見出し画像

アンサング偉人伝#7 インドの魔術師・ラマヌジャン

 数学好きなら、ラマヌジャンの名前を一回くらい聞いたことがあるはずです。シュリニヴァーサ・アイヤンガル・ラマヌジャン (Srinivasa Aiyangar Ramanujan) は数論を専門とするインドの数学者で、極めて直感的・天才的な閃きから”インドの魔術師”と呼ばれていました。

 ラマヌジャンは1887年に南インドのタミル・ナードゥ州の極貧のバラモン階級の家庭に生まれました。小さい頃から、母親の徹底したヒンドゥー教の宗教教育を受けますが、後にこれが彼の寿命を縮めることになります。ラマヌジャンは学校での成績が悪く、高等数学の正式な教育は受けていませんでした。しかし15歳の時、ジョージ・カーという数学教師が著した『純粋数学要覧』という受験用の数学公式集に出会ったことで人生が変わりました。これ以後ラマヌジャンは、全身全霊で数学に没頭します。

 しかし数学に没頭するあまり、せっかく奨学金をもらって入学した大学も中退してしまいます。それでも、ラマヌジャンは独学で数学の研究を続けていました。彼は周囲の勧めもあって、イギリスの有名な数学教授たちに自分の研究成果を記した手紙を送りましたが、一人を除いて黙殺されました。彼を無視しなかった唯一の人物が、ケンブリッジ大学のハーディ教授です。

 ハーディ教授はラマヌジャンの手紙を読んで、最初は”狂人のたわごと”程度にしか考えていませんでしたが、やがて書かれている内容に驚愕することになります。ラマヌジャンの手紙に書いてある成果には、明らかな間違いや既知のものがあるものの、中には”この分野の権威である自分でも真偽を即断できないもの”や”自分が証明した未公表の成果と同じもの”がいくつか書かれていたからです。

 この後、ハーディはラマヌジャンをケンブリッジ大学に招き、ラマヌジャンは1914年にイギリスに渡りました。しかしイギリスでの生活に馴染むことができず、やがて病気を患ってインドに帰国し、遂には1920年に病死してしまいました。ラマヌジャンが早世した理由の一つは、彼が敬虔なヒンドゥー教徒で、厳格な菜食主義者だったため、第一次世界大戦下のイギリスで食糧確保が困難だったことが挙げられています。

 ラマヌジャンの逸話として有名なものの一つがタクシーのナンバープレートの話です。ラマヌジャンが療養所に入っていた頃、見舞いに来たハーディ教授が次のように言いました。「さっき乗ってきたタクシーのナンバーは、1729だったよ。さして特徴のない数字だね」。これを聞いたラマヌジャンは、すぐさま次のように言いました。「そんなことはありません。とても興味深い数字です。それは2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数です」。

 実は、1729は次のような二通りに表すことができます。
   1729 = 12^3 + 1^3 = 10^3 + 9^3 (^3は3乗を表わします)
すなわち、1729が「A = B^3 + C^3 = D^3 + E^3」という形で表すことのできる数 A のうち最小のものであることを、ラマヌジャンが即座に指摘したのでした。この逸話のため、1729は俗にタクシー数などと呼ばれています。

 ラマヌジャンは、厳密な数学的な証明は苦手でしたが、天才的なひらめきで多くの公式を発見します。特に、円周率は好きだったようで、円周率に関する公式がいくつもあります。下の式はその公式の一例ですが、式中の1123や21460や882は、一体どこから発想したのでしょうか?。やっぱり天才です。

画像1

 ラマヌジャンが長生きしていたら、もっと多くの公式を発見していたかもしれません。でも、フェルマーの最終定理のように、ラマヌジャンの公式が数学者たちを何百年も苦しめたかもしれません。


いいなと思ったら応援しよう!