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丁度良いのは難しい。

タイトル画は、石川県の大谷派常讃寺坊守・藤場美津路さんが、作った『丁度よい』という詩です。あまりにも出来が良いので、”良寛作”と間違って伝えられた時期もあったらしいです。”丁度よい”/”丁度いい”は、分量や大きさの程度、時間などについて、過不足なくぴったりしているさまを意味します。

しかし、”丁度よい”のさじ加減は難しいと思います。よく『毒にも薬にもなる』という成句がありますが、同じ化学物質でも、使用量によって毒や薬になります。推理小説などに出てくる”ストリキニーネ”は、人や動物に対して致命的な影響を与えます。ストリキニーネは劇的な痛みを伴う症状を引き起こすものなので、しばしば文学や映画での殺人事件で描かれています。有名なのは、アガサ・クリスティの『スタイルズ荘の怪事件』や、横溝正史の『八つ墓村』などです。

しかし、この猛毒のストリキニーネは、医療用の強壮剤としても使われます。毒/薬とは少し違いますが、ダイナマイトの原料になるニトログリセリンは爆発性の高い化学物質ですが、血管拡張作用があるので、少量なら狭心症の薬にもなります。

”丁度よい”に関係した成句に、『過すぎたるはなお及およばざるがごとし』というのがあります。これは、”行き過ぎたことややり過ぎたことは及ばないことと同じで、正しい道には適っていない。物事の中庸を尊ぶべきであるということ”を意味しています。この成句の原典は『論語・先進』です。そのなかでは、「子貢問。師與商也孰賢。子曰。師也過。商也不及。曰。然則師愈與。子曰。過猶不及」と書かれています。

下村湖人の『現代訳論語』によると次のような意味になります。孔子が弟子の子貢から、「師(子張)と商(子夏)とでは、どちらがまさっておりましようか?」と尋ねられ、「師は行き過ぎている。商は行き足りない」と答え、さらに子貢から「では、師の方がまさっているのでございましょうか?」と尋ねられた時に、「行き過ぎるのは、行き足りないのと同じだ」と答えたそうです。

何事にも『丁度良い』のが良いのでしょうが、これが大変難しいのです。

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