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『はじめの一歩 物理探査学入門』を書いた理由

 九州大学の工学部の講義で”物理探査学”を担当しています。私が学生の頃は、通年(1年間)で4単位の講義でしたが、今は春学期(2か月間)の2単位の講義です。現在の授業時間は1コマが90分ですが、昔は110分授業でしたから、時間数だけでも約2.5倍もありました。授業に充てる時間数はタップリありますが、当時はクセの強い先生が多く、まともな授業は数えるほどしかありませんでした。学生たちも、”大学とは教えてもらう場所ではなく、自分で学ぶ場所だ”と自覚していたので、文句はありましたが、そんなものだと割り切っていました。

 今なら大問題になりそうな、ひどい授業もかなりありました。筒井康隆さんの小説『文学部唯野教授』の中にこんな一節がありました。「・・・大学の授業は10分遅く来て、10分早くやめるのが常識・・・」。正確な表現は覚えていませんが、こんな一節だったと思います。実際に、授業に遅く来て早くやめる先生は少なからずいました。この程度の授業なら自分もできる、と若い頃は思っていましたが、実際にやってみるとそうはいきません

 授業が難しい理由の一つが、狭い専門分野だと良い教科書が無いことです。例えば、工学部でも多くの人が学ぶ電気工学や機械工学なら、既に多くの教科書があり、自分の授業スタイルに合った選択が可能です。しかし、物理探査学のような狭い専門分野では、教科書を選ぶことができませんし、そもそも日本語で書かれた良い教科書が無かったりします。英語で書かれた本なら、まだ有るのですが・・・。

 私が受けた授業の中でも、教科書が無いのに理路整然とした授業をする先生がいました。しかし、ずいぶん経ってから別の先生にその話をしたら、「あれは私が推薦した洋書のパクリ」だと知らされました。それほど、教科書の存在は大きいのです。日本などの一部の国を除けば、多くの大学の教科書は英語で書かれたものが使われています。日本のように、専門書が母国語で読めるのは、本当に有り難いことなのです。はっきりした因果関係は私にはわかりませんが、西欧諸国に次いで日本人のノーベル受賞者が多い理由は、高等教育が母国語(日本語)で行われているからだと主張する人もいます。

 英語は共通補助言語として、コミュニケーションや論文作成のために重要なことはもちろん承知しています。私のいる大学でも、学部の講義では日本語主流ですが、大学院の講義では英語が主流になっています。英語も日本語も重要なことには変わりありませんが、論理的な思考のためには長年慣れ親しんできた日本語が重要な役割を果たしていると思います。英語は中学校や高校で6年間も勉強しますが、論理的に使いこなす訓練はしていません。

 プログラミング教育の必修化は、小学校では2020年度から開始されました。また中学校では2021年度からこれまでよりも踏み込んだ内容へと、プログラミング教育が強化されるそうです。私は、全員がプログラミングを身に付ける必要はないと思いますが、論理的な思考を養うためには面白い取り組みだと思っています。高校の指導要領も大きく変わるようで、”論理国語”という新科目が登場します。これも、論理的思考がいかに大事かを端的に表しています。

 関係あるような、無いようなことを長々書きましたが、色々あって教科書を書こうと決心しました。原稿ができてからの紆余曲折は、”あとがき”に詳しく書いていますので、興味がある方はそちらもお読みください。私の書いた教科書が優れているとは思っていません。まだまだ間違いや誤植も多いですし、内容も充実していません。しかし、価格やページ数を考慮して今の内容に落ち着きました。”はじめの一歩”の題名の通り、物理探査学を知るきっかけになれば幸いです。




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