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偉人の名言#8 マリ・キュリー

チャンスというものは,準備を終えた者にだけ微笑んでくれるのです

 マリ・キュリーは、一般的にはキュリー夫人と言った方が、わかりやすいかもしれません。キュリー夫人は、ポロニウムやラジウムの発見で、女性初のノーベル物理学賞を受賞者します。この時は夫であるピエールとの共同受賞でした。夫のピエールは磁気の研究でも有名で、磁化が無くなる温度であるキュリー点などを発見しています。しかし残念なことに夫のピエールは馬車の事故で死んでしまいます。キュリー夫人は夫の死後も放射能の研究を続け、ノーベル化学賞も受賞します。一人で2つのノーベル賞も、女性初でした。蛇足ですが、キュリー夫人の娘と娘婿もノーベル賞を受賞しています。キュリー家はノーベル賞一家です。

 レントゲンの人工放射線(X線)や、ベクレルのウラン鉱石からの天然放射線(当時はベクレル線と呼称)の発見に触発されたキュリー夫妻は、ウラン以外にもベクレル線を出す物質があるのではないかと、様々な鉱石を使って実験を始めました。そしてピッチブレンドと呼ばれる鉱石から、強いベクレル線を出す物質を見つけました。キュリー夫人はその物質の単離に成功し、祖国ポーランドにちなんで、この元素をポロニウムと名付けました。ポロニウムはピッチブレンドの鉱石1トンあたり、0.1ミリグラム以下しか入っていません。キュリー夫妻は来る日も来る日もピッチブレンドを乳鉢で磨り潰していたそうです。

 冒頭の言葉は、努力家のマリ・キュリーならではの言葉のように思います。しかし同じような言葉は、多くの人が言っています。日本では、2020年に亡くなられた小柴昌俊さんも同様なことを言っていました。小柴先生は、スーパーカミオカンデを使ったニュートリノ観測でノーベル賞を受賞しましたが、何かのインタビューで「スーパーカミオカンデを完成させて待ち構えていたから、ニュートリノが観測できたんです」的なことを応えていました。

 本当のことは分かりませんが、ピエールの死後、彼の後輩であるランジュバンとのロマンスが話題に上りました。ランジュバンは、超音波振動子の発明やアインシュタインの相対性理論を広めた功績で有名なフランス人研究者です。このロマンス(?)のため、ノーベル化学賞の辞退を求める運動がフランスで起こったそうです。この背景には、マリがポーランド人であったことが関係しているとも言われています。しかし、マリは決然と辞退しませんでした。

 少し前の話ですが、キュリー家とランジュバン家の孫同士が結婚したそうです。めでたし、めでたし。


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