見出し画像

走ることについて②

不惑のランナー

前回①の話を遡ること10年の2000年の夏から3年間、北海道の道東の実り豊かな地で生活をしました
「北の大地」という表現がぴったりのところで、初めて飛行機で降下した時には「いったいこの人気(ひとけ)のない土地のどこに降りるのだろう」と不安になるくらい農地のど真ん中に着陸した印象が残っています
飛行場についた後も、街中まで農地だか牧草地だかが行けども行けども続いたのでした
後で思ったことは、夏の赴任で本当に良かったということ
一番いい季節をまず過ごしたことで、その土地に馴染むことができ、そのあとの「長い氷の世界」も楽しめたのだと思います

帯広氷祭りにて(だと思う)

走り始めたのは?

任地には家族で引っ越しをしたのですが、途中から単身となり(子どもの高校どこで行くか問題ですね)、一人になると予定のない休日は時間を持て余すようになりました
思い立って、知床まで車を飛ばしていったこともありました(片道250キロほどです)

知床観光船から

また、秘湯めぐり(普通の温泉に行くのにも、結構な頻度で舗装されていない道を行く必要がありました)などもしました
でもいずれも冬場は無理なんです
スタッドレスタイヤを履いていても、怖くて日没後は運転しませんでした
雪国育ちですが、北陸の雪とは雪質が違い、特に道はつるつるに凍っていました

大樹町晩成温泉 ヨード泉です(ここは秘湯ではない)

当時の上司がランナーで(一緒には走りませんでしたが)、おすすめのコースを教えてくれました
それで、おすすめコースの1つである札内川にでて河原を走ることにしました
それが気持ちよくて、内田善美の「空の色ににている」の主人公(蒼生人君ですね)になった気分でした(40過ぎのおっさんでしたが)
 ※内田善美については知る人ぞ知るなので、これ以上は触れません
  私はマニア気質ではないので
やっぱり走るのが好きだったのでしょう

冬場はどうしていたか
ちゃんと走る場所はありました
屋内スケートリンク施設の上階が走れるようになっているのです
さすがスケートどころですね
そのような生活は1年半で終わり(その間、地元の5キロの大会には参加しました)東京に戻るとまた走らなくなりました

どうして前回に続くのか

このように決して熱心なランナーではないのですが、地方赴任時には何らかのきっかけがあり、それに向けて少し走ってみるということがありました
(山口勤務時は、「周南24時間リレーマラソン」に参加しました)

職場のメンバーで参加(左から2人目)おそろいのTシャツで

少なくとも、抵抗なく「走ろう」と思う気持ちになる気質でした
そんなことから、前回に記した社外団体の最初の自己紹介で、苦し紛れでも「趣味はランニング」と言ったことが今に繋がっています
今となっては大きな自分へのプレゼントになっています
高校生時代の最高体重に維持できているのもそのおかげですね
重くなると走るのがしんどくなるので食事(主にお米)の量で調整します
今月は27日の「横浜マラソン」に初めて参加します
何とか完走を目指したいと思います


最後まで読んでいただいてありがとうございます まだまだnote初心者ですが、いろいろ試行錯誤しながら思っていることを言葉にしていたいと思います