浦上咲を・・かたわらに τ (tau)
Episode19 咲とかおりの対決
飛行機の出発時間にはまだ間があった。そこで、咲は僕の出た高校が見たいといきなり言い出した。
五稜郭に隣接した古い校舎の公立高校が僕の母校だった。
町の真ん中にあるが、校舎の周りは鬱蒼とした森に囲まれているそのたたずまいは、昔のままだった。その、古い校舎を新しい後輩達がまさに青春を謳歌するように行き交っていた。旧制中学として戦前に建てられたこの校舎は、当時はモダン校舎としてモデルになっていたらしいが、僕が通っていた当時でさえ雨漏りがひどい老朽校舎になっていた。
「すごーい、古いね・・・。」
「そう、高校としては今んところ一番のボロかな・・。」
「でも、みんな楽しそうだね・・・。あ・・・。」
「何?」
「今、休みなのかなぁ。」
「何で?」
「だって、みんな私服だよ。」
僕は、純と共に制服自由化にむけて走り回った日々をよみがえらせていた。ただ、当時、同じ行動をとっていたとはいえ、僕と純との考え方には大きな隔たりがあったのを感じるまでは、かなりの時間がかかったのは確かだった。考えれば、僕と純が友情を感じ得たのは、それをこえて一つの目標に向かった互いの共有する時間があったからなのだろうと思っていた。それはそれで大事なことだと僕は思っていた。
「ウチの高校はね、制服を廃止したんだよ。」
「へぇー、ラジカルだね・・。」
「・・・そうだ、咲。」
「・・え?」
僕は、ふと高校の時分に帰った気持ちで咲に話しかけた。
「いい所に連れってやる。」
僕は半ば強引に躊躇する咲の手を取って、校地の中に入っていった。本州の学校と違い、北海道の学校は塀がない。考えればどこからでも入り込める開放性があった。咲にとってはこれが意外なことだったのだろう。僕の出た学校には隣接して女子高校があったが、互いを隔てるのは、創立時に意図的に残された原生林のみで、塀のようなものはなかった。申し訳程度にフェンスがあるのみだった。
この、残された原生林を利用した裏庭があるのだ。当時の僕たちはよく授業を抜け出し、ここでたむろっていた思い出があった。時々、隣の女子校の休み時間とぶつかることがあり、今思えば酸っぱい思い出も多くあった。僕は咲をこの秘密の場所に連れてきたかった。
「・・へぇ・・・。勝手に入って怒られないの?」
「大丈夫だよ、昔から誰でも入ってるよ。」
咲は感心したようにあたりを見回した。小さな池を中心に広葉樹が無造作に広がる小公園は、大学に隣接する公園とはずいぶん規模は違うが、独特な雰囲気だと咲は言った。
「俺たちの秘密基地ってとこかな・・・。」
「うふふ・・秘密基地かぁ・・。いいなぁ。」
咲はそう言うといきなり僕に軽い口づけをした。僕は唐突な咲の行動に驚いたが、相変わらずの咲の行動なので、特に深くは考えなかった。
「こういうことも・・・してたりして・・。」
「ははは、たしかにそう言うことをしてたヤツもいたが・・・。メインは、ほら・・。」
「・あ・・・・。」
僕はベンチ脇に無造作に散乱している煙草の吸い殻を指さした。咲はもう一度僕の顔を悪戯っぽくのぞき込むと、
「停学処分だぞ・・・。」
と言って笑った。
「・・だから、秘密基地なんだよ。」
それから僕たちはタクシーをひろい、ほどなく空港の青いターミナルに到着した。
「お客様、これからお帰りですか?」
搭乗手続きのカウンターで出迎えたのは、かおりだった。
「はい、予約番号は・・。」
僕はにやにやしつつそう切り返した。するとかおりは、もっと不敵な笑みを浮かべて言った。
「耕作、彼女と上の喫茶店で待ってな・・・。今、休憩にはいるから、お話ししましょ。こら、失礼だろ、紹介しろよ、彼女。」
「・・・ったく・・。」
僕は苦笑しながら、咲を出発口わきの喫茶店に誘った。
咲はじっと微笑をたたえ、僕を見つめながら言った。
「・・こうさく・・。ナンパされたんだよ・・。」
「バカ言うな・・。」
「でも、面白い人だなぁ・・・、彼女連れてるあなたをを堂々とナンパするなんて。」
「だから、そうじゃないって・・・。」
僕は少し腹を立てていた。
「ははは・・そうだったらどうする?こうさく。」
「・・・あ・・。」
いつの間にかそばにかおりが立っていた。
「となり、いいかしら?」
「・・あ、どうぞ。」
かおりは咲の隣に座った。
「残念でした、あたしがナンパしたのは、耕作じゃないわよ、こっちの彼女。」
「え?・・・あたしぃ?」
咲はくすくす笑った。
「自己紹介するわね、あたしは安井かおり。このおバカの高校の先輩よ。実は、あなたに興味があったのよ。」
「あたしは、浦上咲です。あ、そうだ。さっき、耕作せんぱいの高校、見てきました。」
「ってぇことは、あたしの高校でもあるわけだよ。」
「うふふ・・、そうなりますね。」
「で、どこに連れてった・・?こいつは。」
「裏の雑木林・・・。」
「あはははは。」
かおりははじけたように笑った。
そのあと、くすくす笑いながら咲に耳打ちするように話し始めた。
「あそこはね、実は、あたしと耕作の思い出の場所なんだぞ・・。」
「・・・あ・・・。」
僕はかおりが何を言おうとしているか察しがついた。笑い話の部類ではあったが、できれば、咲には聞かれたくない内容だった。
「かおりさん、勘弁してくれよ・・。」
「べー、これはあんたの彼女にはゼッタイ聞かせたいもんね。勘弁なんねぇ。」
僕はもうあきらめることにした。
「ね、ね、聞かせて、かおりさん。」
咲はすっかりはまっていた。こうなると、もう完全に僕はダシだった。
「あのねぇ、あそこで、何かたくさん落ちてなかった?」
「そう言えば、煙草の吸い殻がたくさん。」
「あそこはね、こっそり煙草を吸うヤツらのたまり場なのよ。それでね、耕作があそこで一人で煙草吸ってたのを、あたし偶然発見したのよ。耕作が出るインターハイ直前にね・・。」
「悪いンだぁ・・・。」
「・・そ、悪いヤツなの。でねぇ、あたしは、当時生徒会長だったのよ。」
「へぇ・・すごーい。」
「前の日に、一生懸命スピーチ考えてさ、せっかく激励してやったのにね。これは裏切りだと思った。まして、幼なじみだったしね。」
「で、かおりさん、その時どうしたんですか?」
かおりは僕の顔を悪戯っぽい目で見ながら、咲に笑いながら言った。
「当然、脅した。」
「え?脅したんですか?」
「あたしが顧問にチクれば、当然、出場辞退よ。わかる?」
「ふんふん・・。」
咲は完全にかおりのペースにはまっていた。
「それでね、あたし、言ったんだよ。『この裏切り者』ってね。」
「誰に対しての裏切りだったんですか?」
「当然、全校生徒の期待に対してじゃない。こいつにはそういう『公』の責任が全然なかったのね。」
「あー、『公』って、こうさく、しょっちゅうあたしに言ってますよ。」
かおりは、けらけら笑って僕を見つめた。
「へぇー、やっぱり学習したのかね。耕作クン。」
「かおりさんは、その時、どうやって対応したんですか?」
「聞きたい?」
「はい。」
「あたしだって、仮にも生徒会長よ、黙って見逃す手はなかったなぁ・・。」
「かおりさんの言う『公』ですよね。」
「うん、そうよ、だけど、『公』を裏切ったヤツには、『公』でやっつけるのが一番だと思うんだ。」
「それはスジですね。」
「だけど、それじゃ生ぬるいと思った。」
「・・・・かおりさんって、怖い人だなぁ・・。」
「ふふふ、そんなんじゃないわよ。ただね、咲ちゃん、あなただから言うけど、あたし、当時、こいつの事が大好きでね・・・。」
「・・・・・。」
「こいつの事想うと、胸が熱くなったって言うか、とにかく、好きだったのよ。」
初めて聞く言葉だった。この一言で、僕はあの時のかおりの行動がすべて納得できた。僕には単に幼なじみの先輩にからかわれただけだと思っていたが、やはり、その行動には深い訳があったのだとあらためて納得できた。
「あたしは、こいつに『私』として制裁を加えたのよ。」
「どうしたんですか。」
「見逃すには、あたしと特別な関係にならなきゃダメだって、迫ったの・・。だって、生徒会長なら見逃せないけど、恋人なら見逃せるでしょ?『公』ならダメだけど『私』なら許せるよって事・・。」
「・・・すごく迫力のある愛の告白だわ・・。」
「そしたら、こいつ、なんて言ったと思う?」
かおりはそこで、またけらけら大笑いした。僕は当時のどうしようもない子供じみた答を思い起こしていた。僕はすっかり形無しだった。
「うふふ・・。ほら、耕作、お前から言いな・・・」
「・・え?俺から?・・ったく・・。」
「ウソ言ったら、ヤキ入れるからな。あはは。」
「・・・まいったな。『幼なじみだからとっくに特別な関係だろう』って、言ったんだ。」
「あ、耕作ウソ言った。そうじゃないぞ。」
かおりは僕をこづいた。
「はいはい・・・。『お医者さんごっこした仲だろ?』でした。」
「お医者さんごっこ・・・。」
咲は目を丸くした。
「そ・・・、こいつはあたしの恥ずかしいところまで、しっかり観察してるんだな・・・。それも、小さい頃の話だけど、そんなの持ち出すわけ・。」
「バカみたい・・・。」
咲はけらけら笑った。
「だけど、あたしは『参りました』って感じよ。」
かおりはまた僕をこづいた。
「こうさく・・・、不潔・・・。」
咲は僕を見つめてそう言った。
「おいおい・・。」
「ばか、冗談よ。でも、かおりさん、それだけで参ったしなかったでしょう?たぶん・・。」
「さすがだね。やっぱり耕作の奥さんになるだけあるわ。確かにそうよ。」
「だけど、かおりさんは勝っちゃったんだよね・・・。結局・・。」
「それじゃ、ここで今お医者さんごっこするか?って切り返したら、こいつ真っ赤になっちゃって。『勘弁してください』っていうのよ。」
「あはは、面白い。」
「でしょ、だから、目をつぶれって言ったの。」
「それで?」
「キスしちゃった。」
「・・・・。」
咲はさすがに驚いた顔をした。そのあと、くすくす笑いながら言った。
「かおりさん、その耕作はそのあと、かおりさんをぎゅっと抱きしめたでしょ?」
「あら、よくわかるわね。その通りよ。」
「えへへへへ・・・。」
咲は僕を悪戯っぽく見た。
「咲ちゃんって、すごい娘だね・・。」
「え?何でですか?」
「全然普通なんだもの。」
咲はそこで、今までの笑い顔から急に真顔になって言った
「かおりさん、あたしは、今のこうさくが大好きなんです。あたしと逢う前の耕作は、あたしのものじゃないと思ってるんです。
だけど、今の大好きなこうさくは、あたしに逢う前の事があったから、今があるんだって・・・。だから、あたしに逢う前の耕作がどんなことをしてたかを聞くのはほんとに嬉しいことなんです。」
「ふうん・・・。」
かおりはまじまじと咲の顔を見つめた。
「咲ちゃん、それはそっくり返すわ。今の耕作があなたと出会ったあとだから、あの時よりもっと耕作が好きになってるかも知れない。あなたが今の耕作を好きでいるのと同じように、あたしも今の耕作が好きよ。
当然、そういう耕作にしたあなたのことももっと好きだけど。」
「うん、あたしもそう、かおりさんがいたから、あたしの好きなこうさくがいるんだから・・。かおりさんは恩人ってところだわ・・。」
「ライバルってとこか・・。ちがうな、そうだ共同制作者か・・。」
「あはは、うまい、そうですね。」
「あはは、なんだか、あたしたち、友達になれそうね。」
「ほんと・・・。」
僕は二人の会話を本当に何となく聞き流すしかなかった。二人の会話自体に僕はもはやついていけなかったし、ついていく気も起きなかった。だが、真実の言葉を互いに言い合っていることは僕はきわめて実感として心にとめざるを得なかった。
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搭乗口から飛行機に乗る間、かおりは僕たち二人をずっと見送っていた。咲は、飛行機に乗るまでの間、ずっと手を降り続けていた。
飛行機の座席に僕たちは並んで座り、シートベルトをつけて出発を待った。
「・・・ふう・・。」
咲は席に着くなり、溜息をついた。
「・・疲れたか?」
「・・ううん、何でもないよ。」
咲は笑いながら言った。
飛行機は程なく離陸し、東京へ向かった。今までいた函館が眼下に箱庭のように広がっていた。
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