思いがけないキッカケ
何が起きるかわからないのが人生です。たぶん、予測できないからオモシロイのだと思います。特技や趣味、仕事などが生まれた時から決められていたら、こんな退屈な人生は無いでしょう。
今朝聞いたラジオで面白い話がありました。ある男の子が、小さい時に親に連れて行ってもらったテーマパークで見た”キャラクターのダンスショー”に魅了されたことがキッカケで、ダンスが趣味になったそうです。キャラクターのダンスショーが人生に大きな影響を及ぼす場合もあるようです。
似たような話を少し前にも聞きました。東京オリンピックで銅メダルに輝いたスポーツクライミングの選手が競技を始めてキッカケは、旅行先で出会った壁登りのアクティビティだったそうです。
このように”道を選択する”キッカケは、思いがけないことが多いのかもしれません。私の仕事は大学の教員で、地下を探査する物理探査に関する研究や教育に携わっています。しかし、子供の頃から大学の先生を目指したわけではありません。むしろ子供の頃は、”大学の先生”という職業があることも知りませんでした。
私は大分の田舎出身ですから、近くに大学などは有りません。私の身近な先生と言えば、小中学校の先生や高校の先生でした。リアルな大学生を見たのも、自分が大学生になってからでした。また、後々『物理探査学』と出会うのですが、大学に入学した時にはそんな学問分野があることさえ知りませんでした。
物理探査学、通称・物探のことを初めて知ったのは、研究紹介をするようなガイダンス授業で、当時の物理探査学の教授の講義を聞いた時でした。その時の講義内容は待った覚えていませんが、”難しそうなことをやっているなぁ”という印象はありました。
研究室を選ぶときに物理探査学研究室を選んだからと言って、物理学が得意だった訳ではありません。本当のことを言うと、私は物理学よりも化学の方が好きで、高校の成績も化学の方が常に好成績でした。そんな物理が苦手な私が物理探査学研究室を選んだキッカケは、コンピュータでした。
その頃はまだコンピュータの黎明期で、当時の資源工学科でコンピュータを使った研究をしているところはほとんどありませんでした。そのなかで、物理探査学研究室は自前のコンピュータシステム(コンピュータ本体+カードリーダ+レーザープリンタ+グリーンディスプレイ;当時の値段で4千万円くらい)を所有していました。コンピュータは大型計算機センターで利用するのが当たり前の時代でしたから、自前のコンピュータは宝物のように思えました。しかし、研究室に配属された後でも、ペーペーの学部生にはほとんど使わせてもらえませんでした。
その後も紆余曲折あって、大学院の修士課程、博士後期課程に進みました。月日は進み、気付けばポンコツ教員になっていました。今考えると、なかなか楽しい仕事でした。その仕事人生ももうすぐ終焉を迎えつつあります。ロウソクが燃え尽きる前には、炎が大きくなると言います。1年10か月後が定年ですが、幸い大型の研究プロジェクトを受託して、暇な時間はありません。これからがラストスパートです。
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