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僕は結局、色々まみれている

どうも、昨晩急に
神田沙也加さんのことを語り
「理想の愛が…」などとぬかしてしまった、
私、くるです。(半分寝ぼけてたごめん)


気持ちが落ちた数年前から
怪我の功名として

読書ができるようになりました。

元々活字を読むのが苦手で
本を読んでこなかったけど
体が動かないぶん、
本を読むことができるようになってきました。


その流れで
日本各地の素敵な本屋さん
という紹介記事が、ふっと目に入りました。

ただの本屋ではなく、一つのアートとしての店舗の数々。

「はぁー、こういう本屋なら入り浸りたいなぁ」

と憧れの気持ちで見ていると、
北海道の、とある本屋さんが目に入った。


「現代のルッキズムに対抗して、顔出ししません」


ルッキズム
「Looks(外見・容姿)+ism(主義)」から産まれた外見至上主義を意味する。

Wikipediaより


との紹介で、店員さんが2名
被り物をして店紹介をしていました。

「ルッキズム、、なんかすごいな。
 さすが本を読んでる人は、思考も段違いだな」

その時は、ただそう思うだけでした。



しかし、昨日
理想の愛がどうとか書いてしまったので

「自分の理想とは?」
と、朝早く目が覚めて
少し、考え出してしまいました。

せっかくだから執筆することに。

ふと
上記の本屋さんの言葉を思い出す。


ルッキズム

外見至上主義


自分はそうではない。

「自分は、世の中で言われている
 顔が美人とか、良いスタイルとか
 そういうもので人を好きになったりしない

それには自信がありました。

もしそうであるならば、自分が惚れる相手は
必ず容姿に優れている(あくまで世間一般の評価)
人ばかりになるはず。


しかし

じゃあたとえば
いいなと感じる人の

「髪型」
「雰囲気」
「仕草やファッション」

そこに嗜好は全く無いか?


いや


すごいある…。

仮に、そのうちの2つを
兼ね揃えている人に出会ったとしても

「あと、ここだけこうなら、
 本当に理想の人なんだけどな」

と考えてしまったことも
ある。

非常に無礼千万なことにも。


自分は高尚な人間だとでも
思っていたのだろうか。


勘違いしてしまう理由が、多分
2つ
心の中に見つかった。

  • 1 流行り&トレンドに乗るのが好きじゃない。
      自分のその時の心境で
      髪型やファッションを適当に選んでた
      (ただ、ファッション雑誌で髪型選んだりはよくやった)。

  • 2 僕自身が、人によって極端に評価されてきた。

      良い評価をしてくれる人がいても
      全く逆の評価をする人も同数いた。

      小学生からずっと「老けてる」と言われてきたのに
      ある程度年齢を重ねてからは「見た目若い」と言われる。

      もっと端的なのは
     「かっこいい、かわいい」とかも
      人によってバラバラ
      見た目でNGを喰らったことも、何度もある。



その結果
「結局、自分ってルックス的にいいの?悪いの?」
 と、わからなくなった。

混乱。



もしかしたら、この

「わからなくなった」


が、ルッキズムの功罪
なのかもしれない。

人の判断に振り回されて
一喜一憂する。


その先に残るのは、何があるのか。

きっと何も残らない。
着回した服と髪型の残骸の
燃えカスだけだ。


だとしても

上に書いた「嗜好」
をなくすことなんて
人間である以上、できないだろう。

なくなったら、ソレはもう
愛の心ではないと思う。(また大袈裟なこと言っちゃった)


たまたま、世のトレンドと
相まっていなかっただけで

自分は

「色々と欲望にまみれて生きていた」


ことに気がついた。
そんな朝になった。(まとまらない)

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