美しい中高年 その3
女性が美しさを保つっていうのは、一見、女性というものの性の美しさっていうとらえで言われるんですが、決してそうじゃないと思うんですな。
女性の美って言うのは、確かにみところとか、造形に求めるのは致し方ないと思うんですが、それだったらマネキン人形の方がよっぽど美しいことになっちまいますな。そうじゃなくってね、「たしなみ」とか、「文化」のような、人に感じさせる美しさなんだと思うんですね。だから、油断するとすぐこわれてしまう。
女のもともとの自然体というのは、ものすごく生命として強いもんなですよ。だけど、強いことがばれてしまったら子供が産めない。なぜかっていうと、生命的に弱い男が、怖がって近づけなくなるんですなぁ。自然体になったオバチャンやらコギャルの強いこと強いこと・・・。┐(  ̄ー ̄)┌
だけど、同じ強さでも、人間的な強さと本能的な強さではわけが違います。オバチャンの強さって言うのは本能的なものでして、雌という動物の個体の持つ宿命的な強さですわな、厚かましくなくっちゃ子ども守れませんモノね、そういう本能から来てる行動や体脂肪なんです~(^◇^)/ 。
子どもを守る母の姿は美しいものの、その役目を終えて本能だけが残ってしまったあかつきには、その本能が本来の目標を失い制御不能になるんですな。 裏を返せば、あたしだけを見て頂戴って言えるモノを求めている迷走行動なわけですね。
ま、これはとても美しいとは言えないですな。
じゃ、どうすればオバチャンは美しくなれるかって?
まぁ、オバチャンが美しくなるってことは無理・・・・・
って、言ってしまえば、「それをいっちゃぁおしまいよぉ」ってなるわけなんですな、あたしに靴が飛んでくる。(^ Q ^)/
あたしに言わせれば、「オバチャンになりきれ」ということなんですよ。つまり、無理しない。歳はどうしてもとるもんだから、、あたし的にいえば、その歳に応じた美学ってモンがあるでしょう。10代の美しさ、20代、30代、ほいで40、50のオバサン世代。それぞれのステージでね、他に年代に負けない世代美学ってもんがあるんじゃないのかな。
ミスマッチは、年齢のベストマッチを選べない事、これができてないから無理があり、とりつろうたびに無理が滑稽や醜さにつながる。
わしゃあ、韓流オバサンが最近不愉快かな( ̄ヘ ̄)凸
儚い夢に対して、所詮叶わないんだから無理しちゃダメよ。
だけどね、わかんないわけじゃない、夢みたいな事なんか当然あり得ないって事、だから、それをちゃんと心に受け止めて夢中になるのはいいけど、暴走しちゃいけないって事ですなぁ。
オバチャンはただでさえも生命力が強いんですよ、でも、その生命力は時としてね、ベクトルがどういうように向かうかで、美しくも醜くもなるっていうわけなんですな。美のベクトルになるか、オバタリアンのベクトルに行くかなんです。
では、オバチャンがステキなミドルになるにはどんな心得が必要なんでしょうか。
あたしは思うに、「乙女を捨てない」事じゃないんでしょうかねぇ
つまり、生活のどこかに「恥じらい」と「たしなみ」を持つ事なんですよ。
エピソードを一つあげてみましょうか。
あたしの知り合いのセンセ~、小学校なんですがね。まぁ、オバチャンセンセーですよ。
性格はいたって凶暴なんだけれど、生徒や保護者の前ではめちゃめちゃ優しい意味不明なヤツなんですが、こいつですら言うことがふるってますな。
「参観日って言ったら、お母さん方に負けないようにこの日だけはばっちりお化粧してファッション決めたもんだわよ、きりっとスーツでね。」
「へ~、今はしないの?」
「うん、する気がなくなった。」
なんでも、彼女に言わせると、最近はガッコに来るのにお母さん方はぜんぜんおめかししないで来るそうなんですわ。
あたしの記憶のあるの参観日ったら、そりゃ~、お化粧臭いってのが相場でしたわな。ところが、最近はさにあらず、お母さん方はまったく普段のスーパーの買い物のノリで学校に来るわけなんだそうですなぁ。カツオやワカメの参観日に着物で来る母さんなんて、彼女に言わせりゃ今じゃ天然記念物なんだそうですって。 だから、センセ~がおめかしなんかすると、逆に浮いちゃうんだそうで・・・。何ともはや・・。
ただ、これはけっこう大きな現象でしてな、簡単に言えば自分の産んだ子がせんせ~以外の世間様にさらされる日なんですが、その自覚が全くない。自分の子育てのある意味評価の場面じゃないですか。それこそ正装して我が子を世間様にご覧いただくって言う謙虚さがあってもいいもんだと思いますけどねぇ。
「ふっふっふっふ・・・甘い。」
「今どきの母親は、消費者の顔で来るわ、つまり、スーパーに買い物に行くのと同じ顔」
「ほ~ (゜O゜)、消費者ねぇ・・・。」
つまり、彼女に言わせると、学校に来ることにそれほど緊張感が無くなったという事なんだそうで、参観日の時なんか、母親の方が私語がうるさいなんて事はざらにあるんだそうですわ。公園とかスーパーで立ち話してるって感じですな。
「それに、どの母親も自分の子どもと、なかよしのお母さんの子しか見てないわよ。」
なんだそうです。
内輪と自分だけの世界なら、おめかしなんか必要ないわけで、もしめかし込んだとしても、人に見てもらうんじゃなく、自分が愉しむためだけにめかし込むって寸法ですな。図式が読めました。これじゃあ奥ゆかしさなんで出るわけもないし、美しさなんて無くなっちまいますわな。
何故かっていうと、
美というモノは、自分が決めるんじゃなくて人の目とか心が決めるんです。だから、人様の存在を無視した振る舞いや、スタイルからは美は生まれないって事なんですな。自分ばっかり「綺麗だ」と思ったって、その美は他人様が決めるもんですから、意識したり、自己チューになって開き直った瞬間にその美はなくなるってもんなんです。
乙女って言うのは若い娘の事じゃないです。世間様に対して恥じらいを持つ女って言うことで、世間様の目にさらされてるって言う緊張感や謙虚さがなせるモノを持ったご婦人のことを言うんです。自分のことしか見えてないオバチャンやコギャルなんかは、世界が狭い行って言うか、自分と自分の周りしか見えてない。こういう女性は乙女とは言わないんです。したがって乙女の美は得られないわけなんですな。
つまりは気配りや配慮、そして、凛とした誇り。なんだっていいんです。ご自分の仕事でもいい、旦那への配慮や主婦として切り盛りするのでもいい。そういう自分の今のあり方ってモノに不満じゃなくって、誇りを持つって事がまずは「美しい女性」を作るのでしょうな。愚痴をこぼしてたり、人様のゴシップをあら探ししたりしてる人は、そりゃ~見にくいもんですな。
不満は美を壊すって、ホントです。こりゃ、どんなお化粧使ったってダメです。お試しセットやってる人は、愚痴や噂話をやめることですな。でないとお試しセットは無駄になっちまいますよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?