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箱崎キャンパス内の元寇防塁跡

 鎌倉時代の中頃、1274年(文永11年)と1281年(弘安4年)の2回にわたり、蒙古もうこげんが北部九州を攻めてきました。これが後に言う文永の役と弘安の役で、蒙古襲来ともいいます。当時は蒙古合戦、異国合戦と称され、『元寇』という語は近世以後に定着したと考えられています。

 当時の鎌倉幕府(主に九州の御家人)は、文永の役を教訓として、博多の海岸線に蒙古襲来に備えた石組みの防御壁を急遽こしらえました。これが元寇防塁です。元寇防塁は福岡市西区の今津から東区の地蔵松原まで10ヶ所で発見されています。この地蔵松原の元寇防塁跡の一部が、旧・箱崎キャンパスで見つかりました。この防塁跡は、2016年(平成28年)に九州大学のキャンパス移転工事に伴う発掘調査で、石積み遺構(タイトル図)が発見されました。

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 この石組み遺構(防塁跡)がどのように分布しているかを調べるため、地中レーダ探査を実施しました。詳しい結果はここでは述べませんが、旧・箱崎キャンパスを東西に横断するように分布している可能性があることがわかりました。

 話は変わりますが、福岡市には幻の市歌があります。この市歌の歌詞は市民の一般公募によって選んだようですが、その歌詞の一番には、次のように元寇のことが書かれています。

 元寇十万屠りしところ 歴史は千代の深みどり
 松原駆けたいさおしの ほまれぞかおる おお漲ろう
 西日本の力なる 福岡 福岡 とどろくわが市

 最初の歌詞が何とも勇ましすぎるのですが、福岡市は「敵である元寇を10万人も殺した」場所だと言っています。何でこんな歌詞が選ばれたのかよくわかりませんが、時代背景(昭和6年)も影響したのかもしれません。この歌詞が災いしたのか、この歌は市民に浸透しませんでした。おそらく、この歌の存在を知っている福岡市民は殆どいないと思われます。

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