自分は怠惰だと思っても、他人からは勤勉とみられる訳
バレットジャーナルを使っていると、勤勉性の鬼のように見えるらしい。
自分としては何も管理してないと、もう乱れに乱れてしまって、進んでいる実感もしない。
むしろ追われて生きてる感じから逃れられない感じ。
だから、とりあえず見える化するしかないと思ってやっている。
自己評価が引いところを頑張ると、他人には勤勉に見えるのだろう。
それは勤勉性の基準が他人より高いから。
つまり完璧主義傾向が強いからかもしれない。
手帳始める前は、あれこれいっぱいやることがあったり、いろんな役割がいくつあるんだろうなと頭で漠然とおもってた。
いざ手帳を書き続けて1カ月たって書いたものを振り返ると、4つぐらいの役割のために、1日中わちゃわちゃ行動していることがわかった。
漠然としていた不安の正体がわかった。
対象がわかりでも苦痛なら、あとは方法をみつけて行動すれば解決できる恐怖というものに変えることができた。
自分は怠惰だ、でも他人から見ると勤勉。
これは自分の世界に生きている人には発見できない自分の個性。
社会にでて自分を開示してみて発見できるのかもしれない。
そう考えると社会(私と他人との関係)の中で自分の個性は、4つに分けることができる。
1.他人は気づいてないが、自分だけが知っている個性
2.他人は気づいてるが、自分も気づいている個性
3.他人は気づいてるが、自分はわからない個性
4.他人も自分も気づいていない個性
3は自分では見つけられない。社会で生きてみて見つかるもの。
4は自分や社会関係ない。
自分で意識して行動してみて初めて分かるモノかと。
意識して行動するとは、例えば、あえて自分の過去を記録してみる。
記録するだけではなく、あとで振り返ってみてる。個別にみるというより全体を見わたす。
そうしてみて、たまに見つかるときもある部分なのかなと思いました。
4→1に変えるものですね。
ノートや手帳に記録する一番の役割は、4番の生産性を高めるものだと思っています。
それを、Twitterでフォローしてくれているクロスさんの一言から気づくことができました。
自分を社会に向けて開示してみるっていいね。
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