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正常性バイアス

朝、自転車で通勤していると、また、ちょっとおもしろいことを思いついた。いや、ぼくにとってはだいぶおもしろいことです。
今、担当している学年は2年生なのだけれど、1年後のお話。
このグッドアイディアは、直前になって思いついたとしても、実現できる可能性はほとんどありません。
たぶん、どの学校でも聞いたことのない取組。(調べてませんが。)
準備をしっかりやって、実現させたいなと思います。
次年度、このまま学年が持ち上がるかどうかはわからないので、今の学年であることが決定したら、何をやるかをお知らせしていきたいと思います。
今はまだ内緒です。笑

良いアイディアが生まれ、嬉しい気持ちになり、出勤したら美味しいコーヒーでも飲もうと思っていたらいろんなことが起きました。
他学年の欠員によるうちの学年への影響。
事前にわかっていた会議による時間割の変更の対応。
また、6時間目は3年生を送る会の準備だったのだけれど、そこでもちゃんとまわらないという事態。(ぼくの感覚だとだけれど。)
放課後も、急遽保護者が来校し、身動きが取れなくなりました。

まー、こういうバタバタしてしまう日はよくありますが、運が悪かったねと片付けるには考えが甘すぎます。いくつかバタバタした要素は挙げましたが、他学年の欠員や急遽の保護者来校以外は事前に確認できた内容です。
つまり、事前にわかっていた会議における時間割変更や3年生を送る会の準備はいくらでもできただろということです。(もちろん自分を含めてですが、3年生を送る会の準備に関しては、自分が出過ぎてもダメだと思っている。)

なぜ、こうなるのか。こういう現象のことを心理学では「正常性バイアス」と言うみたいです。 最悪を想定せずに「まあ、たいしたことないな」と考える(思い込む)ことによって、日々の不安にさらされることを無意識に防いでいる心のメカニズムです。
やらなくちゃいけないってのがわかっていても、取り組むことができないのは、心理学でも認められていることなので、自分自身の訓練ではなんともいかないこともあるのかも。

というわけで、どうすれば良いかですが、やはりみんなで声をかけ合うというのが大事かなと思います。
たとえば、一般にメタ認知は大切だからできるようにしようと言われます。
ですが、生き方レベルにおける『学び合い』の考え方だと、「メタ認知なんてできる必要はない。(できたに越したことはないのですが。)メタ認知してくれる仲間を作りましょう」という考え方になる。(この考え方はめちゃくちゃ好き)
それと同じで、まずいなと思ったことは声をかけられるようにする環境を作ることが大事だなと思います。
ぼくがやらなければいけないことは、その環境を作るための仕組みを作ること。
ここで頭を使わなくちゃどこで使うんだ。
がんばります。

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