8月12日の思い出
1985年8月12日の前日まで、長崎県の雲仙で電気探査のアルバイトをしていました。この電気探査は、シュランベルジャー法という方法を用いた地熱開発のための基礎調査でした。真夏の雲仙の山中を、測線に沿って移動を繰り返す作業の連続で、体力的には結構きついアルバイトでした。その当時、現在の地熱探査の主流であるMT法は、まだ日本では普及していませんでした。
8月12日は、アルバイトを別の大学院生と交代して福岡に帰る日でした。福岡の下宿には昼頃に到着して、それまでの現場作業で貯まった洗濯をしたような気がします。久しぶりの福岡でゆっくりする間もなく、夕方から大分の田舎にある実家に帰ることにしました。電気探査のアルバイトで懐も潤っていたので、いつもは特急の自由席で帰省するのですが、その日は少しだけ奮発して指定席で帰りました。
博多駅で列車に乗り込むと、私と同い年くらいの女性がすでに隣の席に座っていました。若い女性にちょっとだけ意識しましたが、話しかけることもなく、本を読みながら静かにしていました。今でもそうですが、博多から大分方面に行く場合、小倉で列車の進行方向が変わります。初めて経験した時にはビックリしましたが、その時は何度も経験していたので慌てませんでした。
小倉に到着すると、座席を進行方向に合わせるために回転する必要がありました。そのため、隣の女性に声をかけて移動してもらい、座席を回転させました。座席の回転から間もなくして列車が小倉を出発しました。それから、少し経った頃、隣の女性から「飛行機が墜落したことは知っていますか?」と話しかけられました。
夕方は、帰省用の荷物を詰めたり、乗車券を買ったりしてバタバタしていたので、テレビは全く見ていませんでした。実家に着いてテレビを見ると、ニュースは墜落事故の報道一色でした。
38年前の今日、御巣鷹山に日本航空のジャンボジェット機が墜落しました。今でもその日のことは鮮明に覚えています。
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