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物理探査に関する古い記事 『百発百中電気探鉱機』

神戸大学の新聞記事のサイトで、また物理探査に関する古い新聞記事を見つけました。記事は、1924.9.18 (大正13) の日付の大阪毎日新聞の記事で、タイトルは『百発百中電気探鉱機』です。以下は記事の引用です。

『日本で最初の実験 九大小田教授成績を語る 九州帝大工学部教授小田二三男氏は八月一日以来電気探鉱機を携えて実地試験のため秋田、静岡方面に出張中であったが十七日帰来した、元来この機械は仏国のシュランテーゼーをいう人が発明し小田教授が先年帰投の際持ち帰ったもので日本ではその後京大に一つ購入されて居る位のものである、併しこれが効果の有無に就いては実験された事なく今回の小田教授の実験が日本では最初でその結果有効と認められて居るが愈々これが有効と立証されたら探鉱界の大革命であると、小田教授は語る 私は第一回の実験として秋田の小阪、花岡及び静岡の久根の三鉱山について実験を十日間試みた、従来は探鉱に対して地質から研究し然る後ボーリングを行ったもので往々にしてボーリングの無駄に終ることがあったものであるがこれでやると絶対に的確を期することが出来るのである、未だ日本でこの電気探鉱法の応用を見ないのは残念である、各鉱山でもこれが有効如何に依っては多大の期待を寄せている、先ず第一回の実験は有効であったが更に明年の夏休みは第二回として電流を地中に送って探鉱法を実験する、元来岩石と鉱石とは電動の差が甚しいものである、今回見たところでは小阪と花岡とは同じであるが久根とは鉱床の性質が全然違っていた(福岡来電)』

 この記事は、日本で始めて物理探鉱学講座を創設した初代教授の小田二三男先生の記事です。小田先生は、アメリカのボストン大学訪問の帰路、ヨーロッパに立ち寄って、シュルンベルジェから”電気探鉱機”を購入しました。私の聞いた話では、小田先生は裕福だったので、研究費ではなくポケットマネー(私費)でこの機械を購入したとのことでした。記事中の”シュランテーゼ―”というのが、シュルンベルジェのことです。

  この時の電気探鉱機は、自然電位の測定機です。当時は自然電位法の黎明期で、まだ人工的な電流を使用する比抵抗法は普及していませんでした。しかし記事によると、「電流を地中に送って」という記述があるように、早くも二回目の実験で比抵抗法の基礎実験も始めていたようです。ほぼ100年前の記事ですが、このような先人の努力の元に、現在の先端技術が成り立っています。

 しかし”百発百中”というのは、かなり盛った表現ですね。

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