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Now and Thenは問い続ける

ビートルズの解散は必然だったのか、そうではなかったのか。
必然だったとする映画監督のマイケル・リンゼイ・ホッグ。そうではない、避けることが出来た筈だと解散させまいとする同志ピーター・ジャクソン。
歴史上、事実として解散はしたが、まだ解散していない。
何故そんな不思議なことが起きるのか。

忘れられるバンドではなく、忘れられず、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンが亡くなっても、復活してしまうバンド。それは、私たちが忘れてはいけないとしているからだ。
 
1969年のルーフトップ・ギグの後、その場の観衆のオーディションに受かって活動を続け、その時から50年以上経ってもまだ解散しないビートルズ。私たちが解散させようとしていないのだ。
もうこの世に存在しないバンドなのに、愛されるが故に生き続けるバンド。

ロンドン・アップルビル(Now and Then)
左の屋上風景は、福岡耕造氏の写真集「ビートルズ、追憶の彼方」から引用 
マシュー・ストリート(Now and Then)

啓示を受け取り、引き受けたポール
ポール・マッカートニーは、ビートルズのメンバーであること以上にひとりの人間として、自分たちの歴史を直視して2023年11月にNow and Thenをリリースした。
 
ジョンが曲想を得て45年以上、1996年の再結成曲Free As A Bird、Real Love以来27年を経て完成形となり、ビートルズ216曲目の公式リリース曲となった。
映画監督ピーター・ジャクソンの側面支援もあり、ポールの執念が成し得たものであり、もろ手を挙げて「ポール、アッパレ!」だった。
 
そして、遂にこの10月のパラグアイ・ライブではBlackbird、Here Todayの次に初披露しジョンへの追悼としてくれた。(ちなみにBlackbirdはアイルランド由来でレノン名の意味がある)
 
1975年、ポールは制作中のビーナス・アンド・マースのレコーディングにジョンを招き、和解したジョンと曲を作りたかった。その後、1980年12月のジョンの死により共作は叶わぬ夢かと思われたが、ポールの執念と不思議な出来事により結実し現実の形となった。
1981年2月にポールは、亡き友がカール・パーキンス(ジョージのギターアイドルでもある)に憑依し、彼が発した言葉を聞き逃さなかった。カールが自宅で歌った歌詞「My old friend, won't you think about me every now and then」は、1980年11月、ポールがニューヨークのダコタハウスを訪れ、帰るときにジョンと交わした言葉「Think about me every now and then, my old friend」だったからだ。生前ジョージは、この話をポールから聞いているが、自然に「ジョンはまた送ってくる」と返していた。
 
ポールだけが分かる意思と意識の交換がそこにあり、この曲は出来上がり、ジョンの意思がこの世へ生まれ変わったのだろうと思う。こうして終わりのないビートルズ一大叙事詩に奇跡的に新たなチャプターが加わった。

2001年に亡くなったジョージも
時を経た時計にリリースOKサインを送った。

重い問いかけ
この新曲は、ビートルズと共に生きてきた世界中のファン一人ひとりに、多くを問いかけた。
 
私は多感な思春期に彼らの歌を刷り込まれて以降、今はとっくに居ない彼らとともに、今を生きている。
彼らが私に投げかけたのは、他人への愛、友情と絆、平等で飢えもない自由な社会、平和だ。こうした肯定的、普遍的な価値とともに、Now and Thenは「あれから君たちは幸せに暮らしているか、生きているか」という問いかけをした。
ジョンもジョージも今はこの世にはいないが、「カセットに吹き込まれた故人の意思を継いで生きているか」とポールは私たちに問いかけてきた。
そして彼らは「もうこれで区切りをつけるけど良いか?」とも。
私の答えはもちろんNo、だけどYesともなった。私はもうこれ以上彼らの復活という妄想を断ち切るために、Yesと思ったのかもしれない。
 
「君たち次第だ。もう一度、俺にビートル・ジョンとして歌ってくれ、というなら、君たちの気持ち次第だよ。俺は君たちを愛している。」
同世代、後追い世代、若い世代のファン、私たちに問いかけるこの曲を当初は何度となく聴き、ジョンの言葉が沁みわたった。聴き過ぎたからなのか、この曲はそれ以降、気軽に聴くことはない。レクイエムか惜別歌のように聴こえてきて、聴くのが重いのだ。ピーター・ジャクソンの残した4人揃っている姿も、ちょっとまともに正視していられない。
 
「俺は君たちがいないと、時折、寂しい。時々でいいから、君たちにこっちに来て一緒に歌って欲しい、君たちがいなくて寂しい。」
「君たちは離れて行くのか。君たち次第だけど、離れていくのか。今、俺はこっちにいるからなのか。」、ジョンとジョージは、ポールとリンゴにも投げかけている。こちらの問いかけはもっと重い。

ジョンとジョージの意思が届く
ジョンとジョージ、ふたりの意思はポールへ確かに伝わり、こちら側のポールとリンゴがふたりの意思を受けて、ジョージ・マーティンの息子が父の意思を引き継いで最期のシングルとして創り出した曲。時が4人の中のわだかまりを消し去り、時の経過と共にポールはビートルズを取り戻そうとした。
 
原曲の意思を損なわず、美しく磨きをかけて創りあげた。ビートルズの歌で、これ以上に美しく奇跡的な曲があるだろうか。彼らの歌には、メロディー・ラインや詩がもっと美しい曲はいくつもある。しかし、大袈裟ではなく、天からの啓示、神がこちら側の人々を諭すような響きをもった曲は、最期のこの曲しかないと思う。
「時おり思い出して欲しい」からではなく、その意思はこの世に形となって、ビートルズの曲として、「いつも、そして永く残る」ことになった。
 
愛しい人もいずれ亡くなり、物理的には離れてしまう。しかし、故人の強い意思や意識は、確実にこちら側の残された人たちの世界に留まり、心に残りそして形にもなる。
この曲を聴いて、ジョンの意思・意識、ヨーコがポールに託した癒しが、私の心の中に広がった。
私たちは人種差別や戦争を忌み嫌い憎み、平和を希求したジョンとジョージの意思をこちら側で受け継ぐ。ふたりの理想を現実に形にするために生き続ける。
重いが、この「最期」の曲を聴くと私はそうコミットすることも出来、彼らの歌が私の魂を震わせた。
自分の人生を振り返って、これからの自分を考えることさえできた歌でもあった。

今を生きる
私は、昨年こうしてビートルズの「最期」の新曲に立ち会うことが出来た。長生きしていると色々な事があるが、ひとりのファンとして彼らを信頼し生きてきて本当に良かったと思う瞬間だった。そして、居ても立ってもいられなくなり、この7月にイギリスへ飛んだ。

時として無情な時。年を重ねるたびに、ビートルズの関係者が亡くなっていくが、その人々はこちら側には戻らない。しかし、忘れることのない故人の意思は、形を変えてこちら側に残された人々に必ず伝わる。
故人を思い出し、その言動と今の自分を顧みて、故人の意思を自分に迎え入れて前向きに今を生きていくのが、こちら側に残された人の使命ともいえる。
人の命、意思、歴史は、記憶や記録という形とともに次世代に引き継がれ、そうして繰り返されているとも思う。ジョンがスチュ亡き後にアストリッドを諭したように、寂しさに打ちひしがれて涙し、追憶のなかで生きることではない。

リバプールの聖ピーターズ教会ホール(Now and Then)
Now and Thenを構想していた頃
1977年6月、息子ショーンと二人で香港旅行
(1975年に生まれたショーン君はもう49歳)

初渡英から帰国後に新たなビートルズ熱に罹患、そして再燃・過熱してNoteで思うところを書き留めてきた。
来年も平和を希求するし、足を踏み入れることができなかったイギリスの聖地を再訪したいし、ポール来日コンサートでNow and Thenを聴きたい。
 
ビートルズが居た、そして今もこれからも彼らが居る世界、その私自身の世界は誰にも変えることはできない。

ロンドンのアビー・ロード(Now and Then):
ぎこちなくでも、彼らがスタジオに戻る日はあるのか。
Get Backで4人を蘇らせたピーター・ジャクソンに期待。



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