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サーバント(奉仕者の)リーダーシップって何?

前々回にトリビア(雑学や豆知識、些末なこと)的に取り上げたヘッドシップのお話から、リーダーシップへとテーマが移り、前回は「ビジョンの共有」に触れましたが、今回は関連するお話として「サーバントリーダーシップ」を取り上げたいと思います。


リーダーシップも様々

ヘッドシップとの比較でトリビア的に始まったリーダーシップのお話ですが、使命をもって行くべき道を示し、人を導くやり方は様々です。
リーダーシップは個々人がどこかに保有しているものではなく、目的に応じて「発揮される」ものです。

例えば・・・

  • イノベーションや変革が求められる状況においては「トランスフォーメーショナル・リーダーシップ」

  • 事業撤退や幕引きの状況では「終結型リーダーシップ(closure leadership)や撤退型リーダーシップ(exit leadership)」

  • 飴とムチを強調して人を導くなら「トランザクショナルリーダーシップ」

  • リーダーの強烈な個性による「カリスマ的リーダーシップ」

  • 前号で上げたように、未来志向が強ければ「ビジョナリーリーダーシップ」

などと称されます。

どの様なリーダーシップスタイルが何と呼ばれているか、その類型に通じていてもあまり意味は無いと思うのですが、「〇〇さんの役割は終結型リーダーシップだったんだね。」とか、「△△さんのやり方はカリスマ的リーダーシップの典型でだね。あの状況では必要だったね。」
等と会話されるのでしょう。

ちなみに、私がリーダーシップについて興味を持ち始めた1990年代あたりは「ディストリビューテッドリーダーシップ(分散型リーダーシップ)」がよく取り上げられた記憶があります。リーダーシップが個人の役割に依存せず、状況に応じて複数の人がリーダーシップを発揮するという考え方です。

それまでリーダーシップと言えばトップダウンというイメージがありましたが、組織が複雑化し、よりチームとしての働き方が求められる状況で発生してきた考え方です。

しかし、リーダーシップの類型と概念を叫んだだけでチームパフォーマンスが上がるほど組織というものは単純ではありません。チームのサイズ、役割、責任、権限、評価など、他の数多の要素の中で試行錯誤を繰り返し、結果的に成功ケースを振返ってみたら「あれが分散型リーダーシップが発揮されたケースだったのだね」となるのが自然かな、と思います。

前々号で、「現場のリーダーシップを発揮して進めてくれ」と丸投げする上司は、実はこの「分散型リーダーシップ」に間違った理解で心酔した方でした。

サーバントリーダーシップ(奉仕者のリーダーシップ)とは

そこで、今回のテーマの「サーバントリーダーシップ(Servant Leadership)」ですが、直訳すると奉仕者のリーダーですね。

オキシモロン(oxymoron)という言葉にあまり馴染みは無いと思いますが、その例をご覧になれば「あぁ、あれね」と即ご理解頂けると思います。一見矛盾するような言葉を組み合わせて使う修辞技法のことです。例えば、

公然の秘密、冷ややかな熱意、痛快な悲劇、甘い苦しみ、無言の叫び・・・などですね。

オキシモロンは、複雑な感情表現、皮肉やユーモアを生み出す、詩的効果、などを意図したものですが、サーバントリーダーシップの「奉仕者」と「リーダー」の組合せはそれを超えた、新しい概念の創出を感じます。

私はサーバントリーダーシップという言葉はずいぶん前から耳にしていましたが、正直なところ、その概念に触れて真面目に勉強を始めたのはここ数年のことです。

サーバントリーダーシップの考え方は、自分やチームメンバーが自分たちのミッションをしっかり持っていて、それにみんなが向かっている限り、リーダーは「サーバント=人に尽くし、奉仕する人」となってメンバーを支えるという考えです。

「チーム、組織のミッションに合っているかどうか?」、これがメンバーを支えるかどうかの判断基準です。この軸を持たず単に助け、支援するだけであれば、ただの気前の良い上司、ありがたい上司で終わってしまい、リーダーとしての役割を果たせません。

サーバントリーダーシップの考え方を理解する上での書籍としては、神戸大学名誉教授、金井壽宏(かないとしひろ)氏の『サーバントリーダーシップ入門』(元・資生堂相談役 池田守男氏と共著、かんき出版、2007年)は、サーバントリーダーシップを理解する上でお奨めの一冊です。

同書の第1章で、サーバントリーダーシップについて以下の様に書かれたくだりがあります。少々長いですが引用させて頂きます。

リーダーシップの鍵となる言葉をひとつだけ挙げるとしたら、「その人を信じられるかどうか」になるだろう。つまりは「信頼」。信頼できる人なら、人はついていく。では、どういう人であれば信頼してついていくかというと、フォロワーのためを思ってくれる人だ。リーダーがフォロワーに尽くしてくれる、奉仕してくれると感じられるときに、フォロワーは心の底からリーダーを信頼してついていくのである。

 本書で紹介し、広めたいと思っているサーバント・リーダーシップという考えは、そういう素朴な関係性に立脚するものだ。リーダーの側がフォロワーに尽くす、奉仕するというと、突飛な考えの様に思われるかもしれないが、人は信頼できる相手ならついていく気になるし、そういう人はつねに、ついてくる(かもしれない)みんなのことを大切に思ってくれていると考えるのは、そう突飛なことではないし、大げさでもない。

・・・<中略>・・・ サーバントという言葉を「奉仕する人」「尽くす人」と考えればよいが、「従者」や「召使い」と訳してしまうと、だれがそういう人を「リーダーたるにふさわしい」と考えるのかと疑問に思ってしまうだろう。・・・<中略>・・・ サーバントになるということは、下手に出て召使いのように振る舞うことではけっしてない。なんでもいいから相手に尽くすというものでもない。「ミッション(使命)の名の下に奉仕者となる」という高貴な面が非常に重要なのだと私は思っている。”

以上、引用ですがサーバントリーダーシップの要諦をわかり易く説いています。

さらに、同教授は「サーバントリーダーシップはリーダーシップのひとつの類型として捉えるのではなく、スタイルというよりも、考え方、リーダーシップのあり方に関わる基本哲学の一つと捉えるべきだ。」と説かれていますが、これには同感です。

なぜなら、私は企業研修でリーダーシップをテーマにする時に、

  • 「信頼される」こと。

  • メンバーへの接し方としては、人として誠実な関心を寄せること。

が、リーダーシップを発揮する基本であることを常々お話ししているからです。つまり、良い関係性を築くことが、人がリーダーについてくるための必要条件であるということです。

これには誰からも異論はでません。

良い関係性を築く(=チームの関係性の質を上げる)ためには、様々な考え方やアプローチがありますが、そのひとつとして、サーバントリーダーシップを「スタイルというよりも、リーダーシップのあり方に関わる基本哲学」と捉えてリーダーが実践してみることは有効だと思うからです。

リーダーは最後に食べなさい!

サーバントリーダーシップの源流を辿ると、ロバート・K・グリーンリーフ(Robert K. Greenleaf)によって1977年に出版された「Servant Leadership」までさかのぼります。先述の金井壽宏教授の監訳によって、2008年に邦訳版が出版され、2015年に第8刷に至っています。

私はほとんどの本をKindle電子書籍で読みますが、この本は敢えてそれを避けました。手元にあるのは573ページの大著。厚さ4cmは楽々と机上に自立します。「これしっかり読めよ~」というプレッシャーを自らに与えたかったからです。

しかし購入後数ヶ月を経るも、未だ読破に至っておりません(汗)。少しでも理解を深めるために、「NPO法人 日本サーバント・リーダーシップ協会」の賛助会員として、今月から読書会に参加する予定ですので、追々この内容は折をみてnoteで紹介したいと思います。

読書会の話は余談ですが、この大著を眺めて私が思うことは、1977年から数多くの読者に支持されていながら、サーバントリーダーシップという言葉(リーダーシップのスタイルを表すものとして)が、そう頻繁に取り上げられていないのは、金井教授が仰る様に「リーダーシップのあり方に関わる基本哲学」として世に浸透しているためか、と。

穿った見方かもしれませんが、例えば「Whyから始めよ」で著作本、TEDトークで大人気を博した、サイモン・シネック(Simon Sinek)著の「リーダーは最後に食べなさい!(Leaders Eat Last 栗木さつき訳 日本経済新聞出版社2015)」などは、サーバントリーダーシップに通じる部分が多くありますが、サーバントリーダーシップについては書かれていませんし、引用すらされていません。

「リーダーは最後に食べなさい!」はアメリカ海兵隊のルールで、海兵隊では下位のものから食事をとり、トップの者には一番最後に配膳されることに由来します。リーダーが最後に食事をするのが当然とされている理由は、リーダシップの真価は、自分の要求より他者の要求を優先することにあると考えられているからです。

リーダーには特権が与えられているからこそ私利私欲を捨て、部下のことを心底気にかけねばならない。部下全員に食事がゆきわたったことを確認してから、リーダーは初めて食事をとる。

そうすることで、部下の方は「どんなときでもリーダーが自分たちを守ってくれる」という安心感の下で働き、いざとなったら我が身を犠牲にしてでもリーダーが守ってくれる、と確信している。すなわち絶対の信頼を寄せている、ということですね。

人は信頼する人についていく、というサーバントリーダーシップに大いに共通するところはありますね。

極限状態で発揮されたリーダーシップ

もうひとつ、思い当たったのが、2010年にチリのサンホセ鉱山で発生した落盤事故です。33人もの作業員が地下700mに69日間閉じ込められるという状況で、現場監督のルイス・ウルスア氏が発揮したリーダーシップです。記事では単に「リーダシップ」と表されるものが殆どですが、これは正にサーバントリーダーシップだと思います。

わずかな食料を分ける際にも自分は最後にとったと伝えられています。危機的状況下で彼が発揮したリーダシップは、自己犠牲の精神、希望を与えること、部下への奉仕です。

こうした姿勢を様々な局面で貫いたことで、「この人の言うことは信頼してついていこう」と、32人がフォロワーとし団結して危機を乗り切ったのですね。救出された時でも、ウルスア氏は33番目を選びました。

自分のリーダーシップに自信をもって!

以上、色々とお話をしてきましたが、私がサーバントリーダーシップについて取り上げる理由は、リーダーシップの類型についてウンチク語ることではなく、この様な考え方、「リーダーとしてのあり方」があるのですよ、ということを伝えたいからです。

リーダーシップといえば、力強さ、権限、権力、雄弁さ、有能さ、カリスマ性に結び付けて考えられがちですが、そうしたものを身につけた優秀な一人のリーダーがチームを率いることが、必ずしも良いチームを作るとは限らないからです。

もちろん、状況に応じてカリスマ性が求められたり、雄弁さや、権力が必要になることもあります。
しかし、そうした能力と「人を導く力」とは、本来別物であることを理解して頂きたいのです。

「自分は人を強引に引っ張っていくタイプではない」
「自分は雄弁ではない」
「自分にはカリスマ性が無い」
「自分はリーダーとしての権限を与えられていない」

・・・等々の間違った思い込みで、自らの持ち味や個性を発揮して人を導くことを諦めてしまう(と言うより最初から取り組まない)人が少なくありません。

さらに悲劇的なことは、周囲の間違ったリーダーシップへのバイアスが働き、「彼はリーダーシップに欠ける」「あいつは真面目だが、リーダシップ面で物足りない」などとレッテルを貼られて、本来は育成されてよいはずの次世代のリーダー候補が潰れていくという現象です。

こうしたリーダシップへのバイアスは中小企業経営者と後継者を話題にする時、時々耳にすることがあります。サーバントリーダーシップという、奉仕を通じて人を導くというやり方がある、ということを是非知って頂きたいのです。

自分の信念に従い、それと共に進む人に奉仕する。信念、ミッションが同じであれば、結果として奉仕された人はあなたを信頼し、共に歩む道を選ぶ、ということです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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