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風が吹けば桶屋が・・・ 津田梅子と九州大学の関係 

1万円札で買い物をしたら、思いがけず新5千円札が手に入りました。新5千円札の肖像画は、津田梅子さんです。5千円札は流通する数が少ないので、しばらく本物とは出会えないだろうと思っていましたが、呆気なく入手できました。この5千円札の紙幣番号はAAから始まっているので、初期ロットのものでしょう。

津田梅子は、1871年(明治4)12月に横浜を出港した欧米視察のための岩倉使節団に同行した日本最初の女子留学生5人の最年少(満6歳)でした。タイトル画は、守屋多々志作の屏風絵『アメリカ留学—津田梅子』です。おそらく、左から二番目の一番小さな女の子が津田梅子だと思われます。

この津田梅子が、1900年に女性の高等教育をめざす私塾・女子英学塾(後の津田塾大学)を創立しました。私が受験生だった頃は、津田塾大学は私学の最難関の女子大でした。あれから40年以上経ち、女子大人気が凋落傾向の中、津田塾大学も苦戦しているようです。この現状を創立者・津田梅子はどう思っているでしょうか?。新札の肖像画になったことがキッカケで、津田塾大学も人気が回復するかもしれません。

ところで、女子英学塾の創立に貢献したのが、津田梅子と同時期にアメリカに渡ったもう一人の女子留学生・大山(旧姓・山川)捨松すてまつでした。大山捨松は、日本最初の女子留学生の一人で、アメリカの大学を卒業して学士号を得た最初の日本人女性です。

この大山捨松の兄が山川健次郎です。山川健次郎は、明治12年(1879年)、日本人として初の物理学教授になり、明治21年(1888年)には東京大学初の理学博士号を授与されました。山川健次郎は東京帝国大学の総長を長く勤めていますが、九州帝国大学の初代総長でもあります。

津田梅子と九州大学には直接のつながりはありませんが、風が吹けば桶屋が儲かる的に、津田梅子⇒大山捨松⇒山川健次郎とつながります。いずれも、明治時代の高等教育に力を尽くした人たちです。

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