虐殺を加害者のヒステリーから起きるという思考は粗雑である
門外漢の私が言うのは憚られますが、「福田村事件」の、虐殺犯罪は、集団ヒステリーが原因なのか?
そうではなく、権力の見えざる殺意の煽動があり、その煽動に乗ることがお国のため、という優越感を漲らせる彼ら村民の自己肯定感の道すじなのではないだろうか。だから、ヒステリーではなく、私は、理性の暴力と見ている。
福田村という片田舎の人間は、朝鮮人と日本人を識別できない「ヒステリー」と見るのは、だったら「朝鮮人」を殺害するのは「ヒステリーではなく正しい判断」なのか、というおぞましい問いすら浮かんでくる。
そうなのである。虐殺を加害者側の集団ヒステリーという括りにまとめるのは雑な思考である。
ナチスのユダヤ人虐殺はヒステリーではなく、ヴァンゼー会議で得られた「ユダヤ人問題の最終解決」という、それは、国家理性による暴力であり、ヒステリーなどという筒井康隆みたいな捉え方は間違えている。
虐殺は加害者側のヒステリーではなく、あらかじめ計画された、理性からくるゆえ、簡単に根絶できないのだ。