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何に喜びを感じるのか
私は「教える」という行為が好き、と思っていました。
学生の頃より、バイトで何人かの中学生の家庭教師をしていて、一番嬉しかった思い出が、
その子の高校も決まって最後の授業が終わった日に、お母様から贈り物と手紙を頂いたこと。
その手紙の内容が
実は、うちの子は学校でいじめられていたが、先生と出会ってから変わり、明るくなった。その事にすごく感謝している。
といった内容でした。
私は鈍感なので、手紙を頂くまでいじめられてるとかそういうのに気付いてもいないし、ただ、
物静かであまり元気がないなぁ
くらいに思ったことがある程度でした。
今考えてみると、一般の尺度で言うと私の家庭教師っぷりは二流三流以下です。
私自身偏差値教育は大っ嫌いですが、幼い頃からの押し付け教育のお陰で何を押さえておけば、周り=親、先生が喜ぶ結果を出せる、ということには
長けています。(本質は全然身に付いてませんw)
だから一定の自信を持って教えられる、と考え家庭教師をしていました。
そんなだから、ちゃんとしたカリキュラムを組み立てて、確実に成績を伸ばす、みたいなことは苦手で、そもそもスケジュールたてるとか大っ嫌い。
答えはわかるので、ポイントとか点を稼ぐ要領とかは教えるけど…
やったことで覚えているのは
・今度、音楽の歌のテストがあるけど、どう練習すればいいか困ってる。内申にも関わるし・・・
⇒大地讃頌のピアノ伴奏をMIDIデータで作り込んで、各歌パート別のバージョンをそれぞれCDにやいて家で聞いてイメトレ出来るように。
・ギターに興味がある。
⇒ギターを持っていって弾いて聞かせる。
あとは、デスノートのコミック全巻貸してもらって、感想話したり、高校も決まって家庭教師が終わった後だけど、一緒にマック行ってモンハン教えてもらったり。(悪魔アイルー貰ったw)
肝心の授業は、不得意だったり困ってるとこ聞いて、コツを教えて問題解いたり。(厳しさは皆無)
というかあんまり覚えてない・・・
こう書き出すと、ただ自由に自分が楽しんで出来ることばっかりやってるw
でー、
結局目覚ましく成績が上がるって訳でもなく、(一応上がった?多分)
でも、希望の高校の推薦が貰えた、ということで、早目に落ち着く事が出来ました。
そして最近になって・・・
少し前に、お母様より久々にメッセージが届き、息子が結婚しました、とわざわざ報告頂きました。
そして、私との出会いに感謝している、と・・・
本人にもメッセージを送ってやり取り。
最近転職をしてやりたいことを頑張っている、と意気込んでいました。
こんなに嬉しいことはない
(ララァ、僕にはまだ帰れるところがあるんだ・・・)
以前仕事で、同じく家庭教師をやっていたお客さんと話していた時に、その方が
「相手に合わせてわかるように教えるのって難しいんですよねー」
と言っていて、
あれ?自分はその辺を難しいと意識した事なかったぞ・・・そもそもそこに注力していない?
と気が付いて、漠然としか捉えていなかった当時の経験、自分が実際には何をしていたのかを思い返して、
あっ
この辺に何かある・・・
と感じました。
「教える」という行為が好き、って表現は少し違うかも・・・
ざっくり言うと「友達」をやっていたのか?
以前やっていた仕事でも、結局のところ
数字を出さないと始まらない
になってしまう。
家庭教師も、所謂型にはまってやるなら偏差値を確実に上げないといけない。
そんなことやっててもつまらない
つまらない、と思ってしまうことに頑張っててもしょうがない。
ここを原点に、これからの仕事を考えていこうと思います。