美しい中高年 その4
ちょいワルオヤジは美しくない
ちょっと前に流行はじめた「ちょいワルオヤジ」ってのがありますなぁ。
あたしゃ、これが気に入らないんですな。はっきり言って美しくない。別にケンカを売ってるわけではないんですが、この「ちょい」というのが実に潔くない。ワルならワル、善なら善でいいじゃないですか、なんで「ちょい」なんですかねぇ。
このあたりになんて言うんですか、逃げ道というか言い訳というかエクスキューズがあるんですよ。このエクスキューズってのは実にみっともない。
男の美学には「言い訳」なんか存在しないんです。だから美しい。
したがってちょいワルオヤジなんて言うのは、ゴルゴ13を気取ったサンゴ15みたいなもんで実にみっともない。
「どうだい、俺ってワルだろう」みたいにあちこちに触れ回るさまは、そうだなぁ、漫画でいえば、キャラ的には、Drスランプに出てくる「スッパマン」みたいな中途半端なヒーローやヒールであったりするわけですな。それはそれで愛らしいかも知れないけれどもね、美しいってもんにはほど遠いかなってかんじです。
だけど、世のオヤジたちはフツ~のオヤジになりたくないんだか知れないんですけれどね、ワルぶってる内容がファッションであるとか会話であるとか、何ともスケールが小さいんですな。究極のワルったらそうそういるもんではないし、ワルは自分を悪く見せないからワルなんです。だから、表面に見えるワルなんて実はワルなんかじゃないんです。
で、その「ワル」の対象が要するに小さいんですな。何に対してワルなのかというと、それは、女性に対して「ワル」だってすぎないんです。
ようは、もてたいがための「ちょいワル」だって事なんですなぁ。
でも、これは、ある意味逆効果なんです。
ちょいワルというのはね、ワルになりきる度量や素質なんてもんがなくって、それでいて、まわりにカッコつけたいがため、それを気取るって言うスタンスをとるんです。その対象って言うのが、自分より立場の弱そうな人たち。そうですねぇ、サービス業の方々が多いですかね。そういう人たちに対してなんかね、「威張る」んですなぁ。
業界人でもないくせに、ギョ~カイ用語使ったりなんかしたり、まぁ、こういう御仁はそれこそ「ちょいリッチ」ですから、そこそこ収入もあるんでしょうが、その支出の大部分は無駄な見栄に使うことが多いんですよ。で、意外と借金で機微が回らないでいたりなんかする。だけど、妙に開き直るクセがあるんで、しょう~かねぇなぁなんて思いながら
そいつに援助したりする人なんかもいるんですが、言ってみりゃ、こういう御仁は使い捨てみたいになんかかにかに使えるかも知れないみたいに思われてるだけ。派手だし情報通だしね。
だけど、最終的には所詮張り子の虎ですから、「ちょい」は本当のワルに骨までしゃぶられてぽいって感じですよ。だから、こんなもんに憧れちゃぁいけません。悪いことは言わないから、真面目な御仁はちゃんと真面目を通した方がよごさんすね。
ワルになれない者がワルのふりをするから、変なことになるんです。で、子どもの世界だってこの大人の図式がそっくりそのままはまってるじゃありませんか。いじめってヤツ。今のいじめはガキ大将が回りの子をいじめてたり、隣町のガキ大将とケンカしてるって言う代物じゃないんです。弱くてなにもできないヤツが、徒党を組んで、自分より立場の弱いヤツをいじめてるんです。まぁ、永遠の小学4年生ってやつなんですな。
ホントのワルじゃない、偽物のちょいワルだから、限度や結果の想像力がない。だから
いじめた相手がとことんまで傷ついているのがわからない。自分がいじめられないことが第一で始めた「ワル」だから、そういうことがわからない。だから、相手を自殺に追いやってしまったりするんですな。
ちょいワルオヤジの動機は、自分の弱さをかくさんがための「ワル」なんです。こんなのはかっこいいはずがない。
そして、そういう連中が今の子どもの「いじめ」のモデリングになってることに対してホントに気づいてる人は少ないでしょうなぁ。
ホントにモテるオヤジって、ちょいなんかつかなくたって、目の前のホントに大事なものをちゃんと大事だと気づいて、しっかりとそれを大事にしてる人のことですな。つまり、本物が大事って事でしょう。
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