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思いやりの可能性

先日、生徒に年度はじめにした話と同じ話をしました。
それは、欠席者に配布するプリントの話。

生徒にプリントを配布する機会は割とあって、授業で扱うためのプリント(クラスルームを使っている先生方は、全員にプリントを配布することはしないが…)や、朝や帰りの学活で配布するチラシや提出が必要なプリント(こちらもICTを使って0にしたいが、なかなか難しい)などがある。

欠席者が0というのはわりとめずらしくて、1クラス40人もいれば、体調不良で欠席したり、遅刻や早退するというのはよくある話である。

すごく丁寧な先生は、配布されたプリントをクリアファイルなどに入れて、学校に来た際にきちんと手渡しするが、自分は意図的にそういうことはせず、提出に関わるプリント以外は、欠席者の分も一番前の生徒に配布してしまう。
なぜかというと、「思いやりを習慣化したいから」である。

教師がなにも言わないと、配布したプリントが、欠席者の机の上にポンっと置かれていることがよくある。さて、この状態で欠席していた生徒が登校した時に、その机を見たらどう思うか。
なんとも思わないと思う生徒もいるかもしれないが、気分が良くないと思う生徒の方が多いと思う。逆に、プリントが乱雑に置かれている自分の机を見て、「うれしい」と思う生徒は皆無なはず。

帰りの学活の際、特に連絡事項はなかったので、プリントを配布して終了しようとしたら、欠席者の机にプリントが置かれたまま。
再度、思いやりの重要性を話しました。

困っている人を見つけるのは簡単で、その人を助けようと思う人はたくさんいる。その中で競い合うことは結構大変。大勢の中からピカイチの提案をするのは非常に難しい。
だけど、不便なことに気づいていないとか、より良い暮らしを提案できるってゆーのは、多くの人が思い付かない。
こういう提案ができる人は重宝される。
こういう提案ができる人は、人の立場に立っているから思い付くことであって、思いやりがないと間違いなく思い付かないということは言うまでもない。
つまり、人を喜ばせられることは、自分のためになること。
思いやりには自分を伸ばす可能性がある。

こんなことを書いていると、チラシを何も言わず配布する自分もどうなんだろうと思えてきた。
子どもたちのプラスになるという思いがあって作成されたチラシ。
なにも言わずに配布すると、その人たちの思いが伝わる可能性が少なくなるのでは?
ちょっと工夫が必要かもしれない。

思いやりを習慣化し、幸せなと感じる人を増やしていこう。

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