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夫弁

「どっちにしますか?」。医師はパンフレットを広げながら聞いてきました。「こっちはセラミック製でずっと使えます。こっちはブタ弁(よく分かりませんがブタの弁だと思います)で、何年後かに取り換える必要があります」。セラミック製は半永久的に使えますが、血液が固まりやすくなるため、薬を飲み続けなければならないということでした。


その2週間前。「あれっ変な音がするなあ」。医師は聴診器を当てながら言いました。会社の健康診断です。「逆流してるかもしれないな」。私の頭の中は「?」だらけでした。結果は弁膜症。心臓の弁がおかしくなっていて、血液が心臓に逆流する症状です。しかも「重症」ということでした。健康診断から1カ月後には手術をすることになりました。自覚症状は、なし。趣味の登山もできていたので、「まじか!」と思いましたが、私はセラミック弁を選びました。


手術が始まったのは午前9時。テレビドラマでは、手術室へはストレッチャーで、家族に囲まれながら運ばれるイメージですが、私の場合、看護師さんと手を繋いで、二人で歩いて入りました。看護師さんは私の手を力強く握り「堀さん大丈夫ですよ。気づいたら終わってるからね」と笑顔を向けてくれました。手術台のベッドは小さくて、寝返りを打ったら、落ちてしまうぐらいの大きさでした。真上の照明はドラマのまんまでした。


ここまで連れてきてくれた看護師さんが横になった私の隣に座り、両手で私の手を握り穏やかに言いました。「私はずっとここにいますからね。安心して寝ていてください」。看護師さんが聖母マリアに見えました。「この人と一緒なら死んでもいい」と思いました。外科の先生が「堀さん、それじゃあ麻酔しますね」。記憶はここまでです。


「堀さん、よく寝てましたねえ」と看護師さんが言いました。気づいたときはICU(集中治療室)のベッドの上でした。左側の窓から青空が見えました。時間は翌日の午前5時。私は20時間眠り続けていました。大量の輸血をしたそうです。1週間ほどいたICUは、苦しくて痛くて地獄を見ましたが、その話はまたの機会にします。


手術は2023年7月。会社に復帰したのは9月中旬でした。いろいろと暮らしは変わりました。例えば1日3回、食後に歯を磨くようになりました。理由はよく分からないのですが、「残された人生を丁寧に生きよう」という思いからくるものだと思います。それと、昼はこれまで以上に妻の弁当を食べるようになりました。これまでは菓子パンやコンビニ弁当で済ますことが結構ありました。でも、手術してからは、ほとんど妻の弁当になりました。気のせいかもしれませんが、手作り弁当だと、午後からの仕事の集中力が持続します。ちなみに妻はインスタのストーリーで「今日の夫弁」として紹介しています。一度ごらんになってください。
@mieko_1002
みなさん、寒さが続きます。心臓にはくれぐれも注意してください。

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