験や知識を共有することを使命と感じています。彼自身の人生や経営に対する熱意と情熱は、今も変わらず、力の続く限りその役割を果たしていきたいと強調しています。

 モスフードサービスの創業当初の話に戻ると、櫻田氏は、叔父である櫻田慧氏が、証券会社時代に訪れたアメリカ・ロサンゼルスの小さなハンバーガーショップ「Tommy's」に強く影響を受けたことを語っています。Tommy'sの独特なピリ辛のメキシコ風ソースやアフターオーダー方式の調理法に感銘を受けた櫻田慧氏は、その経験を基に日本で同様のハンバーガー店を開業することを決意し、これがモスバーガーの原点となりました。帰国後、創業者の熱意と人柄に触発された企業やメーカーが協力し、日本人の味覚に合うハンバーガーを作り上げた結果、モスバーガーが誕生しました。この成功の背景には、創業者の強い意志と熱意があり、それが周囲の協力を得るための原動力となったことを話しています。

 また、櫻田氏自身も、幼少期に母親から「人を喜ばせること」の大切さを教えられ、その教えが彼の人生を導く重要な指針となったと述べています。特に幼少期に母親から靴を磨かせてもらい、その時に母親から褒められた経験が、彼の「人を喜ばせる」ことへの情熱を育むきっかけとなりました。櫻田氏は、母親の一言が彼の人生の道を決定づけ、経営者としての成功にも繋がったと語っています。

櫻田 そんな私の人生・仕事の原点を形づくったものは何かと考えると、母親とのある出来事に行き着くんですよ。まだ私が三、四歳頃のことでしたが、母は毎朝父の靴をピカピカに磨いて仕事に送り出すのを習慣にしていました。幼いながらに自分もやってみたいなと思っていたところ、母が「厚、やってみなさい」と実際に靴を磨かせてくれたんです。 そして、 小さな手で一所懸命に靴を磨いてい私の姿を見て、大好きな母が「厚はすごいね」と褒めてくれた。この母の褒め言葉によってスイッチが入った私は、それから人を喜ばせること、笑顔にすることが大好きな子供になったんです。

『致知』2024年10月号 p26より引用

 さらに、モスフードサービスの一号店が成増にオープンした際のエピソードや、マクドナルドが近隣に進出してきた時の対処法についても言及されています。マクドナルドが出店した際、櫻田氏はスタッフたちに「HDC」(ホスピタリティ、デリシャス、クレンリネス)という三つの基準を徹底し、掃除、商品品質、接客態度を一層強化することで、競争を乗り越えました。このような基本的な取り組みが、モスバーガーの発展に繋がり、競合にも負けない強みとなったと語られています。

 櫻田厚氏の経営哲学や人生観、そしてモスフードサービスの成功の裏にある情熱と努力を余すところなく伝えており、彼の言葉からは、リーダーシップの本質や人間としての成長の重要性が深く感じられれる内容でした。


この世から僕の仕事がなくなる日を目指して ~教育相談の現場から~ 奥田健次(学校法人西軽井沢学園創立者・理事長)p38


 この記事は、長野県で学校法人西軽井沢学園を設立し、サムエル幼稚園やさやか星小学校を創立した奥田健次氏の教育理念と、その経緯を取り扱っています。奥田氏は、不登校や問題行動を抱える子どもたちの行動を変えるために「行動分析学」を基盤とした独自の教育方法を実践しており、その成果から、数多くの家庭や教育機関から教育相談の依頼を受けてきた実績を持っています。

 奥田氏のの人生において、特に幼少期に受けた家庭内暴力が、教育者としての彼の理念形成に大きな影響を与えました。幼い頃、奥田氏は継父から暴力を受ける日々を送り、これが彼の「叱責や体罰のない教育」という考え方の土台を築きました。彼は自身が体験した「父親という存在の欠如」や「暴力による心の傷」を背景に、子どもたちが健全に成長できる環境を整えることが何より重要だと考えるようになりました。

 奥田氏が実践する教育の特徴は、子どもたちの行動を叱責や体罰を使わずに変容させることにあります。例えば、ある子どもがプレゼントを拒否する態度を見せた際、彼は感情的に怒ることなく、その行動が自らにどのような結果をもたらすかを自然に学ばせる方法を取ります。
 具体的には、彼が好む景品を獲得する機会を与え、拒否した結果としてその機会を失うという形で子どもに「後悔」を体験させます。この「後悔」の感情が、子どもが自分の行動を反省し、次に正しい行動を選ぶきっかけとなると彼は考えています。このアプローチは、従来の教育方法とは異なり、叱責や罰則を伴わないため、子ども自身が自らの行動を見つめ直す力を育むものです。

 さらに奥田氏の教育方法は、子ども一人ひとりの成長に合わせた「パーソナライズ学習」を重視しています。これは、学力の向上だけでなく、対人関係を築く力や社会性を育てることを目的とし、個別の指導計画を策定して実行するというものです。子どもたちが自分のペースで学び、成長していくことで、単なる知識の詰め込みではなく、社会で必要とされるコミュニケーション能力や自己肯定感を高めていくことができます。

 また、奥田氏の教育理念は、科学的なアプローチに基づいていることも特徴です。彼が研究している「行動分析学」は、行動の変容を科学的に分析し、適切なアプローチを見つけ出す方法論であり、これに基づいて行動を変える教育が実践されています。例えば、子どもが特定の行動を繰り返す理由を分析し、その行動を強化している環境や要因を見極めることで、望ましい行動を促進し、問題行動を改善することが可能になります。この方法は、一般的な「叱る」「褒める」といった感情的な対応とは異なり、科学的根拠に基づいたアプローチを取るため、長期的に安定した効果をもたらすことが期待されています。

 奥田氏は、自身の教育理念が広く普及し、学校や家庭で自然と取り入れられるようになることを目指しています。彼は理想として、「僕の仕事がなくなる日」が来ることを願っています。つまり、相談が一切不要になり、家庭や学校、地域社会がすべてうまく機能し、問題行動が発生しない理想の社会が実現することを夢見ています。残念ながら現在は、その理想に到達するには遠い状況であり、彼のもとにはますます多くの相談が寄せられている現状です。しかし、彼はこの理想をあきらめず、自身の知識や技術を次世代に引き継ぎ、教育システムの変革を目指しています。

 奥田氏はまた、自らの手で設立したサムエル幼稚園やさやか星小学校を通じて、新しい教育システムを社会に提示しています。彼はこれらの学校を、行動分析学に基づいた理想の教育を実現する場所として位置づけており、これらの試みが広がることで、家庭や学校での問題が減り、社会全体がより健全になることを期待しています。彼が全財産を投じて学校を設立した背景には、このような大きなビジョンがあります。

 さらに、奥田氏は自身の経験を通して、「逆八方美人」という信条を持っています。彼は親や教師が嫌われることを恐れずに、子どものために正しいことを伝えるべきだと考えており、たとえ反発を受けるとしても、正しい教育のためには譲らない姿勢を貫いています。この信念は、教育業界においても一部の人々から批判を受けることがありますが、彼にとっては「正しいことを行うことが最優先」であり、結果として、彼の理念に共感する人々が増えているのも事実です。

 ここで紹介してきたような方法は、理解のない親御さんからは嫌悪感をもって非難され、世間からも非難されがちです。 子育て支援に携わる人のうち、親がよかれと思ってやってきた方法が誤っていたら「間違っていますよ」と伝えて、正しい方法を伝授できる専門家がどれほどいるのでしょうか。親に嫌われないようにしようと思あまり「八方美人」に陥った支援者が非常に多いと感じます。
 僕の信条は「逆八方美人」です。僕はいつでも、相手が誰だろうと正しいと思ったことを恐れず伝えてきました。 当然、嫌われることは多くあります。それでも、特に教育業界では間違った方法が蔓延っていると感じるため、嫌われてナンボ、初めから嫌われたほうがいいとさえ考えて行動しています。 正しいことを言い続けていれば、必ず共感してくれる人も現れます。

『致知』2024年10月号 p42より引用

 奥田氏の教育理念と実践は、現代の教育における大きな挑戦であり、彼が描く未来像はまだ遠いかもしれません。しかし、彼の信念と努力が、今後の教育改革に大きな影響を与えるでしょう。彼の歩む道は、決して平坦ではありませんが、彼を支持する親や教師たちが集まり、彼のビジョンを共有することで、教育現場が少しずつ変わっていくことが期待されます。

常に考える——創業精神の継承が会社の未来を創る 山田雅裕さん(未来工業相談役)p44

 未来工業は、1965年に山田氏の父である山田昭男氏によって設立された会社で、電気・設備資材を製造するメーカーです。設立以来、50年以上もの間、一度も赤字に転じることなく、毎年10%以上の経常利益を継続的に出し続けています。

 同社の企業理念は、「常に考える」という非常にシンプルなものです。このスローガンは、社員の自主性や創造力を最大限に引き出すための基本的な考え方であり、他の多くの企業と一線を画す独自の企業文化を形成しています。
 一般的な企業では、目標達成のためにノルマを課したり、上司からの指示が強調されることが多い中、未来工業では「常に考える」という理念が、社員一人ひとりのやる気やモチベーションの源となり、社員が自発的に提案や改善を行う文化が根付いています。

 この「常に考える」というスローガンには、単なる言葉以上の意味が込められており、実際の制度や社内の運営方法にもしっかりと反映されています。
 例えば、社員が行った提案に対しては、採用・不採用に関わらず一律500円の報酬を支給する提案制度が設けられており、この制度を通じて社員の積極的な提案活動が促進されています。年間で提案数が200件を超えた場合には、別途5万円の報酬が支給されるなど、社員のやる気を高めるためのインセンティブも整備されています。

 この提案制度は、単に金銭的な報酬を与えるだけではなく、社員が自分の考えを積極的に発信し、それが会社全体の改善や効率化に繋がることを目的としています。実際に、この制度が導入されたことで、未来工業の社員たちは、自分の仕事に対して積極的に向き合い、新たなアイデアや改善提案を行うようになり、特に男性社員は車の購入や結婚、家の購入といった大きなライフイベントが近づくと提案数が急増する傾向にあります。山田氏はこの点について、「社員が何らかの形で会社に貢献しようとする意欲が高まるのであれば、周囲が何と言おうと、この提案制度を続けていく価値がある」と語っています。

 同社では、このような提案制度を通じて社員一人ひとりの創造性を引き出し、業績の向上にも繋がっています。例えば、熊本工場では年間で200件を超える提案が行われ、それをきっかけに他の工場でも提案合戦が始まりました。その結果、提案数は年間5000件以上に達し、最大で23000件以上の提案が行われた時期もありました。
 このように、社員の提案活動が活発になることで、会社全体が活気に満ち、業績の向上にも大きく貢献しています。具体的な提案内容としては、工場内の作業効率を改善するための提案や、設備の運用をより効果的に行うためのアイデアが多く挙げられています。

 また、未来工業の企業文化では、提案がどんなに些細な内容であっても決して否定せず、一度は受け入れるという姿勢が徹底されています。この「否定しない文化」は、社員のやる気を低下させないための重要な要素であり、たとえ提案が不採用であっても500円の報酬が支給される仕組みがその背景にあります。山田氏は「人は否定されるとモチベーションが下がってしまうものです」と述べ、社員の意欲を引き出すためには、まずは受け入れることが大切だと強調しています。

 さらに、未来工業では、上司が部下に命令することを基本的に禁止しており、部下が仕事に納得して取り組む環境を整えることが重視されています。山田氏は、「命令されて仕事をするよりも、仕事の意義や自分の特性を活かせる理由を説明し、納得して取り組んでもらう方が、はるかにモチベーションが上がる」と語っています。このように、社員一人ひとりの自主性と主体性を尊重し、やる気を引き出すことが、未来工業の成功の鍵となっているのです。

 創業者である山田昭男氏の経営哲学もまた、未来工業の成長に大きく貢献しています。山田氏は、創業当初からノルマを設けず、目先の利益にとらわれない長期的な視点を重視してきました。ノルマがないことで、社員はプレッシャーから解放され、じっくりと考え、商品開発や改善に取り組むことができるようになっています。また、山田氏は残業を禁止し、決められた時間内に効率よく仕事を終わらせることを重視しており、この方針が高い利益率を維持する秘訣となっています。

 山田雅裕氏は、未来工業の発展は「常に考える」という創業者の精神の継承にあると語り、社員との信頼関係が会社の成功に不可欠であると述べています。社員一人ひとりが自分の役割を理解し、主体的に行動することで、会社全体が成長し続け、現在では売上440億円、経常利益70億円を達成するまでに至っています。

 記事から、未来工業の成功の要因が社員の自主性と主体性を重視する企業文化にあることが浮き彫りにされており、「常に考える」という創業者の精神が、会社全体の成長と発展の原動力であることが明らかになっています。

先にもお伝えしたように、当社は創業者の「常に考える」から生まれた独自の社風、他が真似できない商品があったからこそ、ここまで生かされ、歩んでくることができました。どの企業も同じだと思いますが、創業の精神こそ当社を生かす道そのものなんです。

『致知』2024年10月号 p47より引用

 多くの企業でも、残業禁止、一旦は受け入れる、改善提案などは実施されていると思います。しかし、トップの意志がここまで明確に反映されている企業は少ないのではないでしょうか。

この道より我を生かす道なし この道を歩く 王 貞治さん(福岡ソフトバンクホークス会長)道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)さん p60

 和食界の巨匠である道場六三郎氏と、世界的な野球のレジェンドである王貞治氏が語り合い、それぞれの道を極めるためにどのような思いと哲学を持ち続けてきたかを語っています。
 道場氏は93歳、王氏は84歳という高齢にもかかわらず、二人とも若い頃から研鑽を積み、今も第一線で活躍し続けています。彼らの対談を通じて、成功の秘訣や人生をどう生き抜くか、そして後進への指導における心構えなど、さまざまなテーマが掘り下げられるように思います。

 道場六三郎氏は料理の道を歩む中で「小細工をせずに正直に作る」という信念を大切にしてきたことを語ります。彼は、料理を通じてお客様に感動を与えるためには、見た目にも味にも真心が込められていなければならないと考えています。小細工をして一時的に良く見せることはできても、長く続けることはできず、真に心を打つ料理は誠実さが求められるということです。
 これに対して王貞治氏も、野球において小細工をして勝つのは一時的なものでしかなく、本当の勝利は基本に忠実であること、そして長期的に努力を惜しまず続けることが肝心だと話します。二人の信念には共通する部分が多く、どちらも自分の道を貫く中で妥協せず、真剣に向き合う姿勢が重要であることが強調されています。

 道場氏はまた、料理に対する姿勢だけでなく、彼が修業時代に学んだ細かな心配りや礼儀作法が現在の自分を形成したと述べています。修行中の若い頃、道場氏は常に先輩たちに対して敬意を持ち、彼らの靴を揃えたり、白衣をきちんと畳んでおくなどの些細な気遣いを欠かしませんでした。彼は、こうした気遣いが人間関係を円滑にし、先輩たちからも可愛がられた結果、現在の成功に繋がったと感じています。
 一方で、王氏もまた、荒川博コーチとの厳しい練習の日々が自分を大きく成長させたと語ります。王氏は荒川コーチから毎日夜遅くまで特訓を受け、それによって自分の限界を超え、野球に対する新たな視点を得ることができたと話します。二人とも、厳しい師匠やコーチとの出会いがいかに自分たちの人生を変えるきっかけとなり、成功へと導いたかを感謝しており、その経験が後進を指導する際の基盤となっていると述べています。

 また、二人の対話の中で頻繁に出てくるのは「氣力」の重要性です。道場氏は、年齢に関わらず新しいことに挑戦し続けるためには氣力が欠かせないと考えています。93歳という高齢にもかかわらず、今でも毎日ゴルフを楽しんだり、健康のために散歩を続けるなど、体を動かすことを日課としています。それを支えているのが氣力であり、氣力がなければ前に進むことができないと強調します。
 王氏も同様に、氣力を失うことが最も恐ろしいとし、どんなに年を重ねても前に進むための氣力を保つことが何よりも大事だと述べています。特に、彼らのようにプロの世界で成功を収めてきた人物にとって、氣力を保ち続けることが、さらなる成長や新たな挑戦を可能にする鍵であるという考え方が共通しています。

王 私はいまでも「氣力」という言葉を書きます。 道場さんが「小さな勇気」とおっしゃったように、最初の一歩を踏み出す時に氣力がなければ体は動きません。年齢に関係なく、氣力さえあれば何とでもなるんです。私はどちらかと言と余韻を楽しむほうではなく、過ぎたことは過ぎたこととして、どんどん前に向かって進んでいく性分でしてね。やっぱり氣力が大事です。いま道場さん九十代、私八十代ですけど、人間にとって一番の敵は氣力をなくすことですよ。
道場 本当にそうだなと思いますよね。やっぱり氣力がなくなると歩みが止まってしまい、滅びゆくのみ。王さんの言われる氣力を持って、これからも一日一日を大切に生きていこうと思います。

『致知』2024年10月号 p70より引用

 この対談では、人生の試練や逆境に対する考え方も重要なテーマとして取り上げられていました。
 道場氏は若い頃、経営者に騙され多額の借金を背負った経験がありましたが、その逆境を乗り越えられたのは、お客様や仲間たちの支えがあったからだと語ります。彼は逆境を乗り越えるためには、自分一人の力ではなく、周囲の人々に感謝し、その力を借りることが重要だと考えています。
 王氏もまた、現役時代にスランプに陥ったことがありましたが、最終的にはそれを乗り越え、より高いレベルに到達することができました。逆境は一時的な挫折ではなく、次のステップに進むための跳躍台であると考え、困難に立ち向かうことがさらなる成長に繋がると二人は共感しています。

 さらに、道場氏と王氏は共に、後進の指導においても同じように氣力や努力が大切であると強調します。
 王氏は監督として選手たちを導く際、結果だけに一喜一憂せず、プロセスを重視し、選手たちに考えさせる指導を心がけてきたと言います。特に大事なのは、どんなに厳しい状況でもブレずに続ける姿勢であり、そうした姿勢が結果的にチームを強くするのだと述べています。
 一方で道場氏も、料理人としての後輩たちに対して、細かな気配りや礼儀作法を徹底させることで、彼らがプロとして成長するための基礎を築いてきました。どちらの分野でも、成功するためには、日々の小さな努力を怠らず、自分自身を厳しく問い続ける姿勢が求められるという共通の考えがあります。

 2人の対談を通して分かるのは、「この道しかない」と覚悟を決め、自分の選んだ道を真摯に歩み続けることの重要性です。
 道場氏は、料理の道を恋人のように愛し続けており、その道を外れることなく生きてきたことを誇りに思っています。
 王氏もまた、野球という道を歩んできたことに感謝し、ホームランを打つ瞬間の快感やファンの笑顔に支えられてきたと語ります。二人に共通するのは、自分たちの道を究め続ける中で得た経験と、それを後進に伝える使命感です。

 彼らは共に、人生において最も大切なものは「人」であると結論づけます。人との出会いや支えがなければ、どんなに才能があっても成功には繋がらず、感謝の気持ちを持つことが人生を豊かにするということです。
 道場氏は「料理は想いやり」であるとし、料理を通じて相手に対する感謝や思いやりを伝えることが大切だと強調します。
 王氏もまた、チーム全体の志を一つにして勝利を目指すことが、監督としての最大の役割であると話します。成功は一人では成し得ないものであり、人との絆や支えがあってこそ、道を究め続けることができるという彼らのメッセージは、どの世代にも通じる普遍的な教えです。

 この対談を通して、道場氏と王氏はそれぞれの道で成し遂げたことを振り返りながら、人生における教訓や成功の秘訣を語り合い、その中から私たちは多くの学びを得ることができます。彼らが実践してきた努力、氣力、感謝の心を、自分自身の人生で活かさざるを得ません。

人事の視点からの考察

 この対談における道場氏と王氏の教えや哲学を人事の視点から考えると、リーダーシップ、後進の育成、組織の文化形成に多くの学びを得ることができます。彼らが強調する「氣力」「努力」「感謝」といった要素は、現代の組織運営や人材育成においても非常に重要なポイントです。いくつか考察してみます。

人材育成における厳しさと支援のバランス
 道場氏が師匠から受けた厳しい指導や、王氏が荒川コーチから受けた特訓のエピソードは、後進育成において厳しさが必要であることを示しています。彼らの成功の背景には、厳しい指導が自らの限界を超える力を引き出したことがありました。しかし、この厳しさは単なる厳格さではなく、愛情や支援が伴っていることが重要です。
 人事部門としては、従業員が自己の成長を感じられるようなフィードバックを提供しながら、彼らのモチベーションを維持し、成長機会を与えることが求められます。単なる厳しい環境を押し付けるのではなく、支援を伴った厳格さが重要です。

逆境を乗り越える力の育成
 道場氏も王氏も、逆境を乗り越えることでさらなる高みへと到達したと述べています。人事部門としては、従業員が困難な状況に直面したとき、それを成長の機会として捉えられるようなサポートを提供することが重要です。
 例えば、適切なフィードバックやメンターシップ制度を活用し、従業員が自己を見つめ直し、自己改善に取り組むきっかけを提供することができます。また、失敗を恐れずチャレンジできる企業文化の形成も、逆境に対処する力を育むために必要です。

組織文化としての「氣力」維持
 氣力とは、モチベーションややる気、活力のことを指します。道場氏と王氏が共通して語る氣力の重要性は、組織の中でも従業員のやる気を引き出し、持続させるための鍵となります。
 人事部門としては、従業員が自らの力を最大限に発揮できる環境づくりや、適切なチャレンジを提供することが重要です。また、従業員の成長意欲を支える制度やプロジェクトの導入、さらには心理的安全性を確保するための取り組みも、氣力を維持するために必要です。特にリーダー層においては、部下に対して積極的なフィードバックを行い、彼らのやる気を高めることが求められます。

キャリアにおける「道」を見つけるサポート
 道場氏が料理を、王氏が野球を「この道」として歩み続けたように、従業員一人ひとりが自分のキャリアにおける「道」を見つけ、それに向かって努力し続けることが重要です。
 人事部門としては、従業員が自分のキャリア目標を明確にし、それを達成するためのサポートを提供する役割があります。キャリアカウンセリングや自己成長プログラムを通じて、従業員が自分の強みや興味を見つけ、その道を追求するためのリソースを提供することが効果的です。

リーダーシップにおける「氣力」と「感謝」の姿勢
 道場氏と王氏は、リーダーとして氣力を持ち続け、常に前進し続ける姿勢を示すことが、組織やチームの成功に不可欠だと語っています。
 人事の視点からは、リーダー層がこのような姿勢を持ち続けるためのサポートが必要です。リーダーシップトレーニングやコーチングプログラムを通じて、リーダーたちが氣力を高め、部下に対しても感謝の気持ちを示すことを促すことが大切です。リーダーが感謝の気持ちを持ち、部下やチームのメンバーに対してその想いを伝えることが、チーム全体のモチベーション向上につながります。

継続的な学習と成長の支援
 道場氏と王氏の対話から学べるもう一つの重要なポイントは、常に学び続け、自己を高めようとする姿勢です。道場氏が新しい料理のアイデアを取り入れたり、王氏が基本に忠実であり続けたように、組織内でも従業員が常に学習し、自己成長を目指す文化を醸成することが重要です。
 人事部門としては、研修制度やスキルアップのためのプログラムを整備し、従業員が継続的に成長できる機会を提供することが求められます。

パフォーマンス評価とフィードバックの重要性
 また、道場氏と王氏が強調する「過程を重視する姿勢」は、人事におけるパフォーマンス評価にも通じます。結果だけでなく、努力のプロセスや日々の小さな進歩に対しても正当な評価を行うことが、従業員のやる気を高め、長期的な成長を促進します。定期的なフィードバックや評価の機会を設け、従業員が自分の成長を実感できるようにすることが重要です。

まとめ
 道場氏と王氏の対談にある哲学や姿勢は、従業員育成、組織文化の形成、リーダーシップの強化において非常に有益な指針を与えてくれます。彼らが説く氣力や感謝、逆境を乗り越える力といった要素を組織内でどのように活かすかが、人材の成長と組織全体の発展に繋がるでしょう。

可能性の扉を開けられるのは強い意志と行動 及川美紀(ポーラ社長)p100

 及川氏がどのようにして強い意志と行動力を持ち続けながら、自身のキャリアを築いてきたかが非常に詳細に語られています。1991年にポーラに入社し、その時代としては珍しく、女性にも総合職の道が開かれていた企業文化に強く惹かれました。
 多くの企業では、女性が結婚や出産を理由に退職を余儀なくされる時代背景がありましたが、ポーラでは男女平等が尊重されており、及川氏はこの環境に身を置くことで、結婚後もキャリアを継続することができると確信しました。

 埼玉での販売会社への出向を経験する中で、様々な年代のビューティーディレクター(BD)やショップオーナーとの直接的なやり取りを通じて、多くのことを学びました。その経験は、ただ教えるだけでなく、相手から多くのことを教えられる貴重な機会となり、彼女自身の成長にも大いに役立ちました。特に、彼女は自分の指導方法に対する厳しいフィードバックを受けながら、人間的な成長の重要性を強く実感し、その後のキャリアにおける基盤を築いていきました。

 ポーラは、単に化粧品を販売する会社ではなく、人を育てる会社としての一面を大切にしています。そのため、社員やビューティーディレクターの成長が何よりも重要視されており、及川氏もこの精神を継承しています。彼女が社長に就任した後も、個肌対応ブランド「APEX」のように、長年蓄積してきた肌データやAIを駆使した分析を活用し、お客様一人ひとりに最適なスキンケアを提供することを目指しています。このようなデジタル技術の進化と共に、社員やBDとの丁寧なカウンセリングを通じたサービス提供を続け、顧客との信頼関係を深めています。

 また、2029年の創業100周年に向けて、ポーラは「We Care More.」という行動スローガンを掲げ、目の前の人を大切にしながら、社員一人ひとりの可能性を最大限に引き出し、社会に貢献することを目指しています。この取り組みの一環として、女性管理職比率を50%に引き上げるという大きな目標を掲げ、ダイバーシティの促進に力を入れています。現在のところ、総合職の男女比はほぼ半々であるものの、管理職に占める女性の割合はまだ少ない状況です。そこで、女性が家事や育児を理由にキャリアを諦めないよう、支援体制の充実やウェビナー・勉強会を通じて、性別や年齢に関係なく、誰もが活躍できる環境づくりを進めています。

 及川氏のキャリアにおいて特に重要な転機となったのは、30代半ばで挑戦した管理職の昇任試験です。長年の努力に自信を持って挑戦しましたが、一次審査で落とされるという挫折を経験します。この出来事をきっかけに、彼女は自分自身の姿勢や考え方を見つめ直すようになります。当時、彼女は「自分が誰よりも頑張っている」という思い込みから周囲の期待や現実を見失っていました。しかし、周りからの厳しいフィードバックを受けて、自分がいかに近視眼的であったかに気づきます。この経験を通じて、彼女は自分が本当に目指すべきビジョンを見つけ、組織を一流にするという強い思いを抱くようになりました。

 その後、読書やビジネス書に没頭し、リーダーシップやチームマネジメントに関する知識を深めることで、次の昇任試験に合格します。埼玉エリアのマネージャーに抜擢され、その後も多くの指導者から厳しい指摘を受けながら、リーダーとしての在り方を学んでいきました。彼女は、人の可能性を信じ、力を発揮するまで辛抱強く待ち続けることがリーダーとしての重要な役割であることを学び、その教えを今でも大切にしています。

 及川氏は2020年に社長に就任しましたが、その直後に新型コロナウイルスのパンデミックに直面しました。お客様と直接会うことすらできなくなり、ポーラの「お手渡しの心」を大切にする企業文化にとっては大きな打撃となりました。しかし、彼女はこの危機を乗り越えるために、社員一人ひとりが自分自身の意見を発信し、自ら考え行動することを促す改革を推進しました。社内では「尖れ、つながれ」という行動スローガンを掲げ、社員の強みを発揮しながらチームプレーを重視する文化を醸成しました。

 この改革の結果、業務改善や新規事業提案が急増し、社員の自主性と創造力が組織全体に広がっていきました。及川氏は、社員が自発的に行動し、アイデアや成果を生み出すことで、組織の繁栄がもたらされると強調しています。彼女は「可能性の扉は自動ドアではなく、強い意志と行動によって開かれる」と社員に伝え、人々が協力し合い、支え合うことで初めて扉が開かれると信じています。

 彼女自身の経験からも、困難に直面した際には周囲のサポートが不可欠であると実感しており、社員にもその重要性を説いています。ポーラのサービスを通じて、お客様一人ひとりの本来の美しさを引き出し、幸せに貢献することが、及川氏にとって最大の喜びであり、彼女の強い信念でもあります。

「何としても扉を開けたい」という強い意志であり、行動なんです。こう言うと、努力せよっていうふうに捉えられがちなんですけど、必ずしもそうではありません。一人で扉の前に屈み込むのではなくて、必死に叩いたり、叫んだり、「開けたい」という意志を表明する。そうすれば、かつての私がそうだったように、応援してくれる人たちが必ず現れます。社会は人と人が織りなすものである以上、周りの人に助けを求め、共に支え合って扉を開けていくことが大切だと心の底から実感しています。ですから、私たちのサービスを通してお客様一人ひとりの本来の美しさを引き出し、幸せに寄与することがこの上ない幸せなんです。

『致知』2024年10月号 p103より引用


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