「おれぁ いつ死んでもいいんだ。」
父の日でしたね。
タイトルはずっと前におとんと2人でご飯を食べに行った時に突然言われたセリフ。
当時まだ大学生だった僕が親の口から出る「死」という言葉にギョッとしたのをいまでもちゃんと覚えてる。
それと同時に「潔すぎる生き様だ。」と心が震えたのも覚えてる。
おとんはこう言った。
「小さい頃からやりたいことは全部やってきた。子ども(僕のこと)も成人して色んなことに一区切りついた。だからもういつ死んでも悔いはない。」と。
たしかにおとんは僕が物心ついた頃から知る限り「圧倒的ポジティブ」悩んでるとこは見たことがない。
過去に囚われず 未来を恐れず。
今この瞬間を笑って過ごすスタイル。
自分の親ではあるけど一歩引いて見た時最高にかっこいい存在だった。
きっと今僕の根底にある
「好きなことをして生きていきたい。」
っていうのも そういうおとんの背中を見ながら無意識のうちに培ってきた感覚なんだろうなぁと思える。
もうひとつおとんの好きなところがある。
これは自分の子育てにもぜひ取り入れたいと考えてるスタイル。
「子どもを子どもにしない」
なんだか僕と対等だった。いつの日も。
お前はおれの子どもだからこうしろとかあぁしろみたいなことを言われた記憶がない。
なんなら「育ててもらった感覚」というものがない。
不思議なんだけど本当にない。
だから抑えられ続けたバネが跳ね返ろうとして起こるような「反抗期」はなかったに等しい。
僕にあるのは「ともに生きた。」感覚。
それが僕の中の大きな部分を構成してる。
言葉にするとひょろりとしてるけど僕は「感謝してる」それはこの瞬間にではなくそういう長い時間を作ってくれたことに関して。
おとんに思うことは そんなとこ。
なんだか ひょうひょう と生きてる人だからこれ以上なにも書けない。
一緒にいて特に印象に残ってるのがそんなとこ。
僕は自分の子どもに「ひで」と呼んで欲しい。パパでもなく。お父さんでもない。
「ひで」と。
それに対して賛否両論はあると思うんだけど。
僕は自分の子どもと「ともに生きる」ってのをしてみたい。
僕がされて嬉しかったことをしてみたい。
それとおとんには「ずっと抱っこしてたい」と思わせる孫を見せてやろう。
そうしよう。