2022年の振り返り。「そうか。みんなみんな、星なんだ」
真っ先に書きたいこと。
このサムネイル↑ 良くない?
タイトルにピッタリのを見つけてご満悦♪
今年も勢いよく参加したアドベントカレンダー
同じ地域にこんなにも
バラエティー溢れる人たちがいるって
ほんと、すごいと思う。
江原さん、ありがとうー!!
今年はね、
色々やったし、考えたから
書くことが、とっちらかりぎみ。
そしてアホな妄想かもしれないけれど
結構、本気で思ってること。
それを言葉にしてみたかったから
最初に書いておくことにした。
【みんなみんな、星なんだ】ってこと。
誰もが知っている
自転と公転のお話。
塾生と理科の勉強をしていて
これを改めて知った時
ちょっと待て。
これってすごくないか?
ってなった。
ずーっと
回り、回られ、回って
それを何十億年も続けてきて
なぜ、一度もぶつからない?
その凄さに
純粋な感動をした。
宇宙にはたくさんの銀河があるけれど
地球は、「天の川銀河」の隅っこにある
太陽系の星。
太陽より少し年下で
46億歳。
今で寿命の約半分。
地球が生まれる前から
宇宙はあり
地球がなくなった後も
宇宙はある。
(たぶん)
人間は、地球で生きるため
太陽の仕組みに適したカタチに
ぜんぶ、ぜんぶ、宇宙の素材でつくられた。
って考えてたら
ん?待てよ。そういえば、
細胞は光ってる
ことを思い出した。
ほら、やっぱり↓
宇宙の素材でできていて、
さらに光まで発しちゃってる。
あらら。
これはもう、立派な恒星じゃないですか?
そうか。人間って星なんだ。
みんなみんな、星なんだ。
私も星で
周りの人たちも星。
そんな星たちが
日々、笑ったり、泣いたり。
走ったり、転んだり。
なんとも
可愛らしい世界。
そんなことを感じながら過ごした
今年の出来事と考察。
<2022年の出来事>
旅
旅の途中で迎えた年越し。
暖かい地域ばかりを巡って、
目覚めてすぐに布団から出られる暮らし。
うん。最高でした。
オンラインスクール閉校
去年の秋、コロ助第5波の中
自主休校児童が爆発的に増えていた時に
開校した無料のオンラインスクール。
運営費をnoteのサポート課金で募り
おかげさまで5ヶ月間、
運営をすることができました。
支援してくださった皆さま、
本当にありがとうございました。
無料で運営するのは簡単ではなかったけれど
一枚の感謝状が、苦労を吹き飛ばした。
出版
もう遠い過去のようだけど
本を書いた
カンヅメ生活で
約4万文字を書き綴り
3月20日に出版した
「それ、ほんとにそう思ってる?」
出版前の不安は全て杞憂となり
念願だったベストセラーは無事獲得。
たくさんの人が書いてくれた
レビューのおかげで
いまだに読み続けられてる。
秋には続編を追記して
ペーパーバックも出版。
読んでくださった皆さま、
本当にありがとうございました。
そらとくらす開塾
オンラインスクールで使っていた名前
「そらとくらす」
それをそのまま塾の名前にして
4月に開塾した。
場所探しは、いろんな人に助けてもらい
臼田にある「ホシノマチ団地」を
お借りすることができた。
私がつくりたかったのは、
学校でもない家でもない、第3の場所。
便宜上、「塾」という名前を使っているだけで
勉強は繋がりをつくるための
ツールだと思ってる。
もうここには、
イエナプラン教育のような
名前のついた教育法はない。
あるのは、私の人間性と感性だけ。
「教育者」という言葉はおこがましいから
使うのを躊躇うけれど
今日は1つの覚悟を書いておきたいから
あえて使う。
私が教育者としてやりたかったことは
「人生をともに歩くこと」
学校や教室で行われる教育は
「集団を動かす」ことが避けられない。
そうなると、一人一人と接する量は
どうしたって減ってしまう。
でもそらとくらすであれば、
一人に人間の人生に
とことん付き合うことができる。
子どもを自分の車に乗せて本屋に行き、
一緒に教材を選ぶことも
地域のイベントに連れていくことも
一緒に部屋の掃除をすることも
試験のご褒美にケーキを食べに行くことも
家族と一緒に食卓を囲むことも
できる。
些細なことだけど
その子の人生の
これまでと今とこれからに
寄り添って歩くためには
そういうことが欠かせない。
もちろん、誰かの人生に踏み込むほど
その責任は大きくなる。
良いことばかりじゃない。
子どもに本音をぶつけて
泣いたこともあった。
保護者と
何時間も話し合うこともあった。
感情がぐちゃぐちゃになることもあった。
それでも、私はこの仕事が何より好きだ。
この仕事になら、
自分のすべてを込めることができるから。
だから、私は
そらとくらすの塾生には
生涯保証をつけることを決めた。
子どもたちの人生は
卒塾した後のほうが長い。
高校、大学、社会人。
それぞれの人生のタイミングで
いろんな選択に迫られる。
そんなとき、いつでも、何度でも、
相談にのれる存在でいたい。
必要とされれば
ずっと見守り続ける。
生涯保証なんて
わざわざ言葉にしなくてもいいかもしれない。
言葉にしなくたって、その想いはあるし
自然発生的にそうなればいいとも思う。
けど、あえて言葉にすれば
私はそらとくらすを
生涯の仕事にすることができる。
どうせやるなら
中途半端なことはしたくない。
学校や塾とは
はっきりと線引きをしていく。
天職は見つけるものじゃない。
つくるものなんだ。
そう学んだ。
音楽
今年もいろんなライブで
いろんな音楽をやったな。
エレキギターも始めた。
ライブ好きの練習嫌いで
場数とスキルが伴わない万年初心者だけど
ゆるやかな成長曲線は描けてるはず。
今年は、ポラーノのメンバーも倍増!
女性が増えて、写真が華やかになった笑
初めて一人で弾き語りをした。
ミスばっかりだったけれどそれでも良い。
「ポラーノ参加へのハードルを下げる」
という役割を勝手に作って、
勝手に担っているから笑
来年はどんなメンバーが増えるかな。
Webディレクターへ
教員を退職してから進んだWebの世界
去年は、Webデザイナーの勉強をして
今年から、Webディレクターへ。
スキルも経験もなかったけれど
ありがたいことに、人とのご縁をもらい
行き着いた場所。
何にもできない私を拾ってくれた
社長さんには感謝しかない。
なんとなく思い描いていた
「教育とITで食べていく」
が実現できたと思う。
全く違う両極端にあるような
2つの仕事。
でもこの両方があるから
私は良いメンタルが保てる。
40歳手前から
新しい業界でキャリアを積み始めた。
この歳での転職は大変だと思ってたけど
実際は、年の功に助けられてる。
おばさんの
しなやかさとしたたかさを
ナメちゃあかん。
Co-shoku 稀オープン
食生活のコワーキング。
家族という枠組みを超えて食事をすること。
同居、母子家庭、3人家族。
留学先での共同生活、一人暮らし。
これまでいろんな人数で暮らしてきた。
そこで生まれた素朴な疑問。
みんな、毎日、ご飯を食べるのに
なぜ、バラバラに料理をして食べるのか?
食事は、暮らしの中での大きな営み。
たまには一緒にやってもいいじゃない?
そんな発想から生まれた。
やってみると、目的はなんでもよくなった。
みんなでご飯を食べるって
単純に楽しい。
でも稀をするには、
暮らしに余白がいる。
情報や刺激、モノが溢れてるから
意識してないと
暮らしの余白は、あっという間になくなる。
私にとって、稀をすることは
送りたい暮らしができているかの目安になった。
来年は、佐久市で
定期的に開催できるかもかも🦆
マンスリーマンションという選択
秋頃、突然やってきたコロ助さん
カレンダーの予定が
全部消された数週間
幸い、回復はできたけれど
いまだに常に8%くらい風邪気味風。
体力がまだ戻らない。
私は八千穂高原の別荘地に
暮らしているのだけれど
冬の大きな家は何かと体力を使う。
だから
ものすっごいちっさい家で暮らしたい!
というおっきい願いが生まれてしまった。
でも引っ越すと
山の散歩ができなくなるし
楽器も弾けなくなる。
そんな時に思いついた。
マンスリーマンション!!
というわけで、
来月から2ヶ月間だけ佐久市に部屋を借りた。
(野沢だから遊びに来てねん)
人生初の1K。
ベッドも、キッチンも、お風呂も5歩圏内!
ついでに
久しぶりに飲みに行ける!
久しぶりにコンビニが近い!
暖かくなったら、また山に戻れる。
今年最後の最高の選択。
ぶひ🐷♡
<2022年の考察>
子離れはゆっくりじわじわ転機
来年、いよいよ息子の就活が始まる。
(1年休学しているから、大学生活は5年目)
今もすでに離れて暮らしているけれど
それでもまだまだ親の扶養内。
就職が本当の自立になる。
うれしいことだけど
寂しさもある。
だってもう
手がかからない上に
お金もかからなくなる。
やってあげられることが
また減ってしまうから。
出産は、人生の転機。
軽視されがちだけど
子離れも同じくらいの転機だと思う。
出産は、生まれたその日から
親の人生を大きく変える。
子離れは、何年もかけて
じわじわと親の人生を変えていく。
親は死ぬまで親だけど
出産が、育児の入り口なら
子離れは、育児の出口。
一生いることはできない場所だから
ちゃんと出ないといけない。
私が長野に来た時、
息子は東京に行った。
子離れをしてきた4年間。
何にも感じなかったわけじゃない。
心配、空虚感、距離感。
ゆっくりじわじわやってきた
いろんな気持ちを乗り越えて
私、ちゃんと子離れできたかなって
最近、思える。
今年、息子から届いた誕生日プレゼントは
恐竜のぬいぐるみ。
私のツボを知り尽くした
微妙な可愛さで責めてきた。
ずっと大事にしてやるぜ。
つくりたいものは、内側につくる
「社会」という言葉は
よく使われるけれど
「社会」は人の数だけある。
「現実」という言葉も
よく使われるけれど
「現実」も人の数だけある。
結局は、
個人個人が
何を見ているか?
どう捉えているか?
によって社会も現実も変わる。
ってことは、
誰もが幸せに生きる社会は
誰にもつくれないことになる。
それをつくろうとすれば
自分以外の人に
何を見て、どう捉えるかを
強要することになる。
それは本末転倒であり
また、不可能でもある。
自分のつくった「何か」が
誰かにとっての同じ「何か」であるとは限らない。
あえて、付け加えるならば
社会や他者にできることは
「影響を与える」ことだけ。
そう考えると、
結局、つくれるのは、
自分の内側だけ。
世界平和を望むなら
自分が平和であること
誰もが幸せな社会を目指すなら
自分が幸せであること
常にそうあるように努めること。
そう考えれば、
誰もが幸せに生きる社会は、
誰にでもつくれることになる。
今すぐにでも。
〜行ってらっしゃい〜
宇宙では、毎日
抽選会が開催されてる。
くじに当たれば
にんげん星に生まれることができる抽選会。
この抽選会は
いつもいつも大人気。
大きな自由と創造性をもち
思考と感情の絶妙なバランスを保ちながら
今日は笑い、明日は泣く。
そんなにんげん星の一生は
何十億年も同じ軌道を回り続けるより
ずっとずっと面白い。
だから、たくさんの星たちの憧れなんだ。
他の星の寿命は、100億年くらいだけど
にんげん星は、とびきり贅沢だからね。
長くて100年。
あまりにも人気だから
回転率を上げたいしね。
大丈夫。
100年で100億年分の
喜びを味わうことができるから。
くじに当たったら、
すぐに出発する準備をしよう。
100年間、存分に遊んでおいで。
人間が遊びすぎたせいで
地球の寿命を縮めてるって?
それはそれで
地球の本望かもしれないよ。
神様?
そんなものはいないよ。
いるとしたら、君のことだね。
運命?
そんなものはないよ。
あるとしたら、君がつくるものだね。
足りないもの?
そんなものはないよ。
あるとしたら、君が忘れてるだけだね。
悲しみ?
それはあるよ。
喜びを味わうために必要だからね。
何をすればいいかって?
別に、何にもしなくたっていいんだよ。
大事なのは、
何をして生きるか、じゃない。
何を感じて生きるか、だよ。
大丈夫。
目の前の現実から
何を感じとるかは、
いつだって君が選べるんだから。
そして
君が本当にほしいものを選べたのなら
地球と月が
ぶつからないのと同じように
何があっても
太陽が東から昇るのと同じように
にんげん星も
うまくいくようにしかできていない。
地球の百億分の1の一年が
また終わり、また始まる。
よし、準備はできたね。
戻ってきたら
君の物語を聞かせてね。
楽しんで。
行ってらっしゃい。
おーしまい♪
さて、来年はどんな妄想をするかな。
来年もよろしくお願いしまっす。
サポートしてもらえたら、飛び跳ねるほど喜んで、もっと良い記事を書こうって頑張る子です。よろしくお願いします♪