不確実性を生かすービジネスにおける決断しない力と戦略的先延ばしー小川仁志さんの哲学的思考から
日経ビジネス2024/4/15の記事に『不確実な時代に必要なのは「決めない技術」と「意義ある先延ばし」』が掲載されていました。哲学者の小川仁志さんによる記事です。
本記事では、不確実な時代におけるビジネス思考力として、「あえて決めない技術」と「意義ある先延ばし」という二つの重要なアプローチを掘り下げています。現代社会はパンデミック、戦争、技術革新、気候変動といった多様な課題に直面しており、これらの状況はビジネス環境における不確実性を一層強めています。このような不確実性が高い状況では、従来の即断即決の決断力よりも、柔軟性を持って対応する「あえて決めない技術」が求められています。「決めない」とか「先延ばし」とか、何か悪いようですが、この不確実な時代においては大変有効なのではないかと感じます。
「あえて決めない技術」とは、具体的には19世紀の英国ロマン主義の詩人、ジョン・キーツが提唱した「ネガティブ・ケイパビリティ」(消極的受容力)に基づいています。この概念は、解決が難しい問題や不確実な要素をそのまま受け入れ、答えを急がずに考える時間を持つことを可能にします。キーツは、詩的な創造性と直面する不確かさとの間でこの能力が特に重要だと考えていましたが、ビジネス環境においても同様に、多くの可能性を開けておくことが重要であると言えます。
また、古代ギリシアの哲学者セクストス・エンペイリコスの懐疑主義も参考にされています。彼の懐疑主義は、あらゆる主張に対する即座の評価を避け、判断を一時保留にする哲学です。これは、どの選択肢も完全に正しいとは限らないため、どちらの選択も疑うことができるという点において、ネガティブ・ケイパビリティと相通じるものがあります。ビジネスにおいても、このような保留の判断が、より良い選択を後から可能にする場合があります。
一方で、「意義ある先延ばし」というテクニックも重要です。これは、アメリカの哲学者ジョン・ペリーが提唱するもので、先延ばし行為が必ずしも否定的な結果をもたらすわけではないという考えに基づいています。ペリーは、特定のタスクを意図的に後回しにすることで、他の創造的な活動に集中し、結果的に全体の生産性を向上させることができると述べています。これには、気が進まないタスクを後回しにし、その間に自分の興味や情熱を感じる活動に没頭するという戦略が含まれます。そして、締め切りが迫ることによるプレッシャーが、最終的にはタスクの効率的な完了を促すというわけです。
不確実な時代におけるビジネス思考力において、決断を急がず、一時的な決定や判断の保留がむしろ有効であると述べています。また、どのような決定も将来的には変更可能であるという認識のもと、不確実性を前向きに受け入れながら進むことが最善の戦略であると述べています。それにより、進行中のプロジェクトや意思決定においても、臨機応変な対応が可能となり、持続可能なビジネス戦略を築く上での柔軟性が保たれるのです。
「あえて決めない技術」と「意義ある先延ばし」の人事領域への応用
不確実性が高まる現代のビジネス環境において、人事も、従業員の採用から維持、育成に至るまで、多くの意思決定を迫られます。「決めない技術」と「意義ある先延ばし」という哲学的なアプローチは、新たな視角を提供し、より効果的な戦略を構築するためのツールとして機能するといえます。
「決めない技術」の適用
ビジネスにおける「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、不確定な要素や不完全な情報の中で、最終的な判断を保留する能力を指します。人事管理においてこれは特に有用で、未来の多様な可能性を開かれた状態で保持することが、より柔軟な対応を可能にします。たとえば、企業が新技術を導入する際、技術の成熟度や市場の反応が未知数である場合、全面的な採用ではなく段階的な導入を選択することで、リスクを管理しつつ、状況に応じた調整が可能となります。
この技術は、人事領域では人材採用、人材育成プログラムの設計、組織文化の変革時に有効です。完璧な計画を待つのではなく、初期段階でのフィードバックを活用し、プロセスを進行中に改善することで、最終的な成果を最大化することができるでしょう。
「意義ある先延ばし」の戦略
ジョン・ペリーの提唱する「意義ある先延ばし」という考え方は、プロクラスティネーション(先延ばし)を積極的な戦略として捉え直します。これは、人事においても、特にパフォーマンスの評価や昇進の決定など、重要な意思決定に対して非常に役立ちます。すぐに決定を下すのではなく、より広く評価の期間を設けることで、従業員の能力や潜在性をより深く理解し、公正かつ効果的な決定が可能になります。
また、組織全体に対する新しい方針やイニシアチブの導入に際しても有用です。即座に全社的な変更を行うのではなく、小規模な試験やパイロットプロジェクトを実施することで、リスクを低減し、成功の可能性を高めることができます。このプロセスを通じて得られる洞察は、最終的な実施計画の調整に役立ち、より効果的な結果をもたらします。
組織としてのフレキシビリティの強化
これらの哲学的アプローチを組織全体で採用することにより、変化に対する組織の柔軟性が高まります。不確実な市場環境や技術の進化に迅速かつ効果的に対応できる組織文化を育成することができるのです。この文化は、リーダーシップのスタイル、コミュニケーションの方法、そして問題解決においても、より創造的で革新的なアプローチを促します。
具体的な人事決定プロセスへの応用
「決めない技術」と「意義ある先延ばし」を人事プロセスに具体的に組み込む方法は多岐にわたります。例えば以下が考えられるでしょう。
リーダーの選出
潜在的なリーダー候補に対して仮のプロジェクトリーダーを任命し、実際の業務を通じてその適性を評価する。その結果に基づき、正式なリーダーシップロールを決定します。
新プロジェクトの立ち上げ
小規模な実験やプロトタイプの開発を通じて、新しいアイデアや技術の有効性を評価し、全社的な実施前に必要な調整を行うことができます。
組織変更の管理
部分的な変更を先に実施し、その影響を分析することで、より大きな組織変更の際の計画を練り直すことが可能です。これにより、変更に伴うリスクを減らし、従業員の適応状況を確認した上で進めるということもできます。
このような哲学的なアプローチを人事に取り入れることで、組織はより戦略的かつ効果的な意思決定が可能となり、変化の激しいビジネス環境においても持続可能な競争優位を築くことができます。不確実性を受け入れ、それに適応することで、組織は未来への準備ができるでしょう。「あえて決めない技術」と「意義ある先延ばし」、再度確認したいところです。
不確実な時代に複雑なビジネス戦略を反映している思慮深い哲学者が描かれています。彼が落ち着いたオフィス環境に座り、戦略計画について深く考え込んでいる様子が表現されています。このシーンは、戦略的思考が求められる不確実な時代の雰囲気をうまく捉えています。