私の奨学金ライフ 4冊の奨学生手帳
現在は給付型奨学金、無利子奨学金、有利子奨学金など様々な奨学金がありますが、私の学生時代の公的奨学金といえば、『日本育英会』の無利子の奨学金だけでした。
最初の奨学金は、高校2年生の時から2年間借りました。実家は裕福ではありませんでしたが、奨学金が無ければ高校へ通えないほど貧乏でもありませんでした。しかし、育成会奨学金には高校毎の割り当て数(ノルマ?)があるみたいで、担任の先生から「応募してみないか?」と誘われたため、特に欲しくはありませんでしたが、借りることになりました。確か1月当たり五千円だったので、1年間で6万円です。2年間で12万円になりましたが、親が全額貯金していて、このお金は実家のステレオ(オーディオセット)代になりました。誤解の無いように書きますが、参考書や問題集などの本代は、親からもらっていました。
大学時代に2度目の育英会奨学金を借りました。この時の金額は2万五千円くらいだったと記憶しています。当時は下宿していて、親から仕送りをもらっていましたが、奨学金のお陰で特にバイトで稼ぐ必要もなく、質素な生活をしていればお金に不自由することはありませんでした。
大学院の修士課程で、3度目の奨学金を借りることになりました。この時は月に3-4万円くらいの金額だった思います。修士課程は2年間なので、トータルでは4年間の大学時代よりも少ない金額でした。
これで終わりではありません。私は博士後期課程に進学したので、4度目の奨学金を借りることになりました。この時の金額は月額7-8万円くらいだったと思います。この奨学金は、貧乏学生には本当に助かりました。
総額で400-500万円くらいの借金になりました。ただし、大学院の奨学金については免除職(大学の教員や国の研究職など)に就くと免除される制度がありました。この制度のお陰で、15年という長い時間はかかりましたが修士と博士の時の奨学金は免除になりました。しかし、大学4年間の分は免除にならないので、少しづつ返済していましたが、大学院分の免除が決まった時に繰り上げ返済して完済しました。
日本育英会の奨学生になると、奨学生手帳と呼ばれるものが交付されます。これには、奨学金の返済に関する細かいルールが書かれているので、完済するまで持っていなければなりません。私は色違いの手帳を4冊も持っていました。4冊の奨学生手帳をコンプリートした人は、かなり少数ではないかと思います。しかし、高校の分は2年生からだったので、真のコンプリートには1年間足りません。それが唯一の心残りです。