2023年の振り返り「赤と白の間のあした」
今年もやってきたアドベントカレンダー。
江原さん、ありがと〜。
みんなの記事に対するコメント。
毎年、尊敬。
変化の大きかったここ数ヶ月。
刺激が多い日々で
まだ言葉にしきれない感。
言葉を思いつく環境って
人ぞれぞれだろうけど
私はダントツで
「髪の毛をドライヤーで乾かしているとき」
そんなドライヤーの積み重ねで
書いた。
今年は写真を12枚選んでみた。
時系列で並べて、振り返るのだ。
<2023年のこと>
去年暮れの
コロコロ後遺症で
山暮らしと仕事の両立が難しくなり
思いついたこと。
部屋狭い。
→歩かなくていい。
天井低い。
→すぐに部屋が温まる。
どこに行くにも近い。
→時間ができる。
当たり前だった
便利な生活と温かさを味わったら
もう戻れない。
人間だもの。
だから
とはいえ、大好きだったお家。
「2年売れなかったら戻ってこよ〜」
って思ってたら
一瞬で売れた。
でも良い人に買ってもらえて
お家も喜んでいるはず。
そして
内覧1件目で即決。
結果的に、
塩川さんちの畑が隣にあって
リモートワークに疲れていた
私を癒してくれたり
この半年後に転職した職場が
すごく近かったり。
私に必要だったものを
揃えてくれていた新居。
暮らしが楽になった分
より仕事に精を出せるようになり
そらとくらすのWebサイトを開設。
林英恵さんデザインのおかげで
かわいらしいサイトができました。
ついでに…
開塾して2年目。
じわじわと子ども達が増えていき、
順調な1年でした。
さらに嬉しいことに
来年度の予約を何名もいただき、
3年目の春は、すでに満席
開塾時間を増やせば
受け入れは可能だけど
あの子には、これが良いかも。
この子には、あれを試してみよ。
とか、
そういうことを考える時間も必要だから
これ以上の人数は
頭が足りなくなると思って
「満席」とした。
自営をしていると
どこでリミットを決めるか
判断が難しかったけど
自分の納得できる
「満席」に辿り着いたことが
とってもうれしい。
そらとくらすは
ほとんどの親子が
人のつながりを通して
やってくる。
そらとくらすを
紹介してくれる方には
本当に感謝。
ある程度の自信はもって
やっているつもりだけれど
すべてがそうじゃない。
「これで良いのかな。。」
って不安になることもある。
それでも
決して安くはないお金を払って
送り迎えもありながら
大事なお子さんを預けてくれること。
本当にありがたい。
私のできること全部で
お返したいって
いつも思う。
そして、
学校や部活で疲れて
眠たい顔しながらも
休まず通ってくれる子ども達。
今の子ども達は
大人よりも忙しくて
なかなかの理不尽さに溢れた日々を
送っているから
ここに来たら
ちょっとでも元気になって帰れるように
って願ってる。
成績を上げる約束はできないけれど
生きる気力は上げられるように
私にあるもの全部使っていこうって
思ってる。
何にも
出し惜しまない。
ちなみに
そらとくらすの良き相談相手は
学び舎key塾
一人の頭で考えていても
良いアイデアが出ない時は
ここを頼る。
似ているように見える2つだけど
絶妙に違う場所。
うちに来る子で
「この子はkey塾だな」って思う子には
そっちを紹介する。
その逆もまたある。
その違いはおそらく
2人にしか分からない。
やっていることがニッチだから
相談相手がいてくれるのは
すごくありがたい。
そんないろんな人に支えられて
そらとくらすが続けられてる。
今年も
本当にありがとうございました。
続いて、話題は趣味へ。
ギターを始めて早3年。
ポラーノの定番曲は
ほとんどエアギターという私。
(いや、ジブリとかむずいんよ笑)
このままでは
永久初心者だ!!
という危機感を覚え
ごまかしの効かない
一人で演奏する場所。
オープンマイクへ。
ライブもあったから
今年だけで
30曲くらい練習したのかな。
コードだけなら
いろんな曲が
弾けるようにはなった。
でも、目指したいのは
ここじゃない。
どこまで行きたいのかは
分からないけれど
いまだに自信をもって
「ギターをやってる」
って言ったことがない。
私の思う「ギターが弾ける人」って
これじゃないんだと思う。
だから
もっともっと
上手になりたい。
ギターを始めてすぐの頃は
好きな曲だけを弾いていれば
それなりに上達はした。
でも、もうそれだけでは
足りない。
そう。
あのつまらない
基礎練習
ってやつに向き合う時が来たのだ。
だから
ここで小さく目標発表。
ちゃんと続けたか
来年の振り返りに書く。
そしていつか
ギターの専門学校とか行きたい。
バンドマンを目指す若者に混じって
おばさんがいるのも
悪くない気がしてる。
お次は、新しい趣味のこと。
移住してから5回目の春。
これまで属していたコミュニティを卒業して
空白の時間を増やしてみた。
その空白で思いたこと。
パラグライダー
脈略は特になし。
ライセンス取得のために
スクールに通い始めた。
最初は、小さな斜面で
翼を立ち上げる練習。
腕力ではなく、コツ。
理屈ではなく、感覚。
それを掴むために
何度も何度も練習。
練習場所は
長野県の生坂村にある
スカイスポーツ公園
(名前がすごいよね)
うちから
片道2時間くらいかかる場所。
風向きと天候によっては
1時間も練習できない日もあった。
非効率極まりないスポーツ。
それでも通い続けた。
転んで怖くなった時もあった。
続けられたのは
私の努力でもなんでもなく
ただただ
優秀なコーチのおかげ。
コーチが違えば、
たぶん、辞めてた。
指導者で未来は変わる。
これ、ほんと。
それと同じくらいの時期に
飛行機の力を借りて
飛んだ先は
2度目のアフリカ。
途上国には慣れていたけれど
これまで行ったどこよりも
遠くて、貧しい、
でも豊かな国だった。
この旅は、言葉にしきれない。
でも、行っておいて、ほんと、良かった。
たぶん、もう一生行けないだろうな。
日本とは全く違う
葬儀の文化を知るきっかけにもなり
次の道が見つかった旅。
こんな感じで
よく動く私の頭と体を
支えてくれたのは
夕飯に必要な野菜を
ちょっとだけ頂いた
幸せな夏の日。
(気分は野菜泥棒w)
秋にはお手伝いもさせてもらえて
冬には定期便を購入して
今年は美味しい野菜を
たらふく食べた。
来年も食べたい。
話はさらに飛んで
8月から始めた
何気ない会話から
ポンと生まれたこのイベント。
「佐久13蔵のお酒とコーヒーを愉しむ会」
コーヒーもお酒もほとんど飲めない私が
何やってんだ?って自分でも思う笑
でもコーヒーもお酒も
詳しいことは分からないけれど
「人を集める方法」は
感覚的に分かった。
冷静沈着で
豊富な知識とアイデアをもつ
店主の井出さん。
賑やかし&愛嬌たっぷりで
参加者以上に場を愉しむ
りかさん。
3人チームで
ちょうど良いバランス。
おかげさまで
毎回、満席で終了。
来年も続くよ。
そんなこんなで
コーヒーを片手に
仕事を変える大きな決断をした。
初めて
「葬儀社 佐久市 求人」で
ググったのは夏頃。
それから、友達に話すようになったら
(たぶん最初話した場所は、「あるいは」笑)
自分の気持ちが明確になって。
書いては消して
書いては消して
温めまくった履歴書を
ドキドキしながら投函。
まだ働き始めて2ヶ月も経ってない。
だからこの世界を
そっと覗いている程度だけど
転職して良かったっていう気持ちが
どんどん大きくなってる。
ただこれまで
フルリモート・フレックスで
働いてきたから
「出勤する」っていうことが
一番大変で。。
出勤前
何をすれば良いか分からず、
朝からアタフタして
出勤するだけで
疲れてた笑
いまだに
出勤下手。。
慣れるまで
もう少しかかりそう。
そんな「出勤する」を練習しつつ
「空を飛ぶ」練習も続けて、無事
翼も購入したので
来年は、高高度へ。
より高い空を飛ぶのだ。
2023年も思い切り
生きた気がする。
<赤と白の間>
初めて
見ず知らずの人の
死に顔を見た時。
見るまでは
すごくドキドキしてた。
葬儀屋さんで働くことを選ぶくらいなら
そういうことは平気でしょ?
と思われがちだけど
私は
血とかすごい苦手で
人が殺される映画とか観れない。
普通のドラマでも
痛いシーンとかあると
目を瞑って、耳も塞ぐ。
だから
亡くなった人を見るのは
とっても怖かった。
でも
棺の中をそっと覗いた時
一瞬で
ほんとに一瞬で
「白くて、きれい」
って思った。
人ってこんなにも
美しいんだって
安心した。
嬉しくもなった。
その感覚は
今でも
変わってない。
人は
間違いなく
美しい。
・・・・・・・・・・
人生って
人をどう捉えているかで
決まると思ってる。
人が幸せになるには
努力が必要。
人は残酷なもの。
人は弱いもの。
山あり谷ありが人生の醍醐味。
みたいに思っていれば
本当にそうなる。
そう思ってれば
そういう経験をするから
よりそう思う。
その繰り返し。
ただその繰り返しをしてると
いつの間にか
ただ経験を受け取るだけになりがち。
忘れちゃいけないのは
経験が人がつくってるのではなく
人が経験をつくってる
ということ。
その順番でスタートしないと
いつまでたっても
人生を受け取る側で
つくる側には立てない。
じゃあ、人をどう捉えるのか。
性善説と性悪説みたいに
真逆のことを論証し合う賢い人たちは
たくさんいるけど
何が正しいのか
きっと私には永遠に分からない。
でも、どうせ分からないのなら
自分で決めてしまえばいい。
生まれた時
赤い人も
死んだ時
白くなる人も
どちらも「美しい」と感じる
この自分の感覚だけを
信じればいい。
こんなに美しいんだから
足りないものなど
あるはずがない。
赤と白の間を
生きていく力は
生まれた時からもってる
そうとしか思えない。
人は
頭のてっぺんから
足の先まで
ぜーんぶ、善
時々、悪になれるのは
時々、不幸なれるのは
それだけ人間が自由だから。
何にでもなれてしまうってこと。
でもデフォルトは、
みーんな
善い人
幸せな人
私は、そう捉えることに
決めた。
<毎日が、おめでとう>
初めて
亡くなった人を
お迎えに行った日。
まだ何にも分からなかったから
搬送車の運転だけをさせてもらった。
故人を乗せた帰り道。
運転席から見える夕陽が
とっても綺麗で。
この後ろで寝ている人は
「昨日の夕陽は、見れたのかな?」
って考えた。
それを知ることはできないけれど
確実に言えるのは
「今日の夕陽は、見れなかった」
ということだけ。
誰にも
明日が来ることを約束されていないけれど
明日が来ることを考えて今日を生きられるのは
とてつもなく、幸せなこと。
そして、
無事に明日が来たのなら
毎日がめでたい。
誰もが
生きてる間に
たくさんの願いをもち
その中には
叶ったことも
叶わなかったこともあって
でも結局、そんなことは瑣末で
だから、最後は全部手放して
白くなっていく。
何をしなくても
ただ今日を生きている。
それだけで
毎日がおめでとうだ。
<尊い>
初めての葬儀。
初めての納棺。
初めての荼毘。
だいぶ初めてのことは
減ってきたけど
まだ1つ1つのことで
泣いてしまう。
その中でも一番
心に残っていること。
亡くなった後
死後硬直で口が開いてしまった人の顔を
家族が対面する前に
戻してあげていた先輩の姿。
もう動くことはない体でも
その体を愛おしいと思っている人たちのために
最期の最期まで生きていた時の姿で
いさせてあげることが
残された人たちにとって
どれだけ大切か。
自分の家族だったら
って考えれば
すぐに分かる。
葬儀屋さんの仕事は
「尊い」
「尊い」なんて言葉
ほとんど使ったことなかったけど
今のところ
その言葉以外、思いつかない。
<2024年の願い>
毎年、予想外なことをしてるから
来年、自分が何をしてるか
全く分からないけれど
とりあえず、やりたいことは2つ。
両親に会いに行こう
今年の年末は帰れないけど、春には帰ろう。
両親と同世代の方の葬儀をするたび
そう思う。
絵本作りたい
外注するほどの予算もないから
AIの画像生成でできないかを
思案中。
アイデア募集中。
あとは変わらず
子どもたちと笑って
尊い仕事しながら
空飛んで
ギターを弾く。
友達やパートナーと
おしゃべりしたり
ご飯を食べたり
お出かけしたりする。
そんで
赤と白の間で
あしたを待ちながら
毎日、生きる。
おしまい🎵