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身近な歴史 刀伊の入寇

NHKの大河ドラマ『光る君へ』を見ていたら、”刀伊とい入寇にゅうこう”に関連したエピソードが放映されていました。ドラマ自体は架空のものですが、刀伊の入寇自体は史実です。高校生の時に、日本史の教科書に小さい字で書かれていた刀伊の入寇は、「そんなこともあったんだ」くらいの認識でした。しかし、今は少し身近に感じています。

というのも、刀伊の入寇が能古島を拠点に行なわれていたからです。能古島は姪浜の能古渡船場からフェリーで10分の距離にある自然あふれる島です。春には菜の花、秋にはコスモスが拡がる能古アイランドパークが島の中心にあって、福岡市の憩いの場にもなっています。福岡出身の歌手・井上陽水さんの歌には『能古島の片思い』という曲もあります。

刀伊の入寇とは、寛仁3年(1019年)3月末から4月にかけて、女真族の一派とみられる集団を主体とした海賊が壱岐・対馬を襲い、さらに九州に侵攻した事件のことを指します。女真族とは、この後の12世紀に金を、さらに17世紀には満洲族として後金を経て清を建国する民族です。刀伊という名称は、中華思想の東の夷狄いてき(蛮族)である東夷とういを日本式に漢字を当てたものとされています。高校生の時には、”刀伊来る(1019)”と年号を覚えました。

9世紀から11世紀にかけての日本では、記録に残るだけでも新羅や高麗などによる海賊行為が頻発していて、襲撃略奪を数十回も受けていました。刀伊の入寇も、その流れを汲む侵略行為でした。この時は、なんとか武力で追い払いましたが、その二百数十年後には元による侵攻、いわゆる元寇が起きてしまいます。福岡市には元寇を阻止するために作られた防塁跡が今でも残っています。

このように書くと海外勢が一方的に悪いように思われますが、日本側も倭寇わこうとして、13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部で海賊行為を行なっていました。また、豊臣秀吉による朝鮮出兵は、当時の壮大な国家プロジェクトでした。韓国の歴史ドラマでは、よく倭寇や朝鮮出兵の話が出てきます。

見方(立ち位置)が変われば、ひとつの歴史的事実が侵略にもなり、聖戦にもなります。これが人類が何度も繰り返してきた、戦争という愚かな行為です。

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