少年野球で優勝を目指す必要はあるのか?
小学生の野球で優勝を目指す必要はあるのか?色々考えた結果、今のところ僕の答えはイエスだ。
優勝というのは1番になることだ。僕は1番を目指すこと、1番になることはとても素晴らしいことだと実感している。
恥ずかしながら、自分が学生時代に現役だった時は、優勝してもただ嬉しいという感情しかなかったのだが、社会人になって1番を意識することの大切さを感じるようになった。
つまり勝利を目指し、お互いが高めあうことはとても素晴らしいことで、そういった環境で何かに取り組むことは間違いなく自分の成長に繋がると考えている。
だから、最初の質問の答えはイエスなのだ。
しかし、優勝を目指す、勝利を目指すという素晴らしいチャレンジにおいて、なぜ勝利至上主義といったネガティブなワードが揶揄されることがあるのだろうか。
それは、チームに問題があると僕は思う。お互い高めるの「お互い」には、選手同士の「お互い」だけではなく、指導者と選手の「お互い」もあり、指導者も高めあうことが大切なのだと思う。
指導者の中には、自分自身が選手と共に高めあうことを忘れ、選手を駒として扱っている者がいるのだと想像する。そうなると選手は、優勝ではなく指導者が決めた1番を目指すことになってしまう。
指導者個人の価値観が作った1番なんて、本当に無意味だ。これが、勝利至上主義というワードが表す現状なのだと僕は理解している。
すごく否定的なことを述べたが、一方でそういった指導者を頂点に置いたピラミッドの中で成長したい、成長できると考えている選手やその保護者がいることも把握している。
僕はそれは違うと思うのだが、人それぞれ価値観があって何が正解なのかはわからない。だから、その人たちのことを否定するつもりはない。
そこで重要になってくるのが、在籍するチームはどういう考え方のチームなのかということだ。
チームの方針や目指しているところはオープンすべきで、きちんと入会する前に説明すべきだとだと思う。
チームと個人の考え方のアンマッチによって、野球が楽しくなくなってしまったり、嫌いになってしまうのはすごく残念で悲しい。
優勝という山の頂があるとしたら、登り方は自由だと思う。地道に歩いて目指すチームなのか、ヘリコプターに乗って目指すチームなのか。ヘリコプターに乗るつもりでいたのに、歩かされたらそれは嫌になってしまうだろう。
僕は優勝や勝利に至る方法やプロセスを考えることがすごく楽しいと感じる。本を読んだり、ネット記事やYouTubeを見たり、今は昔と違い、色々な人の考え方や方法を学ぶことができる。
指導者よりも子どもたちの方が知識を知っていることもあるだろう。指導者からの一方通行ではなく、共に学び成長できるチームが僕の理想チームだ。
表題に話は戻るが、優勝を目指すことが目的になってはいけないと思う。優勝はあくまで目標だ。僕が野球をする目的は優勝する為ではない。野球の楽しさや奥深さをもっともっと掘って行きたいと思う。
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