かつての石狩油田
ネットサーフィンしていて、偶然にかつての”油田”の記事を見つけました。それが、下にリンクを貼った石狩油田の記事でした。タイトル画のように、ここは典型的な背斜構造に形成された石油貯留層のようです。
石狩油田は札幌の北部に位置するかつての油田で、昭和4(1929)年の最盛期には、油井188抗から年間産油量10,000キロリットルの原油を算出していたそうです。しかし総埋蔵量が少ないため、年々生産量が落ち込んで行きました。日本が太平洋戦争に突入した昭和16(1941)年は、南方アジアからの石油がストップして石油が一番欲しい時代でしたが、年産3,000キロリットルにまで減少しました。さらに昭和30(1955)年頃になると、原油生産量は年間1,800キロリットルを下回り、ついに昭和35(1960)年に58年間にわたる油田の歴史が閉じられました。
現在の石狩油田跡には、跡地がわかるような石碑やパネルが残されていますが、目立った痕跡はありません。ただし、記事にあるように場所によっては石油が染み出ている所もあるようです。ずいぶん前になりますが、さらに北部にある稚内で石油が染み出た場所の探査を実施した経験があります。稚内にも小規模な油田があったようですが、現在は採油されていません。しかし、稚内の温泉には少量の原油が混ざっていて、地元の人からは”油温泉”と呼ばれています。
日本は石油の大部分を海外に依存しているので、油田があることを知らない人も多いようですが、新潟や秋田では少量ながら石油を採取しています。また、これらの地域の他にも北海道などでは天然ガスを採取しています。