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また、与党、安定が一番。「そんな落とし穴」議会民主主義は完璧なのか?

議会制民主主義の話をよくすることがあります。
1889年以来、日本は「立憲制度」のなかで「行動」しています。
つまり、あたしたちはすべからく
「ルール」の中において生活していると言って良いのだろうと考えます。
 これを前提にお話をします。
あくまでも「plank=essay(愚痴)」なので、
そのつもりでおつきあいいただければ何よりです。

 令和の時代の今、あたしたちは、
天皇陛下もふくめて「日本国憲法」の共通国家ルールの下にいます。
そしてそれは、憲法前文にあるように、
大日本帝国・ナチスドイツ第3帝国、ファシスト党イタリア。
の描いた世界秩序を否定して打破した
「大西洋憲章」という国際的な「錦の御旗」による
「世界秩序」の中に存在しています。

 この基本的な原則は、
「民主主義」
「基本的人権の尊重」
「戦争外交の否定」
で、
これが見事に国内法として結実しているのが
「日本国憲法」であるということです。

 だから日本国憲法は、「国際秩序の成文法」というわけです。
しかしよく考えると、世界平和の理想を
「日本国民」に戦争責任として
世界が課した十字架なのかも知れません。
ですから、日本国は世界から
「永遠に戦争などできない、世界秩序を壊しちゃダメよ」
という強烈なミッションを持たされたのかも知れない。

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 ということは、日本で起きている矛盾は、
同時に「世界の矛盾」でもある
よ。
ということなんです。

どこかの政党が言うように、「押しつけ憲法は改正」とか、
「一字一句変えてはいけない」

 あたしはどちらもあたっていないと思っています。
なぜならば、この理念は国際連合に引き継がれていますけれど、
国連憲章だって「不朽」であるか「柔軟」であるか、なんです。
国連憲章が掲げる「正義」は
日本国憲法の「正義」とリンクしています。

ですから、この原則が変わらない限り、
あたしはいくら大騒ぎしても「変えられない」と思います。
もし、変えることができたなら、
わが国が「新秩序建設」を構想し、
「国際連合」から脱退する道を歩むしかないのです。
その覚悟が「あの人」にありましょうや?
正直。おもちゃに飽きた子どものような感じに思えます

三権分立。は民主主義の根本だと言われます。
これがもっとも徹底されている国はアメリカです。
また、日本の「地方自治体」も形態はこれと同じです。

 GHQが「国際秩序」に合致するよう
「憲法改正」の手続きを行わせたのですが、
「天皇制廃止」に至らなかった大きな理由は、
「主権」を国民に渡すには、
「議会」の良心に主権の責任を
もっと持たせるべきであろうと考えられたからだと思われます。
当時の「実態」はほど遠かったんですね
・・・今もさほど変わらんけど・・・

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立憲君主制においては、「君主」には
「人治的」な政治決断は、基本的にはあり得ません。
輔弼機関である内閣や協賛機関の議会は、
法的秩序における「国の意志」であり、
その代表権を「君主」が行使しているのが「近代的立憲君主制」です。
すなわち、「人の支配」ではなく君主もふくめた
「法の支配」が近代国家だからです。

 ですから、君主といえども「民の声」は
当然無視できるものではないのです。
だから、法がある。

 問題はこの「法」のあり方です。
わが国の唯一の「立法機関」は国会です。
そして、「行政兼」はこの立法機関の中から生まれます。
すなわち、行政の長である「内閣総理大臣」は
国会の「指名」にもつづくからです。
そして、行政行使に対し「国会に責任を持つ」とあります。

 一見、完璧な制度に見えます。

 ところがよく考えると、
「行政権」を持つことができるのは、
立法においても多数決である限り
「立法権」も持ってるのではないのか?ということです。
 
よく「安定多数」などと言いますが、
多数党の党首が「行政」を握り、
それに都合よく「立法」できる。多数党だから法案可決
今のシステムだとそういうことになるわけです。

 やろうと思ったら、「最大多数政党」は
「行政」も「立法」も同時に握ることになるわけです。
「民主主義」にはこういう落とし穴もあるってことで・・・

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