「日本仏教」と「止観」の接点 その5
日常の中にこそ「瞑想=止」があり「正覚=観」が見いだせる
中国はいつしか「宋」の時代になっていました。
この王朝は武より文を重んじた王朝でした。
つまり、経済や文化の力で自らの安全保障を行っていた王朝でしたが、
同時に鎮護国家とはちがう、
おのれの心の救済に向かう仏教思想が盛んになりました。
それが「禅宗」でした。
中国における禅宗の始まりは、
インドから訪れた達磨大師から始まると言われています。
ただ、中国においてなにゆえ禅宗が定着したかと考えれば、
当時の中国における「道教」の流れが無視できないと考えます。
そもそも仏教においては「自給自足」という概念はありません。
あくまでも「布施」によって修行を完遂させるのが基本だからです。
ですから「鎮護国家」はあくまでも
国家や民の「庇護」の見返りとして加持祈祷を行うというシステムでした。
宗教団体が「布施」とか「浄財」に頼る意味はここにあります。
カルト教団はこのシステムを悪用しているというわけですが、
この話題もいずれまたの機会に譲りましょう。
しかしながら臨済、曹洞という
二つの大きな「禅」の勢力が宋に生まれ、
この系譜が自活」を旨として、
ひたすら「瞑想」を続け、
日常すらも「止観」そのものであるという
新たな「教団」を形成したことが、
仏教がグローバル化していく
一つの要素になったのではないかと思うのです。
ここでもたとえば道元さんは「只管打坐」
すなわち、まず座りなさい。
という誰もができる「易行」を提起しています。
また、臨済では「公案」という全く難解な問題を出して、
結局「答えはおまえ自身が見いだせばいい」
という無責任な事を言っていますが。
臨済における公案とは、「答え」を出すことが目的じゃなく、
「おまえさん、どのように頭を働かせたんだ?」
ということが目的なんで、はっきり言ってどんな解答でもいいんです。
でも答えに至るプロセスを「師」が看取るんです。
ある意味すげ~怖い世界かも知れません。
答えよりプロセス。
これって、今後の人材のあり方につながるかも知れませんね。
この点はあたしも同感する育成システムでもあります。
あ、日ハムのBIGBOSSって、結構これやってるのかも知れないですね。
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